「せんせ…」


開かれた薄い唇が音を紡ぐ。彼の目は涙で濡れている。細く平均より小さい背は普段より小さく見えた。蜂蜜色の髪が秋風に揺れる。


「鉢屋、鉢屋、大丈夫だ」








鉢屋三郎は俺の担任するクラスの問題児だ。悪戯好きで派手好きで遅刻魔で早退ばっかかと思いきや成績は優秀。おちゃらけたクラスの中心的タイプの子だ。俺はあいつをその程度にしか知らなかったのだ。









あー、もうっ何よ!働きもしないで!

うるせぇな!今働いてるだろ!てめぇこそ色付きやがって何処行くんだよ!

あんたに関係ないでしょ!


甲高い悲鳴の様な声と低い怒鳴り声には嫌気がさす。私の父親と母親は仲が悪い。それは昔からだから気にしないことにする。でも、朝からこんなにも激しい口喧嘩しなくても良いじゃないか。私は通学用のショルダーバッグの肩紐を握りしめた。入口でやられては出ていけない。また遅刻か、と一人呟いて溜め息を吐いた。気持ちは幾分も楽にはならない。制服のままベッドに倒れ込んだ。





「どーもどーも、おはよーです」


重役出勤でふらふらと教室へ入る。もう私の遅刻は数が多過ぎて誰も驚きやしない。クラスメイトはおはようとか早く来いよとかいつもと変わらず声をかけてくれる。


「おはようじゃねぇ鉢屋!もう三限目だぞ!」


先生もいつもと変わらない。他の教員は既に私を見放したのか何も言わないのに、先生だけは毎回毎回私の為に怒ってくれる。


「あっれ…?おかしいですねー」

「ったく…席に着け!」


先生だけなんだ。頼れるのは。









学校が終わっても家には帰りたくなくて町をフラフラする。しかし未成年が深夜に一人で外を徘徊しているとおわまりに捕まってしまうので帰らねばならない。未成年というのは不自由だ。帰ればまた両親は喧嘩している。ああうるさいうるさい。お願いだからやめてくれ、本当に私だって限界なんだ。

何処行くんだよ!

飲みに行くのよ!悪い!?

何処にそんな金あんだよ!それに母親だろ!?夕飯くらい作って行けよ!

ああ、うるさいわね!三郎だってもういい年なんだから自分でやるわよ!

てめぇ…それでも母親かよ!

そうよ!でも好きでなったんじゃないわ、貴方が避妊しないからよ!!



「もうやめてくれ!」


私が大声を出せば二人は驚いた顔してこっちを見た。


「そんなに喧嘩するなら別れたらいいだろ!離婚でもしろよ!もうたくさんだ…」


気が付けば私はそれだけ言って家を飛び出していた。
もがくように走った。苦しくて苦しくて、でもどうしようもなくて。悲しさを吹き飛ばすように走った。それでも涙は溢れてくる。行く宛てなど無くて学校までの通学路にある土手に寝転がった。
今、とてつもなく潮江先生に会いたかった。あの声で名前を呼んで欲しくて。大丈夫だって言って欲しくて。ちっぽけな自分を抱きしめて欲しくて。

そう思うと涙は止まらなかった。
助けてよ、先生。









結局そのまま土手で一夜を明かして朝日を見ながら自宅へ帰ると、玄関には母親のお気に入りの靴は無かった。リビングにはよれよれになったTシャツを着た父親が転がっていた。私が帰ってきた物音で目を覚ましたのかギロリと私を睨み、一言あいつは出て行ったと告げた。それに私は何も答えることが出来なくて、そそくさと自室に戻り制服を着てショルダーバッグを持ち家を出た。
母親に捨てられたのだ、私は。あの人に何か特別なことをしてもらった記憶なんてない。ただ私に暴力は奮わなかっただけ良い母親だったんだろう。最後に笑いあったのはいつだったっけ。









いつものように少し遅れて教室に入る。


「三郎おはよ!今日はいつもより早ぇな!」

「おはよう三郎、どうしたの?」


雷蔵とハチの声を聞き流して先生を見る。先生は出席簿に何か書き込んでいる最中でなるほど朝のSHRのようだ。


「鉢屋、やれば出来るじゃねぇか。まあ、ちぃっと遅ぇが授業に遅れるよりましだ。頑張ったな」


私の名前と頑張ったなという言葉に目頭が熱くなって視界が歪む。返事を帰すことなど出来なくて俯いた。


「鉢屋?」


様子が変なのに気付いたのか、先生は目の前まで来て私の肩に手を乗せた。思わず目から一滴の滴が零れた。


「鉢屋、どう―――


私はただただ先生に抱き着いて嗚咽を漏らした。クラスメートがざわついたけれど気にしていられなかった。先生は私の背中を摩ってから廊下へ移動しようと促す。私をクラスメートに見られないように庇って廊下へ出た。


「…泣くな」

「先生、私…っ」

「大丈夫だから」


背中を摩る手は優しい。
母親が出て行ったことを途切れ途切れの言葉で伝えれば、一瞬驚いた顔してから大変だったなと抱きしめてくれた。


「大丈夫だ」


その言葉、私、信じるから。
ありがとう、先生。







――――

なんかイメージと違う。






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