戦国msu | ナノ




隆景の正体が結構人気な事務員とわかった所で、日常に差支えることは大して何もなかった。隆景目当てで騒ぎ立てる女子も教室ではみるのだが、不思議と図書館では見たことが無い。その辺の切り替えがしっかりできている分、流石隆景ファンと言わざるをえない。
放課後、名前は変わらず平和にカウンターに座っていた。だが今日は中間テストが近い為、隆景が許可をくれた通り学生が尋ねてこない間勉強をしていた。一人で家にいてもやる気が出ないが、勉強仲間が図書館の机で頑張っている姿を見ると、必然的に取り組めるる。それに見てはいないが、大人である隆景が居ると思うとより一層取り組む気になった。
そうして勉強し始めて暫くすると、カウンターに学生がやって来た。本を借りるようだ。名前は教科書を閉じシャーペンを置いてアルバイトの顔に戻る。

「こんにちは、貸し出しですね」

「お、名前さんじゃないっすか。本当に此処でバイトしてたんだね」

「ああ、同じ学部の…。うん、本当にしてるよ」

それは同じ学部の男学生だった。どうやらレポートの資料を借りに来たらしい。しかし名前は普段、中々男とは関わっていなかったので、顔は何と無く覚えているのだが、名前が出てこない。彼方が自分の名前を知っているなら尚更申し訳ないと思いつつも、その同級生からどんどん話しかけてくれるので適当に相槌をうちながらバーコードを読んだ。
しかし、本バーコードを読み終えた本を渡す時、同級生は言い出した。

「ふーん、名前さんも小早川先生目当て?」

「…はあ。皆そう言うけど、その理由でここのバイトする人ばっかじゃないって事、覚えておいて。」

名前はまたか、とため息を吐く。図書館バイトをしていると皆に打ち明けると、その場にいる2、3人から必ず聞かれる事だった。正直、一から答えることがもう面倒臭いくらいの回数説明していたのだった。なのでこの同級生には軽く反論して流す。
「えー本当に?そっかそっか」と軽く返事をして本を受け取り、名前に変な笑みを向けてから出口へ一歩踏み出したのだが…。

「あれ、その書いてるやつってもしかして」

「え?いや、うん、これは中間テストの科目の勉強」

名前は慌ててルーズリーフを捌いてファイルで隠した。名前は人に自分のノートや書いたものを見られるのが好きではなかった。殴り書きが多ければ、纏め方も自分流なのだとわかっている為、人に見られて馬鹿にされるのが嫌なのである。そう言うこともあって人と一緒に勉強するのも嫌うのだった。
それなのにこの男、何故か執拗に迫ってきた。

「俺も次のやつ勉強やってんだよね。どんくらい進んでる?ちょっと見せて」

「へぇ、頑張ってるんだね、でも汚ないから…ってああ!」

必死に隠そうとしたのだが、いとも簡単にファイルの下から引っ張り出される。手を伸ばすも、最早男の目線まで持って行かれてしまった。やばい、また何か言われる。嫌だ。

「あーここね…って何か変わってて面倒臭いやり方してるね、これ時間くうよー」

案の定同級生が言ったのは、名前が一番言われたくない言葉だった。腹が煮えたぎるが、悔しさの方が勝った。これだけ大人数に言われるということは、私のやり方は本当に遠回りで面倒臭いんだろう。何度も直そうとしたが、結局このやり方に戻ってきてしまうのだ。自分はこのやり方がしっくり来てるのに。名前は過去を引きずって俯くが、そんな事は露知らず、同級生はそのルーズリーフに勝手にシャーペンで説明書きを始めた。

「だから、此処のは一々書いてたら時間食うでしょ?こうすれば一問題ずつ横に書いてくだけで終わるんだよ」

名前は同級生のフットワークの軽さに飽きれると共に、自分とは相容れない性格だと判断した。頼んでもいないのに他のやり方を豪語する。教えてくれるのはありがたいが、これは完全に有難迷惑だ。
尚も上から目線で語り続ける同級生に、そろそろ追い返そうと言葉を選んでいる時だった。

「そこの君。仮にも図書館です、声は小さくお願いします。それとカウンターに留まられると次に並ぶ学生が困ります」

「小早川さん」

「あ、すっんません」

後ろからの声は、司書室から出てきたらしい隆景のものだった。名前の後ろに立ち、少し顔がきつ目になっている。隆景の注意に動揺を見せる同級生は、慌てて名前のルーズリーフとシャーペンを返した。助け舟だと息を吐くが、隆景は鋭い眼差しを名前にも向けた。これには名前も動揺し、動けなくなる。

