「人間というものを ボクは理解しかねます」
そう徐に主張すれば奥村燐はまたかと言いたげにこちらを見るだけで何も答えない。どうしたのでしょう、脳の働きをよくするために飴でもあげましょうか。兄上に頂いた飴をポケットから取り出し、奥村燐に渡すと 彼はお礼を言って受け取ってくれたが すぐに驚いたような声をあげた。
「どうかしました?」
「お前な…粉々になってんじゃねぇか」
ほらみろと返されたそれは確かに原形を留めていない。「きっとキミの部屋に来る前にベヒモスと遊んだのが原因でしょう」しくじりました。取り敢えず一応の言い訳をした後、その食べる気の起きない飴を窓から落とす。「食べていいです!」外に待機させてきたベヒモスに命令を与えると、再び驚いた声をあげる弟が面白かった。
「すみませんが飴は諦めてくださいね」
奥村燐は「おお」とひとつ返事を返す。この件は片付いたと結論付け、閑話休題としましょう。
「キミに尋ねたいことがあるのです。簡易なものなので、深く考えずに答えて下さい」
「お前はそう言うけど いつも頭がおかしくなりそうな質問ばっかじゃねーか」
「ボクの脳はキミのとは違うのですから、仕方がないのでは?」
「おいコラそれはどういう意味だ…!俺のこと馬鹿だって言ってんのか、そうなんだろ?ほら怒らないから言ってみろよ」
「その言葉は大抵嘘なのだとてれびで言っていたので 拒否します。被害妄想が大変酷いですよ、奥村燐」
何かナイーブになってしまう出来事でもあったんでしょうか。聞いてあげてもいいですよ、面白い話なら。勘違いをしているようですが、ボクは何も馬鹿にしたわけではないです。兄上曰く 壊れた脳を備えているらしいボクが キミの頭脳の出来を悪く言うのは皮肉というものでしょう。補足しますと…ああ、また話が逸れましたね。キミと言葉を交わすといつも脱線してしまうのが不思議です。再び閑話休題。
「ボクは人間に対して露ほどにも興味は無いつもりですが、しばらくは物質界に居座る予定なので暇潰しのためにも人間という生き物について学んでみようと思いました」
「ふーん、それで?」
「少しも理解できません」
「…どこが?」
「全てが、です」
意を解せないといいたげに首を傾げる弟に どうかみ砕いて話そうかと数瞬考えてみたが面倒になってやめてしまった。彼には率直に話すのが一番だろう。
「わからないんです。何故一緒にいたいと思い合うのに別れてしまうんですか、何故愛しているのに殺すんですか。何故望んだ通りに行動しないのか、理解しかねます。好きなように生きていけばいいのに。わざわざ自分の欲求にブレーキをかけて押さえ込むなんてボクは嫌です」
兄上にも同じ質問をしましたが、そういう生き物なんだ とあしらわれてしまいました。ご多忙なようです。ボクは暇で暇で仕方ないというのに。奥村燐はボクの弟のようなもので、勿論悪魔に違いないですが、こちらで人間として生きてきた時間が長いので人間的な答えをくれると期待しています。じーっと見つめていると奥村燐はうーんだかあーだか奇声を捻り出した後、ばつが悪いといった感じで口を開く。
「確かに変だけどさ、やっぱり人間はそういう生き物なんじゃねーかな」
「それでは兄上と同じ解答です」
「メフィストの答えは…究極の結論みたいなものだと思うぜ」
「……」
そういうもの、とはどういったものでしょうか。
「やりたい放題じゃ、多分人間は生きていけない」
「何故ですか」
「人間の社会の…仕組みってやつがあるからな。やりたい放題だったらひとりぼっちになっちまうだろ?」
「それでもいいではないですか」
「駄目なんだよ。人間はひとりじゃいきていけない。…ああ、成る程、多分そこが違うんだな」
ボクを置いてひとり理解したらしい奥村燐はうんうんとすっきりしたように頷く。ボクはわからないことが増えたというのに、どういうことでしょうか。ボクは無視されるのは勿論、置いてけぼりも嫌い故 意識をこちらに戻すために弟の頭をこんこんと爪で突いた。「刺さる刺さる!」喚く弟の額を弾いてやろうとしたが、やめた。
「ボクにもわかるように説明してください」
キミだけ理解しているのはずるいです。
「ああ、あれだ、悪魔がみんなそうなのかはわかんねーけど お前は基本的にいつもひとりだろ?」
「ええ、まあ」
「寂しいか?」
「さあ…特に侘しいと感じることはないですね。昔から、ひとりでいることが多かったですから」
「そうなんだろうな。でも、人間は違うんだ。家族は当然、友達とか仕事仲間とかと付き合って生きていかなきゃいけない。色んな人間関係の中で生きるためにも自分を抑えなきゃいけないんじゃねーかな」
そういう、ものでしょうか。共に在りたいのに別れ、愛しているのに殺す、それらは生きていくための重要なものだというのですか。もしキミが断言する通り、人間がそのような生き物ならば
「それは、なんと面倒なのでしょうか」
感情が複雑すぎて ネジが数本粉砕したボクにはとても理解できない。「どうすれば、どう変われば理解できるでしょうか」求めた答えを知っているのに理解できないのはなんだかとても悔しいです。「そうだな…」奥村燐は考えるような素振りを経て、ボクに向き合う。
「まず、友達を作れ!そしたらお前の知りたいことは自ずと分かってくると思うぜ」
にかっと笑う弟は本気で言っているらしい。ボクがこちらで友達を作るなんて無理に等しい。しかし それが出来なければボクの疑問は恐らく解決されないだろう。ああ、考えなければいけないことがまた増えてしまいました。「どうした?」黙りこんでしまったボクをみて 奥村燐は心配そうに声をかける。ああ、そうだ、そうでしたね。ボクが人間と友達になるのは難しいでしょう。だから
「キミと友達になろうと思います」
ぴびぴ とけーたいが鳴く。きっと兄上が帰ってくるようボクに連絡しているのだろう。早く帰らなくては。驚く奥村燐を置いて窓からぴょんと飛びおりる。ベヒモスを踏み潰すところでした、危ない危ない。「おい待て!どういう意味だ!」「そのままの意味ですー!」頭上から降ってきた声を打ち返して暗闇に紛れた。勿論ベヒモスは忘れません。まだ聞こえる奥村燐の声に「また来ますねー!」と柄にもない大声で一方的な約束を押し付け返す。帰ったら兄上に自慢しましょう、ボクにも友達ができましたと。暗闇でベヒモスがひとつ唸った。
(気づいてくれたでしょうか奥村燐。机の上の飴。ボクが残していた最後の飴です。友達の印に、キミにあげます。だから今度ボクが訪れた時は、けーたいの番号を教えて下さいね。友達の印、ボクも欲しいですから)