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古典の隆景先生と豊久君




とある空き教室に、教員一人と生徒二人が居残っていた。
教員は黒板の側に備え付けられた簡易な教員机に座り、他生徒二名は一番前の列の真ん中に隣同士で座っている。

「隆景先生、もしかしてそれ電子書籍読む用?」

「ええ、そうですよ」

古典の教員である隆景が取り出したタブレットを見て、名前は言い当てた。隆景が最新機器を取り揃えるイメージが全く無いので、鞄から取り出すのを見て目を丸くしたのだが、よくよく考えてみると字を無限大に持ち歩くことができるのだから、持っていても不思議では無い。

「それなら沢山書籍が持ち歩けますよね」

「ええ…ですが、やはり私は本が好きです。確かに持ち歩きは便利ですが…厚みが見えません。恍惚感が味わえませんから」

「…」

目に見えて肩を落としている隆景を名前は温い目で見守った。常識人だが、やはり何処かズレている教員だ。

「じゃあなんで本を読まないんだよ?」

名前の隣に座っていた名前の同級生、豊久が上体を机に伏せ顔だけ上げながら怠そうに質問した。学校指定のシャツと、上体と机に挟まった用紙がかなり皺になっている。手遅れなので突っ込まない。

「どうも自宅の書斎に置き忘れたようです。ふふ、こんな時の為のタブレットですよ。いざという文字切れの時の為に、鞄に常備しているのです」

得意げに話す隆景を、二人は何時ものように呆れて見守るのだが、ここで名前は思った。
隆景が本を忘れていることのほうが珍しい。恐らくタブレットは鞄に入れっぱなしなのだろう。ということは…。

そこまで考えつくと、タブレットを手にした隆景が突然ぴしりと固まって、画面に向けて大きく目を見開いた。豊久もその様子に驚き反射的に体が跳ねた。

「…なんということでしょう。電源が入りません、電池切れ…ですね」

「やっぱりか」

予想通りの結果に名前は呟く。本を愛す故に、常に何かしらの本を持ち歩いている隆景が、まめにタブレットを充電するとも思えない。普段他の事で弄るとも考えにくい。だとすれば鞄に入れたまま数ヶ月放置、ということも容易に思いついた。

「私としたことが…!」

「ちょ、隆景先生!電源ボタン連打したってつかないから!落ち着いて!」

「まずい、隆景先生の発作が!」

隆景は目を見開いたまま小刻みに震え、息が絶え絶えになり居ても立ってもいられずタブレットの電源ボタンを高速で連打しだした。とても滑稽な姿に、逆におぞましさを感じた豊久は慌ててタブレットを取り上げた。が、タブレットを持つ格好のまま震え続けるものだから、豊久は青ざめた。何故か豊久も震え出す。

「字、文字が…足りません…」

「ヒィイ…」

「ああもう!」

豊久が名前にくっついて、終いには名前の背に隠れてしまった。名前の肩越しに隆景の様子を伺う。
お前は理解不能なものを見ると怯える仔犬か。突っ込む前に状況をどうにかしよう。名前は自分の鞄から読みかけのライトノベルを引き抜いて、序章を開いて隆景の手にうまくのせた。
すると隆景は視線がライトノベルの文字にいき、徐々に震えがおさまっていった。

「ふう…助かりました。少々軽妙な文体ですが、若者が好む物語を知るのも悪くありません」

「よかった、何時もの隆景先生に戻った…」

「文字なら意外に何でも良いんですね、よかった」

震えも収まり柔らかい表情に戻った隆景を見て、豊久も安堵した。が、ふと自分が名前にくっついていると気付くと、顔に一気に火がついて瞬速で離れた。

「うわ!えっと、その、」

ちらりと名前に視線を寄せて、おどおどしている。顔は真っ赤だ。どうやら無意識に名前を盾に寄り添ったらしい。
本当に、初心で可愛い。体は筋肉の塊なのに。分かり易いを通り越して、行動で感情を表現してくれる。恥ずかしそうな上目遣いの眼差しは、まさに仔犬のそれであった。
駄目だ、撫でたい。
内から湧き出る欲求に駆られ、豊久の頭に手をのばす。

「そもそも、私が何故本を読もうとしなければならないのでしょうか。」

「うっ」

「げっ」

しかしのばした手が豊久の頭を触れることはなかった。隆景は名前のライトノベルを一先ず閉じ、ふうとため息を吐いてそう零した。ライトノベルはちゃっかり自分の鞄の中にしまっている。
私も読みかけなのに。だが文句は今言えない。隆景の疑問に心当たりがあるからだ。しかもあまり触れたくない心当たりだ。二人はそれぞれ唸って固まった。

「あなた達たった二人だけの為の補習だというのに…何故ここまで進みが悪いのか。基礎の解説は終えて、あなた方が赤点を取った中間試験の問題を解かせていた筈が、何故こんなに時間がかかっているのです?余りにも時間が空きすぎて、つい癖で本を読もうとしてしまったではありませんか」

名前と豊久は誤魔化しの笑みから冷や汗が止まらない。

「あはは…いや、難しくて、なあ名前」

「そ、そうだよね豊、私達一生懸命…」

「決してわかんないとこ全部ですって言い出せなくて時間経った訳じゃあないよな!」

「そうそう!ってああ!」

豊久が口走った本音に、つい流れに乗って答えてしまった名前が口を押さえる頃にはもう遅かった。豊久は笑った顔のまま、頭上にクエスチョンマークを浮かべて名前を見る。俺何か変なこといったか?と言いたい顔だ、これは。この馬鹿わんこ。
恐る恐る隆景を見ると、にっこりと微笑み返してきたのだが、背後からは真っ黒な妖気が漂っているように二人には見えた。
今度は二人が互いにこそこそと寄り合い、縮み上がる。これからの自分達の運命を想像して、だ。

「では、一からつきっきりで、もう一度、たっぷり予備知識も踏まえて教えて差し上げましょう。」

何処から取り出したのか、今までに見たこともない分厚さの古語辞典を、まるで申し訳ないような仕草でそっと取り出して言い放った。言葉の棘と行動が矛盾している。怖い。

というか、さっきの発作の時それ読めばよかったじゃん!
豊久と名前は盛大に突っ込んだ。勿論、心の中で。

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