私はそれを知っている


燃えるような赤さの日が沈むのに合わせて、辺りは夕闇に飲まれていった。街灯は爛々とした光を灯し、闇をロマンチックに染めあげる。
着物を着た男性とドレスを身に纏った婦人が石畳の上を通り過ぎ、馬車の蹄の音に飲まれていく。
姜維は鴉色の燕尾服を纏い、小洒落た傘と懐中時計を手に持ち、足早に人の中を通り抜けていった。

西洋館の通りに入り、少し入り組んだ路地を抜け、大きな通りへと出る。立ち並ぶ洋館からは微かにオルガンの音色が漏れだし、耳へと届く。
並んだ館の内、1つの大きな扉を叩くと、ギィと低い音をたててゆっくりと開いた。出迎えた若い使用人に名と用件を告げると、中の主人の元へと通された。

「遅くなってすまない、鐘会殿」

帽子と傘、上着を持たせた使用人が一礼をして奥へと消える。その館の主人、鍾会はチラリと持たせた傘へと目をやった。

「いや、謝らなくてもいい。食事を用意させている。奥へと行こう」
「ありがたい。では、お言葉に甘えさせて頂こう」

時は明治。長きに渡った鎖国をやめ、開国された日本では急速な西洋化が進んでいた。着物ばかりだった街にはドレスや燕尾服で着飾った人々と目新しい服の警官が行き交う。

その日本で、鐘会と姜維は貿易商という職についている。姜維は清の貿易商である。鐘会は姜維とルーツこそ同じものの、オランダ人の父を持つ混血児だった。
姜維は生まれも育ちも清国だが、鍾会は父が日本で貿易商をしていたこともあって生まれも育ちも日本である。

そんな二人が出会ったのは昨年の夏。日本に来たばかりの姜維に街を案内し、通訳をしてやったのが鍾会だった。
そのお礼に姜維は鍾会を自邸に招いて盛大にもてなした。それから少しづつ、二人は空いている時間を見つけてはどちらかの屋敷で共に過ごす、ということを繰り返すようになった。

「姜維殿、先程の傘は見事な品だな」
「ああ、あれはこの前知り合いの商人から買い取ったんだ。確か、オランダのものらしい」

ナイフとフォークを器用に使って肉を切りながら姜維が呟く。鍾会はへえ、今度は私もその商人の元へ連れていってくれないか、と返すとスープを掬って口許へ運んだ。
煌めくシャンデリアの下で姜維と鍾会は贅の限りを尽くしたような西洋料理と他愛ない話を楽しんでいた。


こうして鍾会殿と話しているとつくづく思う。私は、鍾会殿を知っている。
いや、今の話ではなく、どこか遠い遠い昔に彼のことを知っていた。だが、彼が誰だったのかは思い出せない。
もしかすると只の妄想なのかと疑ったことは幾度となくあるが、日に日に知っていたという思いは強くなるばかりなのだから、知っていたというのは事実なのだろう。
彼も私を知っていたと言う。ならばお互いに知り合いだったのではないか。だがそれがいつの事かは思い出せない。とにかく遠い昔の話だと、思う。
思考する頭とは別に視界の隅で暖炉の火が揺らめいた。

「……いどの、姜維殿!」
「あ、ああ。すまない、少し考え事をしてしまっていた」

どうやらすっかり考え事に耽っていたらしい。意識を目の前の男に戻す。

「最近疲れているんじゃないのか?仕事も程々にな」
「ああ……そうみたいだ。きちんと休息は取っているつもりなのだが」
「全く……あんたは働きすぎだ」

姜維は苦笑して鍾会の方を見やる。鍾会はやれやれ、というようなため息をついた。かと思えば、そうだ、という声が飛んできた。

「今度銀座に鉄道が開通するらしい。よかったら姜維殿も一緒に観に行かないか」
「私と……?」

姜維は目を見開いてぱちくりさせた。
普通こういうイベント事は女性を連れていった方が喜ばれる。ましてや鍾会ほどの美男子だ。連れていってほしいと誘ってくる女性は山程いるだろう。
それを姜維に、一緒に行こうと。

「すまない、駄目なら――」
「いや、私で良いなら是非」

俯きかけた鍾会の顔が一気に明るくなった。それを見て姜維は微笑む。暖炉の火がぐらりと揺れた。

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