泡にもなれやしなかった
鴉のような真っ黒い人影は問う。
「さあ、君は何を願う?」
事の始まりは彼氏の真崎桐哉とのデートの帰り道だった。
その日は桐哉の誕生日で、朝練が終わってから部活の人がカラオケに誘っていたけど、
「俺は今日渚とデートだから。」
そう言って私の腕を引いてさっさと早退してしまった。
さすがに自主早退はまずいって、なんて思っていたけど、桐哉が渚と一緒にいたいんだ、なんて言われたら断れる訳もなく、ゲーセンに行ったりカフェで昼食を取ったり、そして遊園地に行った後、桐哉におそろのピアスをプレゼントして二人で幸せ気分で帰っていた。
そんな時にいきなり曲がり角から女(と言っても同い年だが)が飛び出して来た。
包丁を持った女が。
…ここって今ドラマの特撮とかやってたかな、なんて脳内でボケて見たがその時はまだ危機感も何もなかったのだ。私はまだ幸せ気分で浮かれていたのだ。
しかし、その女は私達を見つけるとニヤリと効果音がつきそうな感じの笑顔でこちらへ向かって来た。その瞬間だけだったのだ、現実味を帯びていたのは。
脳内では警鐘が鳴っているのに私は唖然としていて逃げることも考えられなかった。ただそこに佇むことしか出来なかった。そうしている内に目の前まで包丁を持った女の端整な顔が迫っていた。
綺麗だな、なんてこの状況に相応しくないであろうことを考えていたら目の前に桐哉がいて、
包丁で刺された桐哉がい、て?
私の目の前に赤い血が広がった。
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤…女が持っている包丁が抜けて桐哉の赤い血が傷口から服へ、そして地面まで血は広がった。手が何かを訴えるようと微かに動いていたがどんどん動きが鈍くなっている。傷口から、耳から、鼻から、口から流れ出る血が私の思考に刻み込まれていく。
私は桐哉をじっと見つめていたら腹に違和感を感じた。見てみるとさっきの少女が桐哉に刺した包丁を今度は私に刺していたのだ。それを視覚が感じとった途端に嗅覚が、味覚が、聴覚が、触覚が急に働きはじめた。血の濃い臭い、鉄さびのような味、自分の聞いたことのないような苦しむ声、そして強く鋭く耐え切れない激痛が私を襲った。その間私の激痛などお構いなしに女は何度も何度も私を刺した。まるで蟲を嬲り殺すかのように何度も何度も私は刺された。働きはじめた聴覚が掬い取った音は私の声と女の声だった。聞こえてくる声は私の悲鳴と今桐哉を殺して私を刺している女の淡々とした言葉だった。
「声が耳障りよ。黙ってよ、ウルサイから。」
「二人殺せばどうなるのかしら?」
「全く神様っていうのも面倒だわ。わざわざ何で私が生贄を自分で用意しなければならないのかしら?」
刺された腹を踏んだり蹴ったりしながら女は最後の一撃とでもいうように包丁を振り下ろして私の左胸に突き刺した。
「これで私は皆に愛されるんだわ!!」
その高笑いとともに聞こえた言葉を最後に私は意識がなくなった。
気付いたら、私は真っ白な空間にいた。
夢だったのかそれとも死んだのかよくわからず考えていると一瞬で、さっきまでそこにはいなかったのに鴉のような真っ黒い人影が目の前に現れた。
キャパシティーオーバーしたように何も考えられなくなった私に人影は唐突に話し始めた。
「もう来たんだ…随分早い到着だね。」
「…?」
「ああ、自己紹介とかいる?何かよくわかってないらしいから説明するよ。僕は君たちが言う神様ってやつだよ。」
「あなたお幾つですか?」
真っ黒いのも中二病か…残念な人だな。
「わー随分と酷いこと考えてるね。読心術つかえるから残念な人だとか丸聞こえだよ。僕は本当に神様だから。」
疑うなんて酷いー、と嘘泣きするような仕草を取る目の前の神様とやらが非常にウザイな。考えていることがわかってしまうらしい。プライバシーの侵害じゃん。
「人の法則は神様には適用されないからねー。…まぁ、いいや。えーと…、」
なんて言いながらいきなり白い紙が自称神様の手の中に出現して、何か事務的に話し始めた。
「『我妻渚様へ
こちらは魂管理局事務所です。先刻こちらへ来た姫宮彩華様が“テニスの王子様”の世界へトリップしたいと仰いましたため、対価の話をし始めたところどうやら人間の魂が生贄だと勘違いしていたようで、結果貴方様方を犠牲にしてしまいました。
こちら側としてはまだ余命のある命は裁くことができないため、姫宮彩華様と同じところに転生してもらいます。こちらの不慮で誠に申し訳ございませんでした。』
以上。」
紙を折り畳んで私に渡してきた。
「と、いう訳で君たちには“テニスの王子様”の世界へ転生してもらわないといけなくなったんだ。こちら側からはお詫びとして転生だけどトリップ特典を実施することになってさー。願い事は三つまで。さあ、君は何を願う?」
そこまで言い切ると神様はニヤニヤと神様らしからぬ笑みで私からの言葉を待っている。
「神様って実は今の状況愉しんでいるでしょう?」
「うん!だってこんな修羅場なトリップは久しぶりだから面白くしてくれるのを期待してるよ?」
「…悪趣味。」
この神様にはイラッときたが何を言っても聞かないだろうと思って、話題をかえた。
「その私達を殺した姫宮彩華って言う人はどんなことを願ったの?」
先程から出て来た名前を言うと神様はカラカラと笑ながら淡々と答えてくれた。
「あぁ、彼女なら『逆ハー補正(強)』と『戸籍と父親が大企業の大金持ち』と『テニスのみ最強設定(弱)』だったねー。」
「強弱って選べるんだ…。」
「たぶん愛されたいから一番強い逆ハー補正をつけて、でもバケモノ扱いされたくないから一番弱いテニスのみ最強設定をつけたんでしょ。
で、君はどうする?」
どうやら私は姫宮彩華さんと同じように玩具として気に入られているらしい。複雑な心境である。
「一つ目が『記憶の継続』で、二つ目が『お金に困らない家庭』、三つ目は『神様と同じ読心術』がいい。」
「『僕と同じ読心術』?また変なモノを願うんだね。」
不思議そうな神様に今度は私が先程の神様と同じニヤニヤした顔で言ってやった。
「だって、桐哉も同じ世界へ行くなら私は二度と桐哉を危険に晒したくないから。」
「君、気に入った。その願い、聞き届けてあげる。ついでに、僕との連絡手段もつけてあげるよ。」
「それってルール違反じゃん。」
「神様が全てのルールだから大丈夫。目、閉じて。」
言われた通り目を閉じると、だんだん意識が遠ざかっていった。
気がついたら、私は二度目の人生を始めていた。
(神様side)
「さて、後一人にも会いに行きますか。彼女が好きな男にでも、ね。」
そう言った瞬間、さっきまでいた黒い人影はいなくなり、また同じただの真っ白い空間になった。
title…『BOBBIN』より。
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