目を開くと、ベッドのカーテンの隙間から茜色の光が漏れてきていた。
「…やだ、夕方!?」
「おはよー、名前さん」
飛び起きる前に先生がカーテンを開けて入ってきた。状況にあたふたする名前を他所におでこに手を当てられる。
「よかった、さっきよりは下がってるみたいだね」
「言われてみると怠いけど寒気は無くなってます。…すみません長居して、ありがとうございました」
昼から夕方までとなると、かなり長居してしまった。直ぐに出て行こうとするが、先生待ったをかけた。
「そんな心配しなくても大丈夫、熱もあるんだし病人が寝てて当然。何ならここ閉めるまで居ていい。だって家帰っても寂しいでしょー?」
「え…」
自分の心情をそのまま述べた先生に、名前は言葉を止める。
「体調悪くなった時はただでさえ心細いのに、独り暮らしは帰っても一人だし尚更寂しいよね」
「…本当にその通りです。ここに来たのも寂しいのが理由だったりするんです」
独り暮らしを見抜いたどころか、全てが同感できるものだった。彼の言葉に今までの不安や寂しさが溢れ出してきて泣きそうになる。頑張って布団で隠して堪えるが、理解してもらえて嬉しかった。
先生は名前の反応がわかっていたようにちらりと片目をつむり、確認してから微笑む。
「まだ微熱あるね。よし、今日は閉館までここで一緒に昼寝しよー!暇ならテレビもあるし、ご飯はコンロや買い溜めあるからお粥とか作れるし」
「へっ?!ここでですか?何てフリーダムな医務室…!」
物凄い提案に名前は驚愕した。部室や教室なら聞いたことがあるが、医務室に夜まで居座るだと…?!
「俺の居心地が良いように完璧にしてあるからね、快適さは保証するよ」
鼻を高くして誇っているが、果たしてそれでよいのだろうか。否、いいわけがない。
しかしその提案に胸を踊らせていないというのも否である。寂しく無いし、それ以上にわくわくしていた。
すると彼は姿勢良く気をつけをし、片手を前に突き出す。
「我こそは竹中半兵衛。ここの養護教諭している者だ!…以後お見知りおきを。名字名前さん?」
やはり見た目相応の仕草をするのが好きなのだろうか…と思う名前だったが、竹中半兵衛という彼の名前に聞き覚えがあった。あれは確か…。自分の名前も知っているし、そういえば先程私が独り暮らしをしていることを知っていなかったか?
記憶を必死に辿ると、漸く思い出した。
「竹中半兵衛先生…。小早川さんの誕生日に菓子折りを置いてった方でしたっけ?あのクッキーは美味しかった、実に美味しかった」
「ええーまさかの思い出す所が菓子折りの中身?!本当に噂通りのマイペースだね、名前…さん」
「名前でいいですよ」
「本当?じゃあ俺も半兵衛センセでいいよ」
半兵衛が隆景に贈った菓子折りを、バイト中の暇な時間にこっそり隆景と一緒に食べたのだ。その味を思い出していると半兵衛に『噂通り』と言われる。確か元就にも似たような事を言われたので、きっとまた隆景が変な事を吹き込んだのだろうと頬を膨らます。二度目ともあらば、スルーする事ができた。
「半兵衛先生には負けますよ。養護教諭がベッドで昼寝って…バレたら危ないですよ」
「平気平気、学長も机で書きものしながらよく寝てるもん」
「ああ…、それは仕方ないですね」
二人して元就をネタに吹き出しあった。軽い半兵衛のノリとは気が合いそうだ。
「あーっと、そうだ。用事思い出しちゃった。ちょっと外すけど直ぐ戻るから。誰か来たら待つように言っといて」
壁掛け時計を横目で確認すると、半兵衛は急に慌てて部屋を出ていった。
手持ち無沙汰になった名前は伸びをするが、半兵衛と入れ違いで誰かが医務室の扉をノックする音が聞こえた。病人でベッドにいる名前には関係無いのだが、留守を任された以上半兵衛の事を説明せねば。上半身を捻ってカーテンを開けて見えるようにし、ベッドに潜ったまま来訪者に備える。
「失礼します。半兵衛先生、少し用事がありますので手短に…名前?」
「小早川さん!」
入ってきたのは、見慣れた男性だった。隆景だ。名前は隆景だとわかると声を大きくしてしまった。呼んでおいて、自分でも喜んでいることに内心驚いた。気付かぬ内に隆景に依存しているらしい。
隆景はというと、此方も名前が此処に居るのは予想外だったらしく目を開かせていたが、つかつかと歩み寄ってきて両肩に手を置かれた。
「此処に居たのですね。体調は、熱は大丈夫ですか?」
名前の全身を見回して言う表情は、本の毛先程だが焦っているように見えた。心配させてしまったのは申し訳ないと思うのだが、反面気に留めてくれたことに嬉しく思ってしまっていた。
「大丈夫です。今日は本当にごめんなさい。バイト、大事を見てお休みします」
「そんな事は良いのです。是非そうなさい。…しかし問題は私の連絡先を知らないことでしょうか。半兵衛先生から事務伝いに聞きましたよ」
「うーんすみません、聞くの忘れてました」
