before crazy days 10 「嘘、つくなよ」 低い声に切り捨てられて、一瞬なにを言われたか判らなかった。 霙の視線が痛いのに、目を逸らすことができない。乾いた喉から、声を絞り出す。 「嘘、なんか」 「なにも知らない海と、同じだと思わないで。遊糸、今の自分の顔、判ってないでしょ」 「ッ!」 その言葉に、遊糸はなにも言えなくなる。 きっと嘘はついてない。霙が突然受けたことを思えば、きっと。 ああ、それとも、海についた嘘を批難されているのだろうか。 顔を上げられなくなった遊糸の頭を、くしゃりと撫でる手。 「おれには、嘘、つかなくていいから」 打って変わって、穏やかな、いつもの霙の声がそう告げる。見上げると、泣きそうな顔をした霙が、無理して笑う。 たぶん自分も、泣きそうな顔をしているに違いない。 海に触れられるのは恐かったのに、霙ならば大丈夫だと、既に甘え始めている自分に気付いて、けれどその手を払いたくなくて、遊糸は戸惑う。 「今すぐには、解決はできないかもしれないけど。いつかはなんとかしなきゃいけないと思うし。おれに話せとは、言わないから。ただ、嘘はつかなくていいから」 「──…」 そんなに優しくされるような人間ではないのに。 霙は本当に被害者なのに。 嬉しいと。 ありがたいと。 そう思うともう止まらなくて、遊糸はぼろぼろと子供みたいに泣いた。 たぶん、霙も泣いていたと思うけれど、遊糸にそれを確認する余裕はなかった。 [*前] | [次#] 『カゲロウ』目次へ / 品書へ |