戦国msu | ナノ




3
名前が図書館のアルバイト始めてから一ヶ月が経とうとしていた。
隆景が言っていた通り、仕事内容は貸出・返却のバーコード読み、掃除、返却コーナーに置かれた本の整頓が主だった。初めてすることばかりだったので初めは戸惑ったが、それは本当に初日だけであった。市の図書館などとは違い、何せ来館者が少ない。来館者が少なければバーコードを読むこともないし、返却コーナーに本が置かれることも無い。あとすることと言えば掃除のみなので、本の上に溜まった埃を払い回って今日までに本のジャンル場所を大体覚えてしまったほどだ。案の定暇な時間が増えてきた名前は、早くも隆景から仕事を奪うべく算段を考えていた。確かに空いた時間に課題をやれることは大変ありがたいのだが。

さて、隆景はというと常に司書室の机に向かい何かの書類やパソコンと睨めっこし作業していた。難しい顔もせずさらさらとこなしているようだが、その作業が終わるのを見ることが少ない。大抵時間がきて打ち切っていた。様は量が多いのだ。
司書があんなにも仕事を抱えるものだろうか?名前は日に日に隆景が何者なのかわからなくなっていた。多忙そうなので聞くこともできずに一日が過ぎる。そうして今日も仕事を終わる時間になってしまった。

「小早川さーん、パソコンの電源落としましたよ。見回りもすみました」

「…ああ、もうそんな時間ですか」

「小早川さんの集中力恐ろしいですよ…」

「いえいえ、集中ではなく夢中になっていたのですよ」

「字にですね、わかりました」

目が疲れたのか、眉間に手を添えて隆景は言った。あんなに字と睨めっこしていたら名前だったら目を回してしまう。
隆景とも少しずつ打ち解けてきていた。見た目よりずっと落ち着いていて年寄り臭い事を口にするが、たまには怠けましょうとお菓子を持って来て一緒に食べさせてもらったりもした。まだまだ謎だらけなのだが、彼の文字中毒にも慣れてしまい流すまでになった。当の本人はその対応に苦笑いで返してくるが気にしない。

「名字さん、私はまだやることが残っていますので、後は任せてお帰りなさい」

「え、遅くなって大丈夫なんですか?だって見回りの警備員が」

門限の20時になったら入り口のシャッターが閉まり、怖い警備員が見回って来るのは前述の通りなのだが、隆景は残るという。それでは出られないじゃないか。そう聞くと隆景はにこりと笑った。あ、目に少し隈ができてる。

「大丈夫ですよ。事前に遅くなるかもと話しておきましたし、見回りに来た時もまたお話しします」

どうやら前もって手をうっておいたようで心配は無いようだ。だが名前はそれよりも、隆景一人の為に何故この号館の入り口のシャッターを開けっ放しにできるのか気になった。警備員も手間だろうし、彼は一体何者なのか…より謎が深まってしまった。

「そうですか、あまり根を詰め過ぎないようにしてくださいね。ほっといたら死ぬまで字を追ってそうですもん」

「笑えません…貴女が止めてくださいね」

「ええぇ。ふふ、じゃあお先に失礼します」

「お気をつけて」

隆景に一礼して図書館を後にしようとしたのだが、図書館を出てすぐにある自販機に目がとまる。思い立って、自販機で珈琲を買ってまた図書館に戻る。

「小早川さん!」

「はーい、おっと」

買った缶珈琲を隆景に向かって軽く放り、そして走って逃げる。
隆景は咄嗟に受け取り物を確認すると、くすりと笑って走り去る名前に言った。

「差し入れありがとうございます。しかし館内は走らない!」

差し入れするのはいいのだが、恥ずかしいということは隆景にはお見通しのようだ。隆景は貰った珈琲をあけて笑うのだった。










明くる日。名前は隆景の正体を知る事となる。というのも、空き時間に友人とアルバイトの話になった時のこと。

「なーんか私の地元いいバイト先無くてさー。名前はバイト始めたの?」

「うん、図書館で」

友人は一度「へー」と聞き流したが、瞬時にはっとして凄い勢いで名前を見た。名前は何事かとビビる。名前自身も何も考えずに返事をしたものだから何か変なことを言ったか焦った。

「図書館て…もしかしてここの大学の図書館じゃないよね…?」

「え、え?うんそうだけど」

肯定すると、友人は目を見開かせ名前の肩を引っ掴んで揺さぶった。

「ええええっ?!嘘でしょ、何で?!なんで名前が…!」

「いたたたたた落ち着いて!何なの?!」











「小早川さん!」

名前は友人に聞いたことを胸に、我慢できずに大声で図書館へ訪れた。授業後とあって来館していた学生達が、一斉に名前に視線を投げ、慌てて口を塞ぎ司書室へ向かった。司書室に着くと隆景は変わらずパソコンと資料に取り掛かって座っていた。