「名字さんもです。仮にも仕事をしている最中に、カウンターで長話はいただけない。お仕事中というのを忘れないように」

好んで聞いていたわけじゃないし、喋っていたわけでも無い。名前は奥歯を噛み締めた。しかし隆景が言うことは最もだった。アルバイトはお金を貰って働くものなのに、ただでさえ楽な仕事で、不本意とは言え話こんでしまっては、怠惰勤務であることは明確だ。こんな厳しさも仕事始めたから知れるんだな、と名前は考え直す。

「すみません、以後気をつけます」

「解ればよろしい」

頭を下げ謝罪すると、隆景も頷き表情を和らげる。しかし何処か何時もの笑顔が消えている気がする。変わらないといえば変わらないのだが。

「悪いな名前ちゃん。またね」

諸悪の根源の同級生は、そそくさと立ち去って行った。さり気なく"ちゃん"付けになっていることに溜息を漏らした。彼とは今後関わらないよう努力しよう…。初めて小早川さんに真面目に怒られてしまったし、今日はついていない。

「…はい、お疲れ様でした。窘めてすみません」

同級生が去って暫くすると、隆景は名前の頭の上に手を乗せた。名前は隆景に振り返り首を傾げる。隆景はすまなさそうに笑んでいる。何故注意されたばかりで逆に謝られなければならないのか。

「でも、私がカウンターであの人を留まらせたのが悪いので」

そう言うと、頭をくしゃくしゃと撫でられた。

「あんなに一方的で押し付けがましく居座っていたのです。貴女は勤めを果たしていましたよ。…因みに、あれくらいの声の大きさなら、お話しててもいいんですけどね。」

撫でて乱れた髪を隆景は手櫛で正す。彼の手は綺麗な割りに意外と大きく、温かい。頭を触られて、美容院の時の様に気持ち良く目を細めた。こういうことを平気でやるのに、何故だか彼だと積極的に甘えたくなってしまう。大人の男性だからだろうか。それ以上に隆景の柔らかい雰囲気は包容力の塊だと感じている。
隆景は同級生との様子を見ていたか、聞いていてくれたらしい。それならよかった。腹に沸いた苛々が引いて行くのがわかる。

「私があの学生の前で窘めて見せたのは、私目当てがどうとか聞こえてきたからです。学生の前であれくらい叱っておけば、後で変に勘繰られないでしょう」

「そこまで考えられたんですか?流石小早川さん」

「なので貴女には非が無いのに、怒ってすみません」

また眉を寄せて、隆景は困った様に笑う。怒られたとしても、結果として自分に気を回しての事なら、感謝こそすれ何故自分が謝られなければいけないのか。
名前は自分が謝るのは違うな、と思い隆景の方を向く。

「小早川さん、ありがとうございました。ふわふわしててモテる男は違いますね」

はにかんで見せると、隆景は苦笑いした。

「ううん、実害はあまり無いのですが。困ったものです…」

あまりそういったことに興味は無い様だが、少し面倒臭そうだ。それは隆景さんならではの羨ましい悩みです。一般市民にはそんな悩みありません。心の中で呟いておいた。

居住まいを正して、先程のルーズリーフを思い出して見直す。何度見直してもやはり汚ないし遠回りなやり方だ。隅の方には、同級生が書いたであろう一番やりやすいベターな説明書きがされている。やはり一度やり方を考え直すか…。眉を寄せて、ふと隆景を見直す。見るからに頭が良さそうな隆景である、何か意見を貰えないだろうか。カウンターから見える位置に学生が居ないことを確認し、そのレポート用紙を折って紙飛行機を折った。何年ぶりに折ったかわからないくらいなので、ヨレヨレだがまあ届けばいい。

「隆景さん、パス!」

「いて」

「あっ」

名前が投げた紙飛行機は後ろを向いて居る隆景に向かって飛んで行ったのだが、何せヨレヨレである。隆景の目の前上に音すつもりが、大きく弧を書いて隆景の後頭部に直撃して落ちた。当たった部分を手で覆い、紙飛行機を拾い上げ隆景は振り向いた。眉を寄せて笑ってるあたり、少しだけ怒っていらっしゃる。先程のこともあるので、しっかり弁明しておいた。

