戦国msu | ナノ





パソコンで作成したデータを転送すると、プリンターから数枚の広告が刷られた。数日後のオープンキャンパスで使う、図書館紹介のビラである。これは図書館の事務員としての仕事なのだが、それ以外の雑務がまだ残っているので、早々に簡単なものから終わらせているのだ。

雑務は元就の尻拭いが半数を占める。尻拭い、と言っても元就を補佐するのが隆景の役目なので特に不満は無いのだが、たまに息抜きと称して謎の論文作成にかかる時は別だ。書斎やら学長室に引きこもり指示だけ出して、元就の仕事が兎に角隆景にまわってくるのだ。
父の歳を考えると無理はさせたく無い為、此れも進んで取り組む隆景だが、それならばせめて完全に隠居して仕事を安定させて欲しいと心の何処かで思っていた。論文に取り掛かるのが何時も突然なので困るのだ。

今日も元就はオープンキャンパスの事前準備と被って、学長室に閉じ籠った。ある意味そのタイミングに拍手喝采である。
忙しい。

「…一日が72時間程にならないだろうか」

椅子の背にもたれ掛かり、疲れて目を瞑る。ここ数日は帰宅すると直ぐに寝てしまっていたので、本も読めていない。自分の速度で仕事をこなしているが、体は重い。

瞼裏にふと名前が映った。

隆景は職務上、直接生徒と関わることが少ない。図書館こそ生徒とが訪れるが、自習する学生が殆どである為会話するに至る事が無かった。
親しくなるとすれば、図書館のアルバイト学生である。自分が図書館に務め始めた時から学生がアルバイトをしており、決まって男子が働いてくれていたのだ。理由は防犯上の事で、大学は丘の上に建つので孤立しており、駅までも暗い。アルバイト希望の女学生で少しでも家やアパートが離れていれば、身の安全を保障してやれない為断っていた。

故に名前珍しいタイプだった。名前の住む大学の目の前のアパートは、大学こそ近いが、交通は不便でプライベートで他の学生と遭遇しがちな為、大抵の女学生は嫌がって入らないのだ。

あの性格だ、名前は気にしないのだろう。隆景は自分が気づかぬうちに口元が和らいでいた。

今年度に入って名前が来てから、隆景は図書館業務に殊更精が出るようになった。以前までの働いてもらっていた大学生とも仲良くはやっていたが、ころころと走り回っている女の子が視界の隅にうつるのは、心が穏やかになった。
今時珍しい部類の女の子だ、と思うと隆景は自虐の笑みを浮かべた。

「『今時』…ですか。私もそんな事を言う年になってしまったんですね」

この年になると、年齢を重ねていくのが楽しくない。それどころか追い込まれていく気持ちになる。何を見ても動じなくなり、大体が予測できてしまうのだ。隆景の場合、頭の回転が早いので尚更だった。

…年の事を考えるのはよそう。今は目の前の仕事を片すべきだ。

大きく吸い込み吐いて頭を再起動し、隆景は再び作業を開始した。今作ったビラを抱えて司書室を出ようとした。
が、入り口付近に積まれた隆景の私物の本の一山に腕が当たってしまい、衝撃でその山は崩れてしまった。

「おっ…と」

数冊がばさばさと広がって落ちる。焦るものでは無いなと溜息を吐いて、ビラを置いて本を拾う。

が、何か違和感を感じた。

「この山…辞書ですね。何故こんな所に」

司書室の本の山々は隆景の私物が殆どで山積みになっているが、隆景は何処にどれが置いてあるか覚えているのだ。
辞書はあまり置いていなかったはず。此処に入るのは自分と名前だけだ。名前が触ったのだろうか?
山の一番下の本を引き抜き、パラパラと捲ると、分厚いただの国語辞書だった。何故こんなものが。

