「お帰り、僕らのアリス」

そう言われて私はハッと顔をあげた。
ぼんやりと視界が歪む。どうやら少し眠っていたようだ。

寝惚けている頭を無理矢理現実に引き戻して、私はあたりを見回した。
ここは、どうやら大きなエントランスホールらしい。

立派な建物だけど、飾り気は全く無く、窓さえないから、今が昼か夜なのかも分からない。

中央に机と椅子が一つずつあるだけ。
その小さな椅子に私は座っていた。

「お帰り、僕らのアリス」

目の前でにんまりと不気味なほど裂けた口が、繰り返す。
彼は荘厳な雰囲気でたたずんでいた。

いや、果たして彼と言うべきなのだろうか。
私の前に立つこの人は、黒の服を全身にまとっていて、露出している部分は口だけだったのだ。
性別は愚か、人かどうかさえも分からない。
声が低いからおそらく男性だろうと判断しただけだ。

私は、心に浮かぶ疑問を投げかける。


「あなたは、誰?」

「俺は、猫だよ。アリス。」

「私達の世界に二本足で立つ猫はいないだろう。」

「君は、俺を覚えていないのかい?」

彼はそう言ってあっさりフードをとった。
炎のように真っ赤な髪が目に焼き付く。

彼と私の目が合って、視線が交差する。
瞳は黄金のように輝いているものだから、吸い込まれるような錯覚に陥いるところだった。

口は真っ赤で裂けている。こっそりと存在を象徴する八重歯がとても印象的だなと思った。
そして頭の上には、確かに猫耳が生えている。

「本当に猫耳があるのか。
びっくりだな。尻尾もあるのかい?」

「俺は猫だからな。アリスの忠実なしもべさ。」

「それから私の名前はアリスじゃない。
涼野風介という名前があるのだが。」

「俺は猫だからね。アリスを間違えたりしないよ」

ニヤリと笑って
(口が裂けてるからそう見えるのかもしれないけど)
猫は繰り返す。

「それにここはどこ?私はこんなところに来た覚えはないのだが。」

「ここは不思議の国さ。

アリスをずっと待っていたんだよ。」

私はうっすらと思い出していた。
小さな頃、白ウサギを追って辿り着いたこの不思議の国を。
ウサギだけではなく、ネズミや帽子屋、女王様やチェシャ猫たち。
色々な人達に巡り会った可愛らしいあの世界を。

「ここは不思議の国なのか?ああ、それなら久しぶりに彼らに会いたいね。
あれ以来、ずっと来ることができなかったから。

…けど、君とは会った記憶はないな。」

"猫"はどこか不思議の国に似つかわしいオーラを放っていて、この世界の住人とは思えなかった。

「俺はチェシャ猫さ。」

「まさか。チェシャ猫は君ではない。
彼は四本足で歩く普通の猫だった。

記憶が曖昧とはいえ、チェシャ猫は君のような容貌はしていなかったはずだよ。」

「世界は常に変動しているんだ。
ほら、アリスが喋って間にもね。
いつまでも同じものなんて有りやしない。」

ニッといやらしい笑みを浮かべる。
この男は、それで押し通すつもりらしい。
私は諦めてチェシャ猫、と呼ぶことにした。

「さあ、アリス。
出掛けようか。
そこの扉から出ることが、できる。

あの頃の好奇心を今も忘れてないといいがな。
その冷めた瞳はどうもいけない。」

彼はフードをかぶり直し、扉まで歩いていった。
スルスルと歩くから、足音がしない。全く不気味な奴だと思う。

「失礼な奴だな。扉からどこに辿り着くんだい?」

「進めば分かる。
立ち止まってちゃ物事は姿を現さないよ、アリス。

それから、
…決して白ウサギには近付くなよ。」

突然出てきた白ウサギというワードに、思わずピクリと身体が反応する。

「どうしてだい?」

「理性が腐ってしまっているからな。
アリスに異常な愛情を持っている。
彼はアリスを惑わす危険な存在だよ。」

昔の白ウサギからは到底想像できない姿だった。
けど今は、チェシャ猫の言葉を信用しておくことにした。
判断は後からでも遅くない。

私が立ち上がるとチェシャ猫は、姿を消した。
もうそれすら、私にとっては驚くに値しなかった。

なぜならここは不思議の国だから。私の世界の常識は通用しないのだ。

「ついてこないの?」

「傍で見守るさ。
俺はここでは嫌われものだからな。」

へえ、と素っ気ない返事をして扉のドアに手をかける。
なぜ、とは聞かなかった。


私は大人に近づいて、昔ほどの好奇心をなくしてしまった。
小さな頃、あんなにワクワクした不思議の国。
けれど今は至って冷静にこの場所を見つめている自分に気づく。

そんな自分がなぜもう一度、この国に導かれたのかは分からない。
問いかければ必ずしも答えが返ってくこないことは、もう知っていた。
答えを探すのも悪くないかと、私はそっと扉を開けた。



to be continued...



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