「確か仕事の説明の時にメモに書いて渡したと思うのですが…まあ今は責めるのをやめておきます」
名前の鞄から携帯を見つけ出し慣れた手付きで弄り、次に隆景自身の懐から携帯を取り出して見比べて何か入力しているようだ。見る限り、業務用携帯ではなく普通のスマートフォンである。これはもしや…。
やがて名前に携帯を差し出した。
「私の連絡先です。次からはメールでも電話でも何でもいいので連絡を下さい」
「あ、ありがとうございま…す!」
画面には堅苦しい業務用アドレスや電話番号ではなく、シンプルなそれがあった。
やはり隆景自身の連絡先をゲットしてしまったらしい。またしても隆景ファンに売ろうかと考えたのだが、今回は自ずから嫌だと感じてすぐに考えを消した。
目を輝かせていると、隆景に溜息をつかれる。
「貴女の事です、帰ってもそのまま横になるだけだと思ったもので、図書館の仕事の前にアパートへ寄ろうと思っていたのですよ」
「、図星です」
隆景は即答に呆れているが、名前は当たり前のように家に寄ってくれようとしたことが嬉しく、それなら帰っていても良かったかなだろうかと思ってしまった。
しかし今日は半兵衛と出会えたので、またの機会を期待しよう。
あれ、私は何故こんなに小早川さんの一挙一動に喜んでいるのだろうか。
「はあ。しかし、此処なら安心しました。…よかった」
そう言って頭を何時ものように頭を撫でられる。しかしどうであろう、何故か今日は頬に何時もより熱が篭るのだ。隆景の顔が見れない。
これは熱のせいだ。
名前はもそもそと布団を頭まで被って自分の顔を隠した。きっと今顔は真っ赤だ。また体調が崩れたのかと、隆景が覗き込もうとした時に、入り口が勢い良く開いた。
「ただいまー!あ、居る居る。いらっしゃい隆景サン。偶然おたくのバイト、預かってますよ」
「全く半兵衛先生も人が悪い。初めから名前が居ると言ってくれればいいものを。急の要件とはこの事でしたか」
「ええ〜何の事?」
半兵衛は目だけで布団で丸まる名前を見て、歯を見せて笑った。してやったり顔である。明らかに意図的に隆景を呼んだようだ。隆景はもちろん、今の半兵衛の返事で布団の中の名前も察した。
彼は舐めてかかってはいけない、とんだ似非少年である。
「で?何か名前はまた熱上がってるみたいだし、閉館まで休ませてこうと思うんだけど。隆景さんは図書館まだいいの?」
「いえ、空けてあるのですぐにでも行かなければ。半兵衛先生が一緒なら安心ですね。名前をお願いします」
「了解、任せといて」
今は夕方なので、普段は名前がカウンターの番をしている時間だ。名前が体調不良の今、隆景が行かねば貸し出しがまわらなかった。半兵衛に一礼し、隆景はベッドの横にしゃがんで布団から目だけ出している名前に話しかけた。
「念の為に病院は行く事。体調と相談して、学校やバイトは無理しなくていいですからね。一度連絡を下さい。お大事に」
「ありがとうございます、カウンターお願いします」
にこりと笑って返して立ち上がり、隆景は足早に医務室を出ていった。今はしっかりやすんで、また学校もバイトも頑張ろうと隆景の背を見て思うのだった。
その後名前は、半兵衛が言ったとおりに閉館時間まで居座らせもらった。冗談かと思っていたが、デスクの正面の棚にカーテンで隠れたテレビがあったり、奥に備え付けのコンロやカップ麺、レトルトのご飯などがあり、大学は事務員や先生も自由気ままでいいんだなと染み染み感じた。
お粥を作って食べ、その後はやはり体がだるく、ベッドで閉館時間までうつらうつらして終わった。その間半兵衛は邪魔をしないようにかデスクで書き物をしていたようだが、閉館時間前に起きた名前が伏して寝ている半兵衛を発見する。因みに書き物は、鬼のような謎の大きな手と、死神の形相につり上がった目の謎の人物の落書きであった。彼は一体何時仕事をしているのだろうか。
「送ってかなくて大丈夫?」
結局名前に逆に起こされた半兵衛は、欠伸を噛み殺しながら戸締りや片付けを始めていた。
「はい、目の前なので。今日は本当にお世話になりました」
深々とお辞儀をして扉に手をかけると、半兵衛がまた声をかけてきた。
「名前ー。ここね、ただの医務室じゃ無くてさ。相談室兼ねてんの。先生や学生が結構来るんだよ?寂しくなったらまた何時でもおいで」
振り返って見ると、優しい顔をした半兵衛が手を振ってくれていた。
白衣を着て、今みたいに大人らしい発言をしているなら理想の先生なのだが。緩いところが接しやすい彼の魅力なのだろうと、もう一度深くお辞儀をして医務室を後にする。
「あ、恋の相談とかもー!」
「えっ何で?!」
扉越しの後付けに突っ込んで帰路についた。
後日、医務室の近くを通ったら半兵衛が窓から話しかけてくれた。その内名前からも挨拶しに行くようになり、半兵衛の人柄もあってかすぐに仲良くなっていった。
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