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図書館の隆景さん

紙と紙が擦れる音、紙にシャーペンを走らせる音、談笑を楽しむ小さな声が静かに響いてくる。名前の大学は学部が極端なものに絞られているせいか、一般と比べると少しだけ小規模な大学である。大学内の図書館も世辞にも大きいとは言えなかった。専門的な分野の資料本や新聞紙を中心に、学生にとって楽しいと言える本はあまり無い。
新入生の名前は授業が始まって数日後、初めのての課題が出され、授業後図書館にやってきた。自習室があるのだが、そちらは課題をやるだの何だの声高に叫ぶ学生達のたむろ場所に成り下がっているので名前は図書館を選んだ。
幾つかある号館の中の一つの5階に図書館はある。図書館にはあまり人が来ない。一人で静かに時間を潰す人、真面目に課題に取り組む人が数人来ているようだ。名前はこれくらいが心地よいと感じ、早速窓際の席に座り、課題に取り掛かる。入学したての名前は張り切って文字を書き連ねていった。








「よし…と、終わった。あれ、誰もいない」

課題が終わる頃には、図書館には誰もいなくなって居た。人が出て行く気配も気が付かない程集中していた名前は大きくのびをし、ふと窓の外を見ると、既に空は暗くなり星が瞬いていた。これはまずい。集中し過ぎて閉館時間を考えていなかった。

「やばい!入り口が閉まっちゃう!」

この大学では、閉館時間である20時になるとどの館でも自動的に入り口のシャッターが降りて来るようになっていた。そうなって閉じ込められれば、見回りにくる警備員に厳重注意を受けるのだ。その警備員のおじさんが恐ろしいと評判で、名前は怒られるのを想像して戦慄した。急いで完成したレポートや筆箱を鞄に放り込み、入り口に向かおうとするが…。

「ひっ?!真っ暗…!」

バチン、という音ともに図書館全体の電気が消えてしまった。電気も自動的に消えるようだ。流石に突然の暗闇にはかなり驚き名前は焦りから暗闇への恐怖が生まれてきた。夜の学校はただでさえ少し怖いのに、新学期早々、自分一人で真っ暗。不安で仕方が無い。

「とっ兎に角出なきゃ、携帯、明かり…!」

もはや半泣きになっていた名前は、鞄の中の携帯を見つける為に必死に漁った。こういう時に限って奥深くに潜り込んで中々出てこない。その時。

「まだ誰か居るのですか?」

名前以外の声が聞こえた。男性のようだ。まさかもう警備員のおじさんが見回りに来たのかと頭をよぎったが、それにしては早すぎる。何より声が若い。まだ学生が居たんだと名前はホッと息を吐き居住まいを正す。すると、名前は突然眩しくなり目を瞑る。自分目掛けて光が入って来ているようだ。

「ああ、眩しいですね。失礼しました。やはりまだ学生が居ましたか」

そう言われると眩しさは無くなり、目を開いても目が慣れずよく見えない。徐々に慣れて凝らして見ると、目の前には懐中電灯を足元に照らした男の人が立っていた。暗闇でも僅かな光で反射している金髪、しかし派手な雰囲気ではない。自分より幾つか年が上だろうか、顔つきは整った青年のようだ。
しかし今彼は自分の事を学生と言わなかったか?それにこの時間に図書館の電気を消しに来ている。ということは彼は先生なのだろうか。そうだとすれば若い。

「誰も居ないと思って見回りもそこそこで消してしまいました。すみませんね。」

「いえ!私が時間を見ないで課題やってたのが悪いので。えっと…」

「小早川隆景です。この図書館を任されている者です」

「…図書館司書?!ここの図書館、司書が居たんですね」

小早川隆景と名乗った彼は図書館司書だったようだ。大学生でも通用しそうな面持ちだが一体幾つなのだろうか。しかし司書という言葉に少し考えるようにふむ、と言った。

「司書と呼ぶかは貴方次第です」

「? …兎も角、こんな時間までごめんなさい小早川さん!すぐ帰ります」

よく意味がわからなかった名前は取り敢えず謝罪した。それを見た隆景は笑んで踵を返した。

「いいえ。私が会議でここを空けていたから悪いんです。暗いですし一緒に入り口まで行きましょう」

よく見ると隆景も肩から鞄を提げていた。そりゃこの時間先生も帰るわな…と納得した名前は、お言葉に甘えて隆景と一緒に階下へ歩くことにした。図書館の外の階段の電気は人が通ると付くようになっている為、名前らが歩くと順番にぽつぽつと付いていった。足音も二人だけで、普段騒がしい所に誰も居ない不気味さで名前は少し怖い。隆景が居なかったら叫びながら耳を塞いで走りながら帰宅しただろう。七不思議になる所だった。一人脳内で安心していると隆景が話しかけてきた。