「おや」

適当に捲っていると、あるページがぱらりと開いた。そのページには栞が挟んであったのだ。

「ほう、凝った栞ですね」

その栞に目を惹かれ、つい手に取ってしまった。和紙の台紙に四つ葉のクローバーがラミネートされており、角に空けられた穴にはリボンが通してあるだけの簡単な物である。しかし四つ葉のクローバーが中央を飾り、その周りには小さな瑠璃唐草の青い花が数枚散られているシンプルでで可憐な作りは、趣深く好感が持てた。

暫く眺めていると、バタバタ足音を立てて走ってくるのが聞こえた。ああ、名前だ。何度も注意しているにも関わらず、今日も元気そうで何よりである。
司書室の扉が思い切り開く。
隆景は入り口の側に居た為、目の前で直ぐに名前と目が合った。

「うひゃ?!小早川さん!?何でもう居るんですか?今日は会議だっ…て……」

目の前に立っていた隆景に驚いて体を跳ねさせた名前だが、隆景の手元に気付くと目を丸くして言葉が止まった。

「名前、何度言えば貴女は理解するのですか。館内は…」

「あーっ!!そ、それ…!」

注意を遮って名前は叫んだ。隆景が持つ栞を指差して。
やはり此れは名前の物だったか。

「国語辞典に挟まっていましたよ。貴女のものでしょう?人の事をどうこう言える立場ではありませんが、片付けはきちんとしなければ無くしてしまいますよ」

持ち主に返そうと名前に栞を差し出すと、何故か名前は肩を落として項垂れた。

「ああ…計画が…やっぱり此処でやらなくても…ああ…」

「?」

名前が何か呟いているが、項垂れながらなので隆景には聞き取れなかった。だが直ぐに名前は勢い良く栞を引ったくって鞄から洒落た封筒を取り出し、栞をそこに入れて隆景の胸に押し付けた。

「お誕生日おめでとうございます」

首を垂れたまま言った。
隆景は一緒何事か理解できなかった。時間が一瞬止まる。しかし今日の日付をカレンダーで確認すると、今日が自分の誕生日だということに気づいた。

忘れていた。

毎年この時期は忙しく、夜更かしや徹夜を繰り返す事も屡々あったので日付感覚が狂っていたのだ。大体人に祝いの言葉を貰ってから漸く気付いていたので、今年も例外では無い。
因みに誕生日の日付になると同時に、メールや電話、手紙などで元就が祝ってくるのが大体の例である。嬉しいが反面、何故だか寂しくなり心から消していた。

はっと名前を見ると、顔は分からないが耳が赤くなっている。
これは…。
返事をする前に、栞を受け取って、我慢できずに名前の頭に手をのせる。

「…あ、りがとうございます。割と本気で、嬉しいです」

じわりと胸に浸透してくる生暖かさに戸惑いながらも、どうしても頭を撫でたくなって名前の頭を撫で回した。
こんなに新鮮な気分は何時ぶりだろうか。

「本当は、小早川さんが会議の間に準備したかったんです。時間がなかったから、クローバーをもっと平らにする為にって図書館の辞書という辞書を重しにしてたのに…。もうラミネしちゃったけど」

「仕事が溜まっているので今日は皆さんにお願いしたんです。すみません」

「サプライズしたかったのに、うまくいかないものですね」

「そんな事はありません。充分驚かせていただきました」

隆景の手を払って苦笑いする。しかし隆景を見ると、思った以上に表情に出して喜んでいるので、名前も胸を撫で下ろした。

「何時も付箋や栞紐でページに目印をつけていたので、欲しいとは思っていたんです。しかし結果的に買わなくてよかった」

「そう言ってもらえてよかった〜…。本中毒ですし、もう持ってたらしょうがないとは考えていたんですが」

「貴女が考えている以上に手作りは嬉しいものですよ。しかも四つ葉、幸せを分けてもらえそうですね」

「へへ、良かったです!頑張って探した甲斐があった!改めまして、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとう」

祝いの言葉をかけられたことは何度もあるが、この胸が擽ったいような気持ちは、隆景には大変久々に感じた。
名前は渡し方はどうであれ喜んでもらえて満足した。仕事に取り掛かろうとカウンターに目を向けるのだが、図書館に入ってきた時にはなかった物がそこにはあった。

