戦国msu | ナノ




樹々が深く生い茂る漆黒の暗闇の中、一歩、また一歩。足は一点を目指して歩んでいた。だが何処に進んでいるのか、何の為に歩むのか思い出せない。

一歩、また一歩。
まだだ、此処ではない。

一歩。足に柔い感覚が走る。目線を足元に下ろすと、暗がりながらも人間の輪郭が確認できた。が、人間と言っていいものかどうか。踏みつけた人間は頭部が無い。その側には点々と、人間の一部であったであろう肉片が散らばっていた。戦敗れの残党達だ。

しかし気にも止めずにまた一歩、もろ足は進む。
違う、此奴等ではない。

ひとつ、地に丸い灯りがともっていた。足はその丸い光を求めて進み出した。目を凝らしてみると、それは灯りではなく、水面に映った満月であった。水面は月明りを反射して輝く。
何かに突き動かされ、水面の月を覗き込むが、そこに映ったのは月だけでなく、自らの姿形であった。

「…俺は、」

黒い長髪に真っ白な肌、その白肌に生えるように頸には一周膿んで赤い斬られた痕、頭巾を被っていたその頭部には、代わりに肉の瘤のような、先の尖った角が生えていた。

自分は何者だったか?何の為に此処にいるか?何に向かい、何を求め彷徨っているのか。

意識せず吐いた息は青白い焔に変わり、ちろちろと口から漏れた。
刹那、脳裏にある人物が浮かぶ。首に青い布を巻いた、後ろ姿だ。

「高、虎」

藤堂、高虎。
そう口にすると、芋蔓のように次々に記憶が引きづり出された。
俺は関ヶ原の合戦で、敗色を期したその時に、友である高虎に介錯を頼んだ。水面を再度覗き込み、自分の頸にくっきりとついた筋をなぞる。自ずから腹を刈っ切り、夢を高虎に預けて生を全うした筈。

だが、この姿はなんだ。此処が地獄と言うならば納得しよう。だが周りに散らばる死体共や、月の懐かしい明るさは、此処が現世だと裏付けていた。
俺はこの様な姿になってまで、現世に留まり、何を望む?

力なく立ち上がり、答えが出ないまままた意識が遠のいていった。だが、頭とは裏腹に、足は答えを知っているかの様に足元の肉片を踏み散らして、再び一点を目指して歩み出した。

「小早川秀秋…人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」

月を瞳に映して、心朧に牙を覗かせ、鬼はそう呟いて歩む。




















荒い息を整えて、名前は自分に刺さった矢尻を力任せに引き抜いた。血が噴き出るが、もう長くは持たないだろうからどうでもいい。
岡山城の麓の森林の奥で、名前は追われていた。何人もの追っ手を切ったが、自分ももう動けそうに無い。

名前は関ヶ原で生き残ったつわものとして、名を列挙されていた。家康に信頼も置かれ、保護の進言を受けていた名前だが、それを拒否した。家康を恨んでいない。ましてや西軍として動こうという意思もない。
だが名前にはやるべき事があった、やらなければならなかった。意味が無いと罵られようと。

しかし、それも達せずに召されそうだ。名前は虫の息で自嘲の笑みを零す。木の幹にもたれて何とか体を支えていたが、それももう無理だ。幹に身を擦りつけてゆっくり腰を下ろした。
目蓋を下ろして、亡き人物に思いを馳せる。

「吉継、私は恥を晒して貴方の元に行くみたい…。許してくださいね」

謝罪を述べた時だった。




がさり。
草が揺れる音がした。追っ手だとしても、反撃する気が失せていた名前は、緩慢に目を開けた。
が、暫く見つめて目を見開く羽目になる。

「う、そ。吉継…?」

名前の目の前には、求め焦がれた亡き大谷吉継の姿があった。懐かしい黒髪、白い肌。求めていた人物がそこにいた。状況からとうとう迎えがきたのだろうと考えたかったがー。
吉継の額には角が二本、漏れる吐息は青白く目に見える形になって、口からは牙が覗く。
名前は背筋が凍った。
そして何より、吉継の首には一周して斬られた生々しい痕があった。高虎が切ったものだろう。名前は絶望の色を瞳に浮かべ確信してしまった。

「よ、吉継、どうして貴方、鬼になってしまったの?」

人は、恨み辛みの未練が残ると物の怪に成れ果てるという。が、まさか吉継がそれになるとは毛程も思わなかった。彼はどんな時でも潔かった。意味を持って切腹もしたのだと、言い聞かせさえしていたのに。目の前には現れた吉継は、化物以外の何にでも見えない。
すると、ひゅる、と息を漏らしながら吉継は語った。

「俺がこの無様な怪の姿に化け、再び現世へ舞い戻ったのは、我が夢を潰えた彼奴への報復の為だ」

吉継は掌を見つめ、何かを思い握り締めた。吉継は驚く程表情が無い。
その様子に名前は目を伏せ、ぽつりと吉継に呟く。

「吉継の夢って、何?」

吉継の瞳が一瞬揺れた。名前は息を飲んで返事を待つ。

「俺の、夢…」

だが吉継は最早、秀秋を祟る一心で突き動かされる化物となっていた。今も視線の先にあるのは、秀秋が居るであろう岡山城であった。
名前は吉継の中に自分の記憶が残っていない事がわかった。それ何処か、もう吉継が身を任せ流れていた大きな信念も、消え失せていた。

