「だからね、ホグワーツにもジャージを導入するべきだと思うのよ」
「そろそろその口閉じて頂いていいですか」

ここスリザリン寮で、恐れを知らないような口振りでマグルの物の名を口にする者は、古今東西ナマエ先輩くらいしかいないんじゃないか、とレギュラスは常日頃から思っている。
先月は全自動卵割り機とやらにはまっていた。卵くらい自分で割れ。
それらの物がどれだけ素晴らしいかをわざわざ僕の隣に来て喋るんだから、僕は彼女に恨みやら何やらを持たれているのだろうか。ああ、寮生の目が痛い。
それとも僕が婚約者だから、近くに来て喋るのであろうか。
後者だとしたら大迷惑だ。
ブラック家と同じく、彼女の家もかなりの名家である。純潔主義なのは言うまでもない。
ただ、純血であることと興味のベクトルは彼女にとって異なる次元にあるようだった。
初めて会った時はれっきとしたお嬢様だったものの、ホグワーツで再会した際の最初の言葉は「チャッカマンって使ったことある?」だった。
婚約者との再会に、幼いながら胸の高鳴らせていたのに、突然驚愕と混乱の渦に叩き込まれたあの瞬間を、僕は忘れはしまい。
捻くれ者の兄とナマエ先輩は性格こそ全く違うものの、会話の根本的な思想が違うことからくる違和感は、まるで兄と話しているよう。これから死ぬまで彼女と寄り添うことになるのだと思うと恐ろしく気が滅入る。
僕はあのお方のためにこの身を捧げたいと思ってるし、もちろんナマエ先輩が何と言おうとこの考えを曲げるつもりはない。
僕は僕のまま、先輩は先輩のままでいるというのなら、近いうちに必ず衝突が起こることは目に見えていた。
思わず深いため息をついた。
ナマエ先輩がちらり、と視線を寄越して、食べる?とチョコレートが詰め合わされた箱を差し出してくる。
「……頂きます」
能天気なものだ。
僕がこんなに悩んでいるのも知らないで。
カラフルなチョコレートの中から、シンプルな茶色一色ものに手を伸ばした。カラフルなものに手を出すとナマエ先輩は目に見えて落ち込む。
「あっ、レギュラス、それシェルチョコレートだよ。中身はストロベリーチョコレートの。ジャンドゥーヤはこっち。」
そういってキャラメル色の、緻密なアラベスク模様が施された一粒を指差した。
食べてしまうには惜しい程綺麗だった。
ナマエ先輩がそんな一粒を僕に勧めたのが意外で、思わず先輩の顔を見返してしまう。
それで先輩が何を思ったのか分からないけれど、否、分かりたくないけれど、不思議そうな顔の後に小さく笑みを浮かべ、それを白い指で挟んで「あーーん」と寄越してきた。
彼女の笑顔に、また何かどす黒い感情が沈んでいく。
「……何が、したいんですか」
自分でも驚くほど低い声。普段だったら、女性には決して、いや友人にさえ出さないような。
先輩を傷つけてしまっただろうか。
近いうちに必ず衝突が起こると、先程考えていたことが、いままさに起き始めている気がした。
ため息をぐっと呑み込む。
自分がナマエ先輩のことが好きなのかどうかもわからない。
ナマエ先輩と僕の考えが違うことを、強く彼女に批判できないのは、僕が先輩を好きだからなのか、親の決めた婚約者に難癖をつけるのが躊躇われるからなのか、わからなかった。表情を伺いたいのに、先輩の目を見るのが怖くて結局視線を下げる。
「何って、夫婦の予行演習に決まってるじゃない」
拍子抜けするくらい明るい声で先輩は言った。いや、実際拍子抜けした。思わずナマエ先輩の顔をまじまじと見つめる。ヒステリックに怒りだすと思った。
母のように。
「早く食べないと溶けちゃう!」
目の前に迫ったキャラメル色のアラベスク模様、溶けちゃう溶けちゃう、と騒ぐ先輩。さっきまであんなに悩んでいたことがふっと胸からなくなって、笑いたいけど先輩の前で突然笑い出す訳にもいかず、ずいっとチョコレートを押し出している先輩の手首を掴んでアラベスク模様の一粒を口に含んだ。
先輩との仲違いが、免れたならいいや。
今はまだ、それでいい。
歯を立てて一口噛めば、甘いチョコレートの味と、ナッツの香り。僕の好きな味。僕の一番好きな、ジャンドゥーヤチョコレートの味。
そういえば何故ナマエ先輩は僕の好きなチョコレートの種類を知っていたんだろう。
不思議に思って先輩を見れば、にやにやと僕を見ていた。
「……なんですか、その笑みは」
「いやだってまさか、レギュラスが私の手ずから食べるとは」
本当に溶けだしていたのか、ややココア色にぺとぺとした指先を舐めながら言った。
あぁ…と眉間を抑える。深々と皺が出来ていた。
そうだ、もっと他の食べ方があったじゃないか。手で受け取ったりとか、そこ置いといてください、とか。
溜息が、長々と、今まで呑み込んできた分が全部出るみたいに、口から漏れた。
俯いた僕の髪を先輩が触る。