「名字さん、貴女という方は庇った矢先に…」

「怒る前にそのルーズリーフの私の回答に意見をください!」

顔の前で手を合わせ頭を下げて懇願した。ただの紙飛行機とばかり思っていた隆景は、言われて漸く飛行機には文字が書かれていることに気づく。そして先程同級生に無理矢理教えられていたのがこのルーズリーフの回答だと理解した。流れでバイトが決まっても嫌な顔をしない名前が、この事に関してはとても嫌がっていたので、見て見ぬ振りをしようとしていた。だが名前直々に頼ってくれるとあっては、しっかり見てやりたかった。名前の予想通り、隆景は勉強は嫌いでは無いと自負していたのも理由の一つである。飛行機を開いて回答を確認する。名前の同級生が書いたであろう回答も。

「どう、ですか?」

「ふむ」

隆景が字を追うのを名前は見守る。また先程のように否定されるのは悲しいが、先生格である隆景からの指導であっては仕方が無い。隆景の意見によってはその通りに努力しようと心に決めた。
すると隆景は横まで来て、シャーペンを取り名前の目の前にルーズリーフを置いて何か書き始めた。どうやら自分の回答の方に何かを書き足しているようだ。やっぱり微妙だったかなと思ったのだが、隆景はすぐにシャーペンを置いた。不思議に思い隆景の様子を伺ったが、本当に書き終わったようで指で回答を叩いている。促されるまま、名前はルーズリーフを見た。

「あれ?なんか変わってないけど変わってるような…分かりやすい」

書かれたものは、名前の回答のうえに括弧で言葉が書き換えられているだけだったのだが、それだけで意味がわかりやすく短縮されており、確実にわかりやすくなっていた。自分の書いた物が引き立てられたように思えた。

「ここは言い換えればすっきりしますね。貴女の答えは必要な事ばかり書いてあって捨てる言葉がありません。書き換えを覚えれば、自分でももっと分かりやすいでしょう?」

「捨てる物が無い…」

「ええ。模範解答よりずっと面白い解釈だ」

とん、と同級生の回答を叩く。名前は自分の面倒な回答を認められたのは初めてだった。今までもこのやり方で提出して減点を食らったことは無かったものの、直接何がどうと具体的に褒められたのだ。
どうしよう、すごく嬉しい。顔に出さないよう必死に堪える。しかし本人は顔に出してないと思っているようだが、耳を赤くして口角が上がっているものだからはたから見たらすぐわかる。隆景も例外で無く、必死に喜びを耐える名前に、素直になればいいのにと思う反面、その姿に小動物的な可愛らしさを覚えた。表情がころころと変わり、何かしら動いている。これでどんぐりでも頬に詰めていたら完璧だと想像して笑うのだった。

「とってもわかりやすいです、ありがとうございました!次からこころがけてみます」

「はい、それは良かった。悩んだらまた聞きなさい。迷惑だなどと思わなくても大丈夫です、大人は使わなければ」

隆景は冗談めいて笑う。だが隆景のその言葉がとても心強かった。今度から、友人に聞けないような分は小早川さんに聞いてみよう。小早川さんなら大丈夫。これでコンプレックスから少し脱せられる。名前は上機嫌でルーズリーフを見直し始めた。

「しかし彼、去り際にさり気に"ちゃん"付けになってましたね」

背伸びをしながら隆景は言った。どうやら自分と同じ事を思っていたようだ。呼び方はよほど変でなければなんでもいいが、彼のさり気ない切り替えは巧みだったのだ。

「そうですねー。うーん中々のツワモノです」

名前は笑い飛ばすが、隆景は何か思いついた様に手を槌で叩く。

「では私も親交の意を深めまして、名前と呼ぶことにしましょう。遠慮せずに何でも言ってくれるようにね」

「うええ…何ですか急に。別にいいですけど」

「では失礼して、名前。私の下の名前は覚えています?」

名前。隆景にそう呼び捨てにされると、今まで苗字呼びでさん付けだった分かなり距離が詰まった気がした。きっとこれも気を回してくれているんだろう。隆景と目線を合わせれずに、名前は照れてしまい視線を上に泳がせた。

「勿論。たかきゃげ…たかかっげ…隆景さんですよ、ね…」

噛みまくった。
名前はやらかした、悪い口めと自分の口を手で叩く。その一人漫才に隆景は声を上げて笑った。今度は下に視線をやり、名前はばつが悪そうに口を尖らせた。ごめんなさい、呼びにくいです。

「…やっぱり私は小早川さんがしっくりきます」

「その様で。名前呼びは難しいですね」

残念、と隆景はさして残念そうに見えない笑みを称えて司書室に入っていった。
それ以前に、小早川さんを名前呼びなんて恐れ多くてできない。かくして名前と隆景はより仲良くなった。

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