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教授の官兵衛さん


今日の名前は少し気落ちしている。先日の風邪はすっかり良くなったが、重い足取りで大学内の階段を登っていた。
辿り着いたのは教授室が連なっている階だ。廊下を進んですぐの所、『黒田官兵衛』という名札がついている扉の前に来た。在室の札もついているので、教授は中に居るようだ。心の準備をする為名札を2回ほど確認して、溜息を吐く。

黒田教授は、本当はうちの学校ではなく他学校に所属しており、兼任しているらしい。淡々とした講義をするがわかりやすくて名前は好きだった。ただ、おしゃべりや欠席・提出期限においては大変厳しく成績に反映し、直談判しに行く生徒は逆に更に追い討ちをかけられ死んだ顔で帰ってくると定評がついているのだ。

先日風邪で早退した授業は、運悪くこの黒田教授の講義だった。
講義内では、講義終わりにレポートを提出する事になっており、これが成績に大きく反映されていると聞く。
真面目に授業を出ていた身としては、なるべく全て提出しておきたい。友人の甲斐に欠席した際配られたプリントや資料を貰い、自宅でレポートにまとめてきたものを、直接黒田に渡しにきたのだ。

期限切れは承知の上なのだ。これ以上不安になる前に行こう。

意を決してノックした。

「誰だ」

「1年の名字名前です。先日欠席した講義のレポートを提出しに来ました」

「入れ」

「はい、失礼します」

そっと教授室に入る。
まず目がいったのが、正面のデスクに肘を置いて座る黒田教授だった。眼鏡をかけて何やら難しそうな本を読んでいる。スーツの着こなしに眼鏡まで、絵に書いた『教授像』すぎて名前は内心たじろいだ。とてもお似合いだが怖い。
部屋全体は、備え付けの壁一面の本棚、客用のソファ・テーブル以外私物らしい私物が置いてなかった。
部屋を観察していると、黒田は本を閉じ名前に視線をやった。怒っていないだろうが睨みつけるような目つきに見える。目が悪いのだろうか、目を凝らしていると信じたい。決して睨まれてなどいない…筈。

「1年の名字だな。あの日の欠席の連絡は受けている」

「甲斐に連絡を頼みましたが、先日は熱が出まして、昼休みから早退しました」

「ああ、承知している。半兵衛からも話を聞いた」

「あ、半兵衛先生まで連絡してくださってたんですね。後でお礼言っておきます」

「恩着せがましくからかわれぬと良いがな」

「?何か仰られましたか?」

「いや。それで、要件は」

「あ、はい。期限切れだとわかっていますが、休んだ日のレポートをまとめました。目だけでも通していただこうと思い、来ました」

黒田教授が何か呟いたように聞こえたが、流されてしまった。本題のレポートを少し押し付ける様に官兵衛に手渡した。
やはり本人を目の前に提出するというのは、全てを見透かされているようで、結果はどうであれ早々にレポートを手放したかった。

黒田教授はレポートを受け取ると、名前を一瞥してレポートを流し見た。暫し沈黙が流れる。

…気まずい。
そうだ、提出したのだから私は本来の目的を達したのでは無いか?教授が読み終わるまで居る必要はない筈。

名前が去ろうと、一礼しようとした時だった。
黒田が背もたれに背を預け、デスクチェアの金具が軋む音で、名前ははっと黒田教授に顔を上げた。
黒田教授は背を椅子に預け、名前のレポートを机に広げて胸ポケットからペンを取り出し、何やら書きはじめた。

「確かに。通常通り加点しておこう」

「え」

名前は官兵衛の言葉が理解できなかった。まさか、あの黒田官兵衛が本当に加点してくれるとは。噂に聞いていた話とは随分違う。
固まっている名前に官兵衛は手を動かしながら話した。

「こうやって直接訪れれば、少なからず評価されると思っていたのであろう?」

「うっ、それは」

図星だ。全加点とはいかずとも、部分加点くらいはくれるだろうかと期待を持って来ていた。自分の心を突かれて苦虫を潰す。
だが何故か官兵衛は眼鏡を外して、厳しい眼差しの緊張を和らげた気がした。その顔が何時もの厳しい顔からは想像できない程柔らかい、といっても変わっているのは眉間の皺が薄れたところくらいだが。

「隠すよりは良い。実際問われるのは、例え休んだとしても課題に取り組む姿勢があるか否かだ。結果として卿は誰かの答案を写すでも無く、こうやって提出しに来た」

私は黒田教授を誤解していたのかもしれない。
鬼の官兵衛、と心の隅で作り上げていた想像とは違い、かなりきちんと割り切った教授のようだ。
そうだ、きちんと生徒を呼び出してまで指導してるあたり、適当に済ます先生達より余程しっかり生徒の事を考えてくれてるのかも。
自分で妙に感動して納得していると、彼が今言った言葉で引っかかった言葉があることに気付いた。

「何で写してないってわかるんですか?」

「所々間違っている」

「うぐっ…」

レポート用紙を名前のほうに向かせ、間違った部分を指で叩いて見せた。この場で見直してみろ、との事らしい。近寄ってレポート用紙を覗いて見ると、間違った数箇所に赤字で丁寧な説明が書いてあった。結構な間違い量だが、解説がやはりわかりやすかった。後で図書館で見直そう。

