戦国msu | ナノ




名前と隆景はつかの間の休息を楽しんでいた。日和もよく、雲一つ無い青々とした空は、見上げていると吸い込まれてしまうような感覚に陥った。名前は縁側に腰をかけ空を見上げ、視線は頭上を通り過ぎそのうち上体は背中から床に倒れてしまった。大きく息を吸い込み、大きく吐き出したものは溜息だった。晴れ渡った空に対し、名前の心は曇りがかっていた。体を捻り腹臥位になり、縁側の奥の部屋に目を向ける。その部屋は本の山で埋まっており、入り口の開いた襖に軽くもたれかかり、読書に勤しむ隆景がいた。隆景も気を緩ませているのか、足をのばしていた。長閑な雰囲気であるにも拘らず名前の気分が晴れない原因は隆景にあった。

「隆景さん、いいお天気ですね。程よく暖かくて」

「ええ、そうですね。風もない。絶好の読書日和です」

隆景は視線を本から外さずに、答えた。紙を捲る音に、名前は眉間に皺を寄せる。

「それ、雨の日も言っていたじゃないですか」

「そうでしたか?」

「本当に読書が大好きなんですね。本当に」

「ええ。知識も増えれば、著者の気持ちが流れてくるのも面白い。文体の変化を感じると特に…」

「左様ですかありがとうございます。どうぞ続きをお読みになってください」

「ええ、では失礼して」

目を輝かせ嬉々として語り出す隆景の、長くなりそうな読書談義を強制的に打ち切った名前。しかも語りながら手は次の書物をしっかり握っているものだから尚更面白くない。あの分厚い書物、あれはきっと元就の著した歴史書に違いない。笑顔を携えたまま隆景はその厚い書物を開き、字を追い始めた。名前はとうとう立ち上がり、不本意ながら読書の邪魔にならぬよう、嫌味も込めてこれでもかと気配を消してそっとその場を去った。

名前も読書や文字が不得意な訳ではない。物語は好んで読み、戦場に立つ身として勉学に励まねばと、戦術書も程々に目を通したこともある。しかしいざ戦場に立つと、学んだ戦術を生かす余裕が無く惨めな気持ちになったのでやめた。歴史書に関しては興味すらわかない。もう少し興味を持てば隆景との談笑が弾むとは思うのだが、小さな反抗心で名前はあまり読まなかった。
要するに、構ってくれなくてつまらないのだ。

「そのうち元就さんみたいに何か書き始めるんじゃ…そしたらもっとつまらない…というより読ませてきて面倒くさい…はあ」

膨れてとぼとぼ歩き、足は自然に件のご隠居、元就の部屋へと向かっていた。







「大体元就さんの子として生まれてきたから素質はあったんですよね、文字への愛の」

「他の子はそうでもないんだけど、どうしたものかね」

「誰にも迷惑かけないし寧ろ良い趣味ですよ?しかし度が過ぎます!何ですか文字が切れるって。切れるのは私の堪忍袋の緒です!」

「ああ、そうだね。かりんとう食べる?」

「食べます」

部屋を訪れると、元就は茶を飲んで、いつも何やらしたためている手を止めて休息をとっていたので、ご一緒させてもらうことにした。ほぼ名前の愚痴の吐き出しだが、元就は受け止めてくれるので甘えてしまう。挙句、元就は気を回して菓子を進めてくれる。実は菓子を食べ歩いたり作ったりすることが名前の唯一の趣味なので、有難く頂戴する。餌付けによって手懐けられているが元就も名前もわかっていることだった。

「うん、確かに隆景は、考え方は違うけど私と似ているね。どこが似ているかと聞かれると、私はうまく言い表せないけど」

「そうですね…才はともかく、穏やかな物腰や雰囲気とか。一緒に居ると安心してしまうんですよね」

「そうかい?それは私も褒められている気がして嬉しいな」

元就は名前の顔を見て微笑んで言った。言った後に気恥ずかしくなり、名前は慌てて顔を逸らしかりんとうを大口で数個頬張る。笑った元就の顔が隆景のそれと重なり、ああ私はこの笑顔に弱いのだと思った。隆景と違うのは、元就の笑みには皺ができること。それにより父親へ向けるような愛情がわく点だろうか。元就の場合お爺ちゃんと呼んでいいものが少し迷うが。

「名前は隆景が本当に好きなんだね」

名前は噎せこんだ。わかってはいても口に出すものではない。茶を口に運び、言葉を飲み込む。

「…知りません」

元就は子を慰めるように名前の頭を撫でた。気持ちがよくて、元就に軽く寄り添う。うむ、やはりお爺ちゃんに訂正しよう。名前は密かに思った。

「さてと、確か美味しい饅頭もいただいたんだけど、食べたいかい?」

「はい!」


元就の申し出を喜んで受けると、待っていてと元就は立ち上がるが、その足はある人物によって遮られた。

「おや、隆景」

「ご機嫌よう、父上」

その名に名前は驚いて振り向くと、隆景はこちらに視線を寄せて微笑んだ。先程の事を思い出し、名前は直視できず視線を下げた。よく見ると、隆景の手には本ではなく包みがさげられていた。常に本を持ち歩かなければ安心しない隆景が、本を持たずにいることに名前は不思議に思う。