「貴女は何故こんな時間まで図書館に?」

「出された課題をさっさと終わらせたかったので」

「頑張るのは感心ですね。しかし女の子が一人夜道を帰るのは危険です。次からは考えながら帰って下さいよ」

「すみません…家だと絶対後回しにしちゃうので」

遠回しに怒られたが、警備員の鬼おじさんじゃなくてよかった。同じ怒られるでも、彼のは何だか、心地よく感じてしまう。歩調も合わせて歩いてくれる彼に流石、と思わざるをえなかった。
そのうち一階の入り口につくと、同時にシャッターがゆっくりとしまりはじめた。入り口を出ると入れ違いで噂の警備員がシャッターを確認しにやってきた。あのままだと確実に叱られていたに違いない。すると、隆景は少し寄って耳打ちをしてきた。

「良かったですね。彼は根はいい方なのですが、少し怒り方が横暴だ」

隆景は片目を閉じて名前に目配せした。どうやら警備員の事を知っていて帰ってくれているのもあるらしい。彼は命の恩人だ…。

「小早川さん、本当にありがとうございました。また行った時はよろしくお願いします!」

「こら、常習犯になるつもりですか。…気を付けて」

ふふ、とお互い笑いあうが、何せ名前には図書館に入り浸りそうな理由があった。雰囲気が気に入ったのもあるが、それにもうひとつ。指を指して名前は言う。

「大丈夫ですよ。アパート、目の前なんです。家だと一人でだらけちゃいますから」

隆景は目をぱちくりと瞬きをし、名前の指差した方向を見た。其処は図書館がある号館の目の前、道路を挟んだお向かいのアパートだったのだ。大学に通う為に遠方から下宿しに来ていたのだ。名前は勉強しに来るなら図書館はうってつけだと考えていた。元より友人と勉強するのを嫌っていたのと、憧れていた一人暮らしを始めたはいいが、如何せん好きにコーディネートした部屋は誘惑が多過ぎる。自分を制する意味も込めて、これからは図書館に来ようと決めてしまっていた。
隆景は暫くアパートを見ていたが、はっと閃いたように目を輝かせて名前を見た。

「貴女、下宿先が其処だと言いましたね」

「はい?たった今言いましたね」

「そして図書館に入り浸るとも」

「…其処までは言ってませんが落ち着きますし勉強する時とかはお邪魔します」

「いえ、入り浸って下さい。貴女、図書館でバイトしませんか」

名前は隆景の突然の申し出に驚く。何せ学校の、しかも図書館でバイトなど聞いたことがなかったからだ。高校生の感覚が抜けていないからか、まだバイトという言葉にぱっとこない。確かにバイトはしようと探してはいたが、まさかこのような形で勧誘されるとは。

「図書館でバイト?聞いたことがありません」

「珍しくはありませんよ?昨年までも学生が勤めてくれていたのですが、卒業してしまいましてね。働き先が欲しい学生です、大学が率先して何かと募集しているのですよ」

「へえー」

「それに、うちの大学のバイト募集の対象は下宿生が殆どです。近いと便利でしょうし、身の安全の事も考えてね。それに貴女の家は目の前、運命ですね」

「運命って…」

「今日のように会議などで空けてしまうことが多々あるのです。時給も悪くありませんし、時間もこの時間迄ですよ。お願いできませんか」

有難いことだと素直に思った。確かに下宿していると全ての家事炊事は自分一人でしなければいけなく、近いし通っている大学内でバイトできるとなればとても助かる。例え今日のように夜に帰るとしてもアパートは目の前、悪い話では無い。というより、既に名前の両手を握って離すまじと目を光らせている隆景からの圧力が凄い。運命で片付けて強行に出ている。この人こそ、怒らせたら警備員より怖そうだ…名前は察した。隆景の気迫はさて置き、断る理由も無く好条件なので名前の気持ちは簡単に決まった。

「私で宜しければ、お願いします」

「貴女ならそう言ってくれると思いました。ありがとう…あ、お名前を聞いてなかったですね」

貴方が言わせたも同然なのだがとは突っ込めない。

「名字名前です。よろしくお願いします」

「此方こそよろしくお願いします、名字さん」

握られていた両手を顔のあたり迄持って来られて、綺麗な笑顔を浮かべた隆景に、気迫から微妙に目を逸らしていた名前は漸く隆景の顔を見た。本当に嬉しそうに笑う所を見ると、困っていたのだろう。そうと分かるとやる気が出て来るのが名前であった。つられて笑うと手を少し握り返した。

結局、隆景はすぐ其処だと言う理由でアパートの前まで送ってくれた。恐縮だが、人恋しさもある一人暮らしの名前にはとても嬉しかった。

「詳細は明日、授業が終わったら図書館に来て下さい。では、お休みなさい」

「本当にありがとうございました。お休みなさい」

お辞儀をすると、隆景は手を軽く振って来た道を戻って行った。その背中を見送ると、名前も自分の部屋への階段を登った。今日は色々あったが、バイトも決まり課題も終わり、これからの日常を考えて胸を高鳴らせる名前であった。

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