戦国msu | ナノ




名前は書状にて、秘密裏に隆景に呼び出された。隆景の住む居城の離れにある、林を通り抜けて開けた場所にある桜の木の下である。隆景と何度か逢瀬を交わしていたが、この場所は二人のお気に入りだった。名前がそこに着くと、隆景は既に桜の木にもたれ掛かっていた。桜は点々と花が開き、今咲かんとばかりに蕾がひしめき合っていた。名前の気配に気づいた隆景は、木から背を離し向かい合って立った。

「私は明日貴女を殺します」

隆景はどもりも溜めもせず端正に告げた。表情は無いが、瞳が揺れたのが見て取れた名前は「左様で」と短く答えた。いつかはこの日が来ると思っていたのだ。
名字一族は毛利家をかねてから支えてきた主力の一つであるが、近年は主人である毛利を通り越さんとする勢いで党首が権威を振るっていた。一族の末妹でしかない名前であるが、血を引いていることに変わりはない。鏖殺されるならば自分も含まれるというのは当然理解していた。名字一族が調子に乗り、毛利に目を付けられることもわかっていたのだ。

「遂にこの日が来ましたか…。あーあ」

「父上より密命が下りました。明朝、貴女の一族が総出で私を訪ねてくる予定になっている筈。一斉に取り掛かります」

「怖い怖い、元就さんの策謀」

兎にも角にも端正に、淡々と隆景は告げる。名前はおちゃらけて返すが、二人の距離は縮まらず一定の距離を保っていた。名前は隆景に近づいてはいけない気がしたのだ。近づいたらきっと求めて、理性で抑えている感情が曝け出してしまう。今はもう側にいてはいけない。

「父上は、毛利を存続させる為の策謀には、詭道を駆使しなければいけない事の重要さを私に学ばせたいのでしょう」

「ごもっともです。それ故に元就さんは毛利をここまで持ち上げてきたんでしょうね」

風が肯定するように吹いた。名前の言うことに隆景は応えない。暫くの間の後、隆景は名前をしっかりと見据えて切り出した。

「名前、お逃げなさい。名を変え、姿を変え。どうか」

名前は心が揺れる。腹の内は真っ黒な元就の子である隆景は、その部分も濃く受け継いでいた。違う部分と言えば、このようにまだ心の中に灯火がある点である。それは甘さだと評されても貫いているのが隆景だ。名前はそんな隆景に惹かれていたが、今回は承服しかねた。

「私は力のみで家が成り立つとは思いません。しかしこの時代、その考えが通じない事もよくわかる」

「士は武勇も大切だが、戦乱の世は詭道…謀略なりと心得よ。元就さんの教えでしたね」

「ええ。しかし貴女を殺めたくはありません」

隆景が名前に歩み寄り、距離を縮める。名前は焦った。このまま隆景に寄り添えればどんなに良いか。徐々に距離を詰める隆景に、名前は動けずにいた。顔も見られない。隆景も自分を気に留めてくれているのだ。
目の前まで来た隆景はやがて手を伸ばしてきたが、名前はついに目を強く瞑り勢い良く背を向けて離れた。
世が二人を許さない。

「隆景さん、私は腐っても名字家の者。貴方が仰る通り、この時代ではそうするしか無いのですよ」

震える唇を必死に抑えながら切り出した。そして隆景に向き直り笑う。

「元就さんは、私達の仲を知ってますよね。学んで欲しいんですよ。隆景さんがこれから毛利を支える為に」

伸びた隆景の腕は何もつかむことはなかった。掌を見つめ、そして強く拳を握り、ゆっくりと手を下ろした。隆景も笑って名前を見る。

「貴女ならそう言うと思っていました。私の思いを伝えておきたかった迄なのです、勝手をお許し下さい。…先に謝っておきますね」

先に謝るということは、隆景も既に決心しているのだろう。
貴方の思いが聞けただけで、私はもう満足です。名前は心で呟き、踵を返して歩き出す。

「さようなら、隆景さん」

「…名前、また何処かで」

隆景が反対に歩む足音が聞こえる。二人は反対方向に歩み出した。隆景の言葉に名前は応えられず、下を向きながら声も出さず泣いた。












次の日の朝。
名字家は小早川家に訪れていた。対した要件で参じたわけでもないが総出で訪れたのは、元就や隆景が裏を回したからである。それを知るのは名前のみだった。
居城に着くと、まず当主が単独で隆景に挨拶に向かった。他の者は別室に待たされる。名前は深く息をしてただその時を待った。

暫くして、先の方で主人の悲鳴が聞こえた。ああ、やったか。そうぬるく実感していると、何時もと変わらないゆるりとした調子で奥より隆景が歩んできた。真っ直ぐと、こちらに向けて。周りの名字家従者は何事かわかっておらず隆景が通る道を空ける。やがて名前の目の前まで隆景はやってきた。血飛沫一つ着物にかかっていない徹底された姿につい名前は小さく笑う。

「推参者、名字名前、潔く誅に服しなさい」

言われずとも。
隆景は音も立てず懐まで距離を詰めて、その時にはもう名前の胸は両刃剣で貫かれていた。痛みは一瞬で通り過ぎていき、急速に力が抜け隆景にもたれ掛かる。柄を再度握り直し刃を貫かせて、もたれ掛かる名前を受け止めていた。背に隆景の腕がしっかりと回って抱かれている。自分も腕を隆景の背に回してみたくとも、もう力が入らない。

私は貴方の胸の内に抱かれただけで本望なのに、嗚呼、何故刀を振るう刹那そんな顔をなさっているのですか。お喜び下さい。毛利を脅かさんとする火種が一つ消えたのです。家や血などのしがらみが消え、漸く貴方を一筋に思うことができる。どうか、どうか貴方は生きて。
せめて最期くらい笑ってくださいーーー



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隆景が名前を刺し貫いた瞬間、影より潜んで居た小早川の刺客が名字家の従者に襲いかかり、一瞬でその場は惨状になった。隆景は名字家の当主と名前を討ったのみで、後は誰にも刃をかけなかった。名前を自らの手にかけられれば、後は他の者に任せればよかった。
隆景は刀を抜きその場に力なく落として、事切れた名前を横抱きに血生臭いその場を後にした。向かうは、あの桜の下。

桜は揚々と咲き誇り、花弁が空を舞っていた。幹に重さのままもたれかかり、ずるずるとその場に腰を下ろす。

「…名前、愛しています。漸く、言えた」

柔らかい表情で眠る名前の顔に手を添えた。
後の世では、貴方を支える師にでもなりましょうか。夫婦となれずとも、何も柵がない時代でもう一度貴方と出会いましょう。


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