「ん?さっきこんなの無かったのに」

見ると、高価そうな折詰が二つ、メッセージカードが添えられて共に置いてあった。
隆景も不審に思い手に取り、裏を見たりするが、メッセージカードの文字を見ると直ぐに納得した。

「官兵衛教授からですね。…生誕記念祝?珍しい、官兵衛教授から祝いをいただくのは始めてです」

差出人は、教授の黒田官兵衛からだったようだ。官兵衛はこの大学で授業を受け持っているのだが、他の大学に所属している教授である。
講義は淡々と丁寧に進められるのだが、怠けるものはその場では注意せず、後々恐ろしく痛い目に合わされると聞いている。課題など生温い、呼び出されたものは生気を失って帰ってくるとか。
そんな黒田教授の名を隆景から聞くとは。

「黒田教授ですか?小早川さんと接点が見当たりません…」

「そんな事はありません。付き合いは決して短くはありませんし、私は彼を良き理解者だと思っています」

隆景自身が断言するということは、本当なのだろうが。死んだ肌の色をした怖い顔の黒田官兵衛と柔らかい雰囲気の隆景がどうもミスマッチに感じてならない。
唸っていると、名前にはもう一つの菓子折りが目に入った。そこにも差出人が書いてある。

「竹中半兵衛…?」

「本当ですね。半兵衛先生は相変わらずここのお菓子ですか。嬉しいですね」

「何方ですか?」

「ふふ、何方でしょうか。そのうち何処かで見かけるでしょう」

「うーん?隆景さんと仲が良い方、知りたい」

「言わずともそのうちわかるでしょう」

隆景は菓子に心当たりがあるのか喜んでいるが、名前には誰か分からなかった。何処かで見かける先生、ということはここの教授かなにかだろう。

「しかし何時の間に置いたんでしょう。話してたのって少しですよね」

「…半兵衛先生の事です、話してる様子を見て、邪魔をしては悪いとこっそり置いて行ったのでしょう。官兵衛教授が直接来るとは考えにくい。二人分置きに来たのでしょうね」

「確かに」

半兵衛先生とやらは知らないが、黒田教授が直接折箱を持って祝いを述べに来る所を想像できなかった。寧ろ来たら恐ろしい。死神の形相で試験の最低点の答案を持ってくるのしか想像できない。

隆景の友好関係に興味惹かれる。だが隆景が絶賛する菓子には倍興味が惹かれた。箱からして高価そうで、尚且つ可愛い。
食い気の様子に気付いた隆景は少し呆れるが、名前らしくて大変宜しいと心で笑う。名前の熱い視線を振り払って菓子を司書室に仕舞い、気を取り直して手を叩く。

「さて、沢山の方から祝われて幸せですが、仕事に戻らねば。まずは貴女の積んだ辞書が床に散らばっているのですが。名前?」

「言われずとも!!」

「学生が来ないなら、いただいたお菓子でこっそりお茶しますか」

「やったー!紅茶淹れますね!」

「声が大きい」

「イエス・サー」

叫んで跳ねる名前をいつも通りに諌めると、小さい声で敬礼をしてテキパキと片付けに取り掛かった。

隆景も続いて辞書を片付けるが、先程までの憂鬱な気分は飛んでおりあたたかい気持ちになりっていた。頭が冴え切って若返った様であると大袈裟に考える。それほど今日は新鮮な気持ちになったのだ。
後で両兵衛に礼をせねば。それに、名前にも。どんな顔をするでしょうね。

考えるとまた無意識に楽しくなっていた。隆景の名前への気持ちの片隅に、明らかに何かが芽生えていた。

「そういえば今日は父上から祝いのメールやら何やらありませんね。まあ半分嫌がらせを感じさせるものでしたからよいですが…」


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「そろそろ子離れしなきゃね…とは思っていても、お祝いのメール送信、っと。まあ今頃若い子同士で楽しんでいるだろうから、私の出る幕では無いだろう。さ、執筆に戻らなきゃ」

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