第六話:今だけは





普段いる部屋もとい普段閉じ込められているあの牢屋のような場所とは違う、(まぁそれでも研究所というだけあって薄暗くはあるのだけどね)机が1つとイスが4つある部屋に移動して、次の実験についての話が始まった。話を聞きながらも、私の頭の大半は、今頃アクセラは好き勝手に暴れてるんだろうなーなんてことを考えていた。けれどそのことが恐ろしくもあった。なぜなら、こんな短期間で彼はあまりにも私にとって大切な人になってしまっていたから。両親が亡くなってから、失うものなどないと思っていた。それなのに。


「とにかく、次の実験はここではなく第二研究所で行う。一週間後だ。話は終わりだ。立て」


促されるままイスから立ち上がり、名無しさんは来た道をまた戻る。もう一度檻に閉じ込められても、一週間後は一方通行と離れ離れかーなんて考えていた。実験はいつものように長く、なかなか一方通行は戻ってこない。何だか胸に穴がぽっかりと空いたような気持ちに名無しさんはなった。寂しいという感情に出会うのは久しぶりで、少し面食らう。とりあえず気を紛らわそうと毛布にくるまって目を閉じる。特に動いて疲れた訳でもないのに、名無しさんはすぐに眠りに落ちた。


「おィ」


聞き慣れたどす黒い声で名無しさんは目を覚ます。そこには思った通り、一方通行がいた。


「おー…実験おつかれ…」

「ったく、ぐぅぐぅ寝やがって。疲れてンのはこっちだっつゥの。早くベッドあけろ。毛布寄越せ」

「いやっやめて!」

「妙な声出してンじゃねェ!」


チョップされてしまった。
渋りながらも、ベッドを半分あける。まだ寝ンのかよ…と一方通行は嫌な顔をしたが、名無しさんは無視した。しばらくお互い無言だったが、一方通行がベッドに寝転がって名無しさんに背を向けるように横になってから、彼は彼女に声をかけた。


「で…次の実験ってのはどンなンなンだよ」

「心配してくれるの?」

「茶化すな。…実験を行う直前でなく早めに詳細を言うってことは、結構大規模な実験なンじゃねェのかよ」

「ん…なんかここから離れるらしい。」

「!」

「一週間後だってさ。」

「…そォか。で、いつ戻ってくンだよ」

「あ。聞いてなかった」

「はァ?」

「なになになーに?いつ戻ってくるか気になるの?」

「あ?」

「寂しいんだ」

「……はァ?何言ってンだお前は」

「寂しくないの?」

「だから、テメェは何言って」

「私は寂しい」

「……」

「すっごく久しぶりに寂しい。アクセラと離れるのが寂しい。」

「………オレは…」

「変だよね、いつの間に私こんなに」

「ちょっと黙れ」

「…ん…!?」

気づけば、背中を向けていたはずの彼がこちらを向いていて、そんな彼の少年にしては細くて白過ぎる指は名無しさんの顎に添えられていて、薄い唇は名無しさんのそれに重なっていた。

――あぁもう、どうしてアクセラはいつも断りなしなのかなぁ…


「び、びっくりした」

「あ?オマエ、いつまで経ってもキスすら慣れねェ純情ちゃンなンてガラじゃねェだろ」

「な…!失礼ね!こういうの、本当に今までやったことないんだもん」

「こォいゥのってどォいゥのですかァ?」


ケラケラといつもの意地悪く笑ってから、一方通行は名無しさんに更に近付いた。


「なんで近付くの…?」

「一週間後に離れるンならその前に堪能しよォかなァと」

「な…?なにを…え?…た・堪能……?」

オロオロする名無しさんを見て、面白そうに一方通行は笑った。


「だからホント名無しさんは、カオ真っ赤になるよなァ」


その言葉を皮切りに、ぐいと引き寄せられる。ゆっくりと耳を指でなぞられただけで、彼女はもう目を開けていられなかった。それからもう一度、口づけられる。


「(身体が、熱い)」


ぼんやりと名無しさんがそう思ったとき、今度は口の中に何かが侵入してきた。それが一方通行の舌だと分かるまでに時間はそうかからなかった。


「(頭…おかしくなりそう)」


呼吸が苦しくなって、やっと口は解放された。


「(身体に力が入んないや)」


ふわふわして何だか心地好い。とそのとき彼女は自分の上半身が下着姿になっているのにようやく気が付いた。


「え…あっ、えっ!?」

「うるせェ騒ぐな」

「はい…じゃなくてこれは何事!」

「何事って…ナニ?」

「……えあっ!?」


普通に答えられて、思わず変な声が出た。

「な…なんで?」

「なンでってそりゃァ…シたくなったからだろ」

「や、うん、えと」

「あ?…あー…なンだ、どォしても嫌なンだったら言えよ…それなら、手はださねェ」

「あ…その…えっと、い…嫌なんかじゃ、ない…よ?」

「お、おゥ」

「(なんなんですかこの状況!)」
首筋を彼の指が這う。上気した肌にとってそれはとても冷たく、びくりと名無しさんは身体を震わせた。


「…ムリしてンじゃ、ねェだろォな…」

「そんなことない、よ?……たっ、ただ…」

「ただ…なンだよ?」

「わ、私はアクセラと違ってこんなの初めてだし、やっぱりちょっと不安で…で、でもアクセラがリードしてくれるなら大丈夫かなー?って」


へへ、と名無しさんが笑うと、一方通行が明らかに狼狽していた。


「あ…あれ…?」

「あァ!?」

「も…もしかしてアクセラも初めて…?」

「う…うるせェ」

「あんな慣れた感じだったのに!?」

「ホントもォオマエ黙れ」

「私も喰った女の中の一人、みたいになると思ってたのに…」

「なンだそりゃァ」

「え?」


一方通行の声が怒気をはらんでいることに気が付いて、今度は名無しさんが焦った。


「オマエはオレがそンな節操なしに見えたのかよ」

「や、その」

「言ったろ、こないだ」

「え…あ」
名無しさんの脳裏に、こないだコンビニで言われた言葉が思い浮かんだ。

――興味がなかったら…


「興味って、女体への興味かと」

「ンなワケあるか!」


チョップされた。本日二度目である。


「とにかくオレは別に誰でも良いワケじゃねェし、恋とか愛とかガラじゃねェし…」

「うん」

「オマエのことだって…これが好きってのかも、よくわかンねェけど、」

「うん」

「オマエは、どォなンだよ」

「私も、よくわかってないや。でも、私はこの先を望んでる。アクセラに…触れてほしいって、思ってる…」

「ン」


照れたように彼は少し視線を泳がせてからもう一度名無しさんの首筋をなぞった。そして同じ場所に今度は舌を這わせる。


「ん…ぁぅ…」


なんだか変な気分だった。肌のぬくもりを全身で感じて、幸せを噛み締めている自分と、化け物同士で何を慰みあっているのかと嘲笑う自分とが混じり合っていて、名無しさんは泣きそうになる。


「アク、セラァ…っ」

「名無しさん……っ」


この先モルモット同然の私達がどんな人生を歩むのか、明るい希望は持てない。それでも今だけは、外の人間と変わらない、恋愛をしている男女なのだ…、名無しさんはそう思いながら、意識を手放した。



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