「隆景さん、その包みはなんですか?」

「砂糖饅頭です。名前と父上といただこうと思いまして。如何ですか」

砂糖という言葉に名前は目の色を変える。普通の饅頭でも大変美味であるのに、砂糖となると甘味好きな名前には大きな誘惑だった。

「それは贅沢だね。でも折角だけどお断りするよ。今食べていたかりんとうで腹が膨れてしまってね。二人でいただいてくれ」

「それは失礼しました。名前はまだ食べられますか?」

「勿論です!」

名前は、元就の断りに、自分の取り分が増えた!と内心喜んだ。申し訳なくて言えないが。

「では、私の部屋でいただくことにします。行きましょう」

すると、隆景は包みを持っていない手で名前の手を取り歩き出した。名前は突然の事で引かれて歩き出すしかなかった。今までに手を握られたことなど無く、触れていると意識し出すと顔に熱が集中していった。

「た、隆景さん…あの」

「はい?」

「いいえ、なんでもありません」

尋ねたかったが、隆景はいつもと変わらない様子なので、聞くのをやめた。自分よりも大きな手に包まれ、隆景は男性だと嫌でも感じてしまう。自分が好意を抱いている相手に意識するなというほうが無理だった。隆景は誘導することしか考えていないのだろうか。気にし出したら止まらない。
そうしているうちに、元居た隆景の部屋に戻ってきて、必然的に手は話された。包み込む熱に、名残り惜しくなる気持ちを抱えるほど惚れ込んでいるのか、と自覚する名前だった。二人は向かい合って座した。

「さて、饅頭をいただく前に、貴女に受け取っていただきたいものがあります」

受け取っていただきたいもの?なんだろう。隆景は包みからまず饅頭を取り出し、その後から巻物を取り出した。やはり字を肌身離さず持ち歩いていたか、と思う名前をよそに、隆景は巻物をその場に広げた。しかしどうだろう、その巻物には字ばかりでなく、大きく美しい絵が描かれていた。字ばかりだと思った名前は、その絵に息を飲んだ。

「絵巻物です。これなら貴女も好んで読んでくれるでしょう。」

「え…もしかして受け取って欲しいものって、これですか!?」

その絵巻物は、様々な色がふんだんに使われており鮮やかで、細部まで美しく描かれている。名前はつい身を出して絵を鑑賞してしまう。隆景が言う通り、絵と照らし合わせ読めば自分でも楽しめると思うが、誰が見ても一目で高価だとわかるような立派なものだった。必要最低限なものにしかお金を使わない名前はとても恐れ多かった。

「こんなに立派なもの、私に不釣り合いです。いただけません!」

「名前、何故私が贈り物に小袖でも簪でもなく書物を選んだかわかりますか?」

「え?」

隆景は巻物を巻き直しながら尋ねた。考えてみると、確かに何故こんな立派なものをいただけるのか全く理解出来ない。そもそも何故贈り物をいただけるのだろうか。何か目出度いことでもあったのだろうか。隆景らしい贈り物だとは思うが。

「ええと…?わかりません。隆景さんらしいとは思いますが」

「その通りです、私が書物が好きだからです」

名前は更に首を傾げた。それならば、何故自分に贈る意味があるのだろうか。

「私は読書が好きです。知識も増えれば、著者の気持ちが流れてくるのも、文体の変化を読むことも面白い」

「それとこれとは…」

「私の好きな事を、大切な人に理解していただきたい。理解していただかなくても、楽しんでいただきたいと思うのです」

隆景は名前の手に巻物を握らせて言った。隆景は今、大切な人と言った?この部屋には私達2人以外誰もいない。何よりも隆景は真っ直ぐ私を見ている。ということは、私が…?
名前は耳まで赤くなり、握らされた巻物に力を込めてしまったが、すぐに大切なものだと冷静になり丁寧に胸に抱いた。それを見た隆景は満足そうに、嬉しそうにいつもの笑みをこぼした。

「それともう一つ、私も貴女の事をもっと知りたい。貴女の興味があることに共感したい。先程の詫びも兼ねて、共に菓子を食べてくれますか?」

名前は漸く、隆景が砂糖饅頭を用意した理由が解った。もしかしたら、元就との会話も聞いていたのかもしれない。しかし名前の答えは一つだった。隆景の事を誰よりも知り尽くしたいと願うのは自分もなのだから。名前は立ち上がって勢い良く襖を開けた。

「半分こしましょうね!お茶、淹れてきます!」

「名前、饅頭は逃げません、慌てず巻物は置いて行きなさい」

勢いよく廊下に飛び出して行った名前は、饅頭を食べながら、自分の今まで読んだ少しの本の知識を語ろうと思った。菓子を食べながら談笑することが、これから日課になるといいなと隆景を思うのだった。

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おまけ

その夜。

「私が饅頭を断ってあげるって、わかっていて誘ったんだろう隆景」

「父上なら察していただけると確信していました。それに名前とあれだけ親密そうに触れ合っていたのです。父上こそ私が見ている事を知っていたのでしょう。仕返しですよ」

「はて、なんのことやら。全く二人して老体を痛めつけるなんて…砂糖饅頭食べたかったなあ」

「まだまだこれからですよ。それと、父上の用意しようとしていた饅頭は名前が食べました」

「…月を拝んでくるよ」

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