「貴方の夢の中に、私はいたのかな?」

名前は吉継に問うでも自分に問うでも無く、空にその質問を投げた。返ってくる言葉は勿論無い。もう見つからないとわかっていた。

空に向かって歯を食いしばり、吉継が死んだ時から必死に堪えた涙がとめど無く溢れ出した。もうどうにもならなかった。結末が変わらないなら、せめて貴方に本来の流れを取り戻してあげたい。

「吉継…本当は今から私が、亡き貴方の代わりに秀秋を殺しに行くところだったんですよ。今更意味が無いですよね、それに女単身で笑える程無謀ですよね」

鞘に納めず放ってあった刀を支えに、名前は身を起こす。思いから力を振り絞って。

「でも、貴方がそんな身になってまでも、そんな事しようというのならば…止めたい」

よろけて倒れそうになるも、幹に手を置いて支えた。切っ先を吉継に真っ直ぐ向ける。

吉継は、敵意を表されたとしか認識できない。目を細め、転がっている残党の刀を拾い、名前に向ける。

「最後に、偶然でも私の所に来てくれてありがとう。お慕い申しております」

涙で吉継の顔がぼやけるが必死に笑みを携えて、目に焼き付け、刀を振り上げた。




一瞬だった。




一歩、また一歩。
吉継のもろ足は進む。

「小早川秀秋、人面獣心なり。祟りをなさん」

吉継は血に染まった刀を落とし、切ったものを見向きもせず、眼前に聳え立つ岡山城へ歩み出した。











秀秋は関ヶ原より思いつめ、あまり寝付けずにいた。今日も胸騒ぎとともに飛び起き、風にあたりに縁側に出ていた。

「石田三成…大谷吉継…、頼む、もう夢に出てくるな…!」

暗闇を見ると、二人が睨んでいるように見える。その度に怯え、秀秋は相当に気が触れていた。
だが今日は満月だ。外に出れば、明るく周りを照らしてくれる。筈だった。

下を向いて頭を抱えて居ると、月の明かりが何かに遮られ、秀秋の周りに暗く影が落ちた。
驚いて前を向くと、そこには、恐れ続けていた吉継の姿があるのだった。

吉継が秀秋の喉を鷲掴む。異様に伸びた吉継の爪は、秀秋の喉に食い込み、締めた。秀秋は悲鳴を上げる気力もなく、ひゅ、と喉を鳴らして、白目を開き泡を吹いて力尽きた。

『ー…隆景さんが養子で貰った秀秋。本当は秀吉様が毛利に手を出す為に、毛利本家の輝元さんの養子にさせたかったらしいですね』

女の声が、耳に響いた。吉継は目を見開いて咄嗟に手を離す。既に事切れていた秀秋は人形の様に四肢を投げ出して倒れたが、吉継は気に留めない。

「っ…」

『ー…毛利本家の血筋を穢すまい、って自分の養子に。まあ豊臣との養子縁組で隆景さんの待遇が急上昇ですけどね。流石だなあ』

『俺にそんな話をしてどうする』

『聞けば秀秋は秀吉様が在世中、不満な領地替えがなされたとか。それを元通りにしてやった家康に個人的に恩義を感じているとかー…』

『小早川秀秋の動きは予測の範囲内だ。個人的な配下に迎撃の手筈を伝えてある』

『これだけ勝ち目が無いと伝えても駄目ですか。私は貴方に生きていただきたいのに』

『俺は夢を見てしまった。狭霧がかったその向こうに』

女と言葉を交わす自分の声も響く。そうだ、この会話は関ヶ原直前にー。この女は誰だ。何故こんなに苦しい。
其れを問うて頭を抱えて黒髪を振り乱す。目が血走る。
女の後姿がうつる。身の丈が小さいが、携える刀は似合わず存在を主張していた。

『…わかりました。貴方はその身を流れに任せて進んでください』

『…すまない』

『いいですよ。私は私で、やることを見つけたから』

女が吉継の顔を見た。
微笑みを貼り付けて、悲しく、熱を帯びた瞳を吉継に投げた。

嗚呼、この女は。

『夢叶わずとも、大谷吉継の障害を消します』

唯一愛しいと思った女だ。

「俺の…俺の夢の中には、お前も居たんだ」

吉継の口から焔は吹き出ず、牙は縮み、額には突起物は無くなっていた。先程名前を切った手を見ながら、もう届かない言葉を囁く。

吉継の頸を一周する痕から、段々と筋となり血が滴り落ちてくる。痕はやがて切れ目になり、そしてー。




物音に気づき秀秋の家臣らが駆け付けると、そこには秀秋が倒れているのみだった。

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小早川秀秋は関ヶ原の戦いからわずか2年後の慶長7年に早世した。享年21。この早世に関して、大谷吉継が関ヶ原の合戦において自害する際、秀秋の陣に向かって「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と言って切腹しており、この祟りによって狂乱して死亡に至ったという説がある。

(Wikipedia参照)

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