「後でゆっくり復習します。寛大なご処置ありがとうございます」

「卿は些か大袈裟だ」

官兵衛は何事もなかった様に、先ほど読んでいた本をまた開き始めた。
何だ、少し変わってるけど話しやすい方ではないか。
本当は用事が済んだから部屋から去るべきなのだろうが、怖くなくなった分名前は官兵衛に話しかけたかった。勿論、隆景や半兵衛絡みだ。とはいえ官兵衛は必要な事しか喋らないイメージがあるので話しかけるのは難しいが、この際当たって砕けろだった。先程の表情も気になる。

「あ、あの。官兵衛さんは小早川さんと仲がよろしいんですね」

「…」

官兵衛はすぐには答えなかった。やはり無駄話は好きではないのだろうか?

「…付き合いは決して短くはなく、私と関わりを持つ風変わりな男だ」

少しの間の後に、官兵衛はゆっくり答えた。あれ、これににたセリフを何処かで聞いたような。

「ふふっ」

「なんだ、私が言ったことがそんなに面白いか。まあそれもよかろう」

思い出して吹き出してしまった。それを不快に思ったのか、官兵衛は眼鏡を掛け直し、鋭い眼光を名前に飛ばして来た。焦って弁解する。

「あっあっ!違うんです、黒田教授に関して似たような事を小早川さんが言ってたので。『付き合いは決して短くない、良き理解者だと思っている』って。」

「隆景め」

はあ、と溜息をついて官兵衛はくだらなさそうに視線を本に戻した。

「だから、きっと黒田教授も遠回しに小早川さんの事良き理解者だって言ってるんですよね?ツンデレだなあ黒田教…ハッ!」

とんでもないことを口走ってしまったことに気づき、慌てて口を塞ぐが、遅し。ビシッと音を立てて官兵衛の額には青筋が浮かんでいた。目元に影が落ちて表情が確認できない。怖い。やってしまった。

そうだ、半兵衛が『官兵衛殿はああ見えてツンデレなんだよ?』と笑いながら話していたことが強烈に印象に残っていたから、つい口に出してしまったのだ。最近小早川さんといい半兵衛先生といい、アットホームすぎる先生方と接しすぎて、礼儀をすっ飛ばしてしまった。二人と仲がいいとはいえ黒田教授にいってしまうとは。

「…その言い回し、半兵衛の影響だな。私の教授室に堂々とレポートを提出しに来る姿勢、授業態度、そしてその神経の太さ…申し分ない。そこに座れ。直々に休んだ分の解説をしてやろう」

「ヒイッ?!先生が禍々しい黒いオーラ出しながら嬉々として分厚い教科書を広げていらっしゃる!?先生の授業は好きですけど無事に帰れる気がしません!」

「ほう、卿も物好きだな。敬意を評して手を抜かずに教鞭を取ろう」

名前は腰が抜けて必然的に客用のソファに腰掛けてしまった。向かいに官兵衛が座り、PCやら資料やら教科書やら、嫌味たらしく山積みに机に置いていった。もう逃げられない様だ。

「黒田教授、私今から図書館バイトがですね」

「学生は学業が本職。私から連絡する。さあ始めるぞ」

苦し紛れに出た最後の希望は、呆気なく一蹴された。名前は力が抜けた。諦めるしかない。
官兵衛はオーラを放ちながら教科書を開いた。













「因みに授業の出欠席だが、処方箋さえ持ってこれば公欠扱いなのだが。医者には行ったのか?」

漸く恐怖のマンツーマン授業が終わった頃には、日はとっくに沈んでいた。名前は重圧と頭の使いすぎ耐えきれず机に突っ伏していた。やはり噂は本当で彼は鬼のようだ…。
官兵衛はというと、すっかりオーラも無くなり満足した様子で資料などの片付けをしながら、名前にそう尋ねた。

「あ、あれ。そうなんですか。行きましたけど貰ってません」

それは初耳だ。力なく顔を起こす。

「これは一年の初めの全校集会で連絡されている筈なのだがな。高校でも適応されている処置だとも思っていたが」

「皆勤賞なのでわかりません」

「だろうな」

半分馬鹿にした様に即答された。くそう、教授めどういう意味ですか。反抗しようと上体を起こすと、今まで突っ伏していた机にマグカップを置かれた。何処にでもありそうなマグカップからは、湯気とあたたかな香りが漂ってくる。珈琲だ。

「それを飲んだら帰れ」

官兵衛も同じマグカップを口に含んでそう言った。珈琲を淹れたらしい。名前は虚を突かれたが、出されたマグカップを覗き込むと、官兵衛の人柄を表した様に感じて気が緩んだ。

「ありがとうございます、いただきます」

黒田教授はこんな人なんだなあ。隆景さんと仲が良さそうな訳だ。
マグカップにはミルクと珈琲が混ざり合いそうで混ざり合わない、中途半端に掻き回された状態で揺れていた。


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