「…手、綺麗になってるんでしょうね。」
「レギュラスはさ、考えすぎなのよ」
先輩の声はいつもより真剣だった。
そのくせ、僕の髪を弄るのをやめない。
「考えすぎるから、それが正しいと思い込んじゃって、気づいたらあと戻り出来なくなっちゃいそう」
言い返したいけれど、言葉が出てこなくて、結局口を噤んだ。
今まで周りから口を揃えて言われたことは、「ブラック家の人間としての在り方」だった。それを遵守すれば、兄と真逆の自分であれば、僕は「良い子」であった。兄は自分が信じるものを貫き、僕はブラック家であることを貫いた。
下の者は媚び讃えへつらう言葉を、上の者はあのお方にひざまずくべき理想の姿を。
僕は、僕自身が周りからどう見えるかなんて言われたことがなく、また言われる必要もなく、ただブラック家の人間として生きてきたから、先輩へ言い返す言葉が見つからなかった。
やっとのことで紡ぎだした言葉は、酷く無愛想だった。
「…先輩に、僕の何がわかるんですか」
「えっとね、もう、急かさないでよ。」
まだ頭の中で纏まってないんだから、と不平を漏らされる。
そんなの考えてから言え、と言いたい。
「あー、もしかしたら、考えが変わるかもしれないじゃない。価値観なんていつ変わってもおかしくないもの」
僕の髪から指を解き、ゆっくりと一回瞬きをした。
それで?と視線で先を促す。
ナマエ先輩は、小さく一瞬固まったあとに、とても大切なことを言うのだとでも言うように、唇を舐めた。
「私、わかったの、さっきレギュラスに話しながら。
あのね、レギュラスは私のこと嫌いだから、なんて思うかわからないけど」
僕が先輩を嫌いって、どうしてあなたに分かるんですか。僕にだって分からないのに。
そう言いたい気持ちよりも先を聞きたい欲求が勝り、黙って先輩を見つめる。
「私、あなたがたとえブラック家の血に逆らうことになっても、あなたが過去のあなた自身を心から憎むようになっても、レギュラスがレギュラスのままでいてくれるなら、きっとずっと隣にいられる気がするわ」
そう言って、ナマエ先輩はくすりと笑った。
「変だねえ、あなたの何がわかるのかって聞かれても、分からないことの方が多いのに。
でもあなたを見てると、たとえブラック家でなくても、私はあなたとずっと一緒にいたいって思う」
にこやかにそう言ってのけたナマエ先輩から、目が離せなかった。
ブラック家ではない僕。
僕からブラック家を切り離したら何が残るのだろう。
兄のように、勉才があるわけでもなく、人を惹きつける飛び抜けた容姿があるわけでもなく、あるのは家への忠誠心くらい。
きっと、何も残ってはいまい。
物心ついた時から何度も考えたことだった。
別に不満も劣等感もなかった。
家への忠誠心さえあれば、父が顔を顰めることもなく、母がヒステリーを起こすこともない。
僕が忠誠心を示すだけで、崩壊しかけた何かがみるみるうちに修正されていくのは寧ろ痛快でさえあった。
そのはずなのに。
先輩の言葉で、こんなにも心が晴れてしまう。
「なんですか、それ…」
僕のつぶやきに、ナマエ先輩はにっこりと笑みを深くしただけだった。
ああ、違う。
言葉だけじゃないのだ。
もっと暖かなものに触れてしまったのだ。
ブラック家に相応しくあることで、得てきたもの。その中に、「良い子」があって、父と母の言葉があって。
それらもきっと愛だった。
確かに愛として与えられ、疑いなく愛として受け取った。
いや、でも、しかし、それならばそれを愛と呼ぶならば、先輩の言葉は、視線は、表情は。
たった数秒の、先輩の笑顔から目が離せなかった僕の、この感情は。
「ナマエ先輩」
「なに?」
「たぶん、この先二度と言わないので。最初で最後の一回きりなのでよく聞いておいてくださいね」
「は、はあ。あっ待って!ボイスレコーダーっていうのがあって!それ今持って」
「行かせませんよ」
立ち上がったナマエ先輩の手首をガシリと掴み、引き寄せる。体勢を崩したナマエ先輩の髪が僕の頬を擽った。至近距離に先輩の顔。
さらりとした黒髪を、耳にかけてやる。
「僕、先程の先輩の言葉と笑顔に、どうやら恋に落ちてしまいました。」
「え…えぇえ」
「まあ、僕が変わるなんてまず無いと思いますが……そうですね、変わろうが変わるまいが、ずっと一緒にいてください。」
先輩の顔は今までに見たこと無いほど真っ赤になっていた。
ちゃんと聞いているのだろうか。
僕の人生で一回きりの告白なのに。
「ナマエ先輩がナマエ先輩のままでいてくれるなら、僕はずっとあなたに恋し続けると思いますから」
おでこに優しく軽いキス。
僕は僕のまま、先輩は先輩のままで、一緒にいたいって思ってるんです。
本当ですよ。
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