密書を手に入れた。最後の蜀帝、劉禅へと送られたものだ。
差出人の名は姜維。
中に書かれていたのは―

シュレーディンガーの鼠

「姜維!これはどういうことだ!!」

鍾会の怒号が邸内に響く。
向けられたその先には両手足を荒縄で拘束され、柱へと縛り付けられた男。

「貴様は、貴様は私を――」
「殺そうとしていた」

鍾会の言葉を遮って姜維が続ける。
憎しみに満ちた瞳の鍾会とは対照的に、姜維の瞳は恐ろしいほどに冷めきっていた。
まるで全てを見透かし、そして興味がないというような瞳。
その瞳は鍾会のほうにこそ向けられているが、鍾会を見ることはなく、その先の何かを見つめていた。

「あなたは計画通りに動いてくれた。司馬昭を討ち取り、トウ艾を滅した。あと少しで私の悲願は達成されたというのに」

淡々と姜維は語る。
その顔を見つめる鍾会との視線は交わることなく、平行線を描いていく。
その様子が気に入らず、鍾会は苛々をつのらせる。

「……貴様は私を、愛していると言ったな。あれは嘘か?」

突然の質問に姜維は目を丸くし、そして鍾会を嘲るように、鼻で笑った。

「あんな虚言を本気だと受けとるとは、魏国の司徒も堕ちたものだな。お前などに私が好意を抱くわけがない」

「……下衆が……っ」

思わず殴りそうになった拳をぐっと握りしめ、必死の思いで堪える。
姜維を殴りたかった。だが、鍾会にそのようなことはできなかった。
鍾会は姜維を愛していた。
姜維は鍾会が親族以外で初めて愛した人だった。先の謀反も、半分は姜維のためだった。
その愛した人が鍾会を裏切り、あまつさえ殺そうとしていたのだ。否、裏切ったというより、最初から利用手段としか考えていなかったのだろう。

「殴りたかったら殴ればいい。殴るなり蹴るなり好きにしろ」

その様子を感じとったのか、投げやりな言葉が鍾会へとかけられる。
だが、それでも鍾会は拳を震わせるだけで一向に殴ろうとしない。
そして初めて姜維が鍾会を見つめる。
様々な感情が入り乱れた――しかし冷徹な視線が鍾会に突き刺さる。
耐えきれずに鍾会は部屋を後にしようとした。

「それがお前の答えか」

臆病者。
背後で姜維がせせら笑う。
苛立ちが頂点に達した鍾会はぐるりと姜維の方へ向き返してずかずかと近寄る。
姜維など、この場で斬り捨ててしまいたい。
あらん限りの暴力をぶつけ、殺してしまいたい。
それができない。自分はこの後に及んでもこの男を、姜伯約を愛している。
例え彼が自分を愛しているどころか憎んでいても、私は彼を愛している。
彼の触りの良い髪、聡明な瞳、戦をしてきた者の凸凹の手、いつも深爪をしている足の爪先。
余すところなく彼を愛している。全てが好きだ。
そんな彼を殺すなど、私には。
冷たい視線が鍾会を見つめる。
彼を殺せない自分を心の底から恨んだ。腹立たしい。

膝を折り、姜維の方へ重心を移動させる。腕を首元に回し、抱き締める。
懐かしい匂いだ。鍾会は暫く姜維を抱き締めていなかったことを思い出す。
姜維は声を発しない。

「それでも私はあなたを愛していた」

抱き締めた腕を離して立ち上がる。
姜維は呆れたと言うように憐れみの視線を投げ掛ける。
部屋を後にした鍾会は、部屋と外界とを隔てる重たい石の扉を閉めた。
まるで自らの感情に蓋をするように、重厚な扉に鍵を掛ける。

裏切りは大罪だ。殺さなければ下の者に示しがつかない。
鍾会は姜維を斬り捨てるつもりで部屋へ訪れた。せめて自分の手で殺そうと。
だが、それすらできなかった。姜維を殺すなどできるはずがない。
ならばどうする?他の者に殺されるのは絶対に嫌だ。
どうすればいい。

重たい扉の前に鍾会は立ち尽くす。
選択した手段は監禁し、餓死させること。

次にこの扉を開いたとき、彼は生きているのだろうか。それともその命を終えているのだろうか。
答えは扉を開けるまでわからない。
生死がわからぬ扉の向こうで彼は永遠の命を手に入れた。



/実際に確認しなければ生死がわからない=生きているのかもしれない=確認しないかぎり永遠に生きているということにも考えられる


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