「こら、常習犯。大声は出さない」

「ごめんなさい…」

「それで、要件は何ですか?」

毎度走ったり叫んだりと規則を破る名前なので常習犯呼ばわりである。それが彼女の天真爛漫さを表してあるのであまり気にせず隆景は愛着を込めてそう呼んでいた。手を休め椅子に座り直して聞く。叫ぶなりの話があるのだろう。

「小早川さんって司書じゃなくて、ここの大学長の息子で後を継ぐ為に事務員の総括役引き受けてるって本当ですか?!あっあと図書館のバイトって毎年大人気で広報係の募集を心待ちにしてる人が多いのに今年は無くて、皆が知らないうちに私が決まっちゃってるって…!」

「落ち着いて。はい吸って、吐いて、深呼吸。一纏めに話されても返答に困ります」

言われるがまま隆景の呼吸に合わせて深呼吸をし、あたためてきた話題を話せて一息つく。兎に角真相が気になるので、落ち着いて隆景の前の椅子に座る。隆景は手元にあった資料を指で弾いた。

「お察しの通り、この書類は事務の仕事です」

やはり、と名前は確信する。次の言葉を待つのだが、隆景は下を向いて口を押さえて震えているかと思うとゆっくり正面を向いた。涙目になって口角が上がっているところを見ると、笑って吹き出すのを堪えていたらしい。

「私が学長・元就の息子で事務総括だと知らないのは名字さんくらいでしょう。私のことを初めに司書だと言った時、それは新鮮だったものです」

隆景の言う通りでつい縮こまる。友人にも同じ事を言われ、それを聞いていた他の同級生らにも突っ込まれた後だから尚更だ。元就と言えばメディアに取り上げられることも屡々ある有名な人物で、一代で学校やら何やら成し遂げてしまった人だった。世間の話題に疎めな名前でも元就は知っていたのだが、息子が居る事など考えたことも無かった。顔立ちが良くこの性格なら元就のことがなくとも学校で有名になるに違いない。

「ふふ、それだけでも面白かったのに、図書館のアルバイトの条件にピッタリとくれば誘わない訳にはいかないでしょう」

「…私でよかったんですか?もっと有能な子でバイトやりたいって子、沢山居たんですよ」

「条件を考え募集をかけ、面接をして、結果を提示する…この通り多忙で、少しの事でも手間でして」

そろりと上目で聞いてみたが、最もな意見が返ってきた。確かに居残りするくらい仕事が山積みなら、大人数のバイト希望者を選別するのは面倒だろう。ほらこんなに、と書類の束を見せてくるのだが、司書室に所狭しと並べられている隆景私物の本達と見比べてしまうとどうしても少しに見えてしまった。この本達は多忙な身でいつ読んでいるのか見てみたいものだ。

「それに貴女と会った時、真面目に仕事をこなしてくれる子だとすぐにわかったからですよ」

「何でですか?」

「さあ何故でしょう。でもほら、貴女は今日までしっかりと仕事をこなして、尚且つより精進しようと励んでくれているでしょう?」

確かに努力はしているが、そんな事は誰にでもできるだろう。他の希望者を出し抜いて自分一人だけとても恐れ多い。その不安が表情に出ていたようだ。

「貴女でよかったと常々思います」

隆景は名前の頭の上に手を乗せて、ぽんぽんと優しく撫でた。撫でられた刹那、名前の中のなにかつっかえていた物が弾け飛ぶ。世間にも疎く、少しの努力しかできない、何の変哲もない自分を認めてもらえた気がしたのだ。手は数回撫でただけで離れたが、頭には感触が消えずに残った。そこを自分の手で触って、名前は改めて黙って嬉しさを噛みしめるのだった。
一人喜んでいると、隆景も満足した様子でまた書類に向き直り居住まいを正した。どうやらこの話はここで終わりのようだ。何も言わずとも互いに何と無く通じ合う物ができあがってきていた。名前も立ち上がりカウンターへと仕事へ向かおうとした。

「名字さん、そこの袋を開けてみてください」

隆景の指した先に確かにビニールがある。促されるがままに開いてみると、そこには名前が少し前から狙っていたコンビニスイーツが入っていた。何故これが!と目を輝かせる名前に隆景は笑いかけて言った。

「珈琲のお礼です。終わったら食べてくださいね」

何故私が食べたかったと知っているんだろう。隆景の謎はまだあるが、片目を伏せて言ってくるあたり本当に隆景さん目当てのバイト希望者は多かったんだろうなあと実感するのだった。



back


---------------