重々しい鉄製の扉を開けると、目の前には狭い通路が広がっていた。壁にはアンティーク調のランプが付いているが、中は薄暗く、注意しないとどこかに足を引っ掛けて転んでしまいそうだ。
 私は扉を閉めて、左横にあった受付にいる男性を見た。綺麗に着こなしたスーツ、貴族のような風貌、これがホストクラブの正装なのだろうか。一見どこかの執事のようにも見える。
 男性は私と目が合うと、ニッコリと微笑みその場で立ち深々と礼をした。

「いらっしゃいませ、お嬢様」
「お、お嬢様?」

 私は間違って執事喫茶に入ってしまったのかしら。いや、そんなはずはない。確かに「ホストクラブ『ドラキュラ』」と書いてあった。この目でしっかりと見たのだ。
 男性は困惑する私をクスッと笑い、手慣れた様子で説明を始めた。

「このホストクラブは中世ヨーロッパの城をイメージしていて、お客様を『お嬢様』と呼ぶのが習わしになっております」

 ああ、なる程。しかし『お嬢様』呼びとはますます珍しいホストクラブだな。なんか新境地が拓けそうでちょっと怖いのですが。
 男性は受付を離れ、私の前に立った。

「それではお嬢様、席へご案内致します」


 男性に連れられ、一人用のテーブル席に座る。
客席の周りにはアンティーク調の家具が配置され、天井にはシャンデリアが吊されていた。とても本格的な造りだ。
 男性は私の前にアルバムのようなものを置き、説明を始めた。男性によると、このアルバムのようなメニューから自分好みのホストを選ぶらしい。
 男性は一通り説明を終えると「ごゆっくり」と言い、その場を去った。
 私は分厚いメニューを開き、ホストの写真を眺める。
 やっぱり皆、綺麗な顔をしてるなあ。ホストだから当然なんだろうけど、他の店のホストとは違ってチャラチャラした人はいない。皆、気品があふれている。
 パラパラとページをめくっていると、横にある客席から声が聞こえてきた。私はメニューを見るのを止め、その様子をこっそり観察する。

「貴方が月光紳士様ですね」
「ええ。こんばんは、マドモアゼル。ご指名ありがとうございます。お隣に座らせて頂いても宜しいですか?」
「もちろんですわ」

 女性が了解すると、男性は「では、失礼します」と言って女性の隣に腰掛けた。
 月光紳士と呼ばれた男性は、確かメニューの一番始めのページに写真が載っていた気がする。綺麗な艶の黒髪に上品な顔つき、この店のホストの中では一番綺麗な顔をしていると私は思う。いわゆるイケメンだ、私の大好物の。
 それにしても、月光紳士というネーミングはいかがなものか。この店の支配人のセンスを疑う。
 月光紳士は女性客に微笑み、自分の胸に手を当てた。

「今宵は貴女の心を私の美貌で虜にしてみせましょう」

 そう言って妖しく笑う月光紳士。あの笑みに女性客もメロメロだろう。さすがホスト、女性のツボを心得てる。

「どうです? 私の美はお気に召して頂けましたか?」
「ええ、とても綺麗な黒髪ですわね」
「他には?」
「え、ええと……素敵にスーツを着こなしていますわ」
「それだけですか?」
「え……」
「さあ! 私の美貌を賛美し、心ゆくまで堪能して下さい」
「……」

 沈黙。女性客はドン引き、もちろん私も。あれはギャグではない、月光紳士の目は本気だ。ああいう人を残念なイケメンというのだろうか。顔は最高、性格は難あり。うん、やっぱり世の中に真のイケメンはいない。
 女性客は溜め息を吐き、哀れみの目で月光紳士を見た。

「……ホストを代えて下さる?」
「な、何故です? 私はこんなに美しいというのに!」
「貴方、つまらないわ。ホストを代えて下さい」

 納得がいかない様子の月光紳士を後目にかけ、女性は受付係を呼び新しいホストを選びだした。行き場を無くした月光紳士は、空いている客席を探してキョロキョロと辺りを見回している。
 空いている客席は無い、私の席以外は。と、いうことは、まさか。
 パチリ。私と月光紳士の目が合った。彼は私にニッコリと微笑み、私の客席に近付いてくる。
 ああ私の馬鹿、こうなるならさっさとホストを選んでおけばよかった。
 しかし、時すでに遅し。

「マドモアゼル、ご指名ありがとうございます」
「あの、まだ指名はしてないんですけど……」
「そう堅い事はおっしゃっらずに、ね?」

 そう言ってニッコリと笑う月光紳士。そんな彼に不覚にも胸がキュンとときめく。そんな笑みを向けられたら、断ろうにも断れないじゃないの。
 私は小さく息を吐き、月光紳士を見た。

「……じゃあ、どうぞ」
「ありがとうございます、マドモアゼル」

 そう言って隣に腰掛けた月光紳士は、私をジッと見つめてきた。整った顔に見つめられると、やはり胸がドキドキするものだ。というか、顔が近い。

「……美しい」

 月光紳士は恍惚とした表情を浮かべ、私のあごに軽く手を添えた。
 え、なにこれ。これはどういうプレイ。というかこんなサービスあったっけ。受付の人は何も言ってなかったよね。え、なにこれなにこれ。
 月光紳士は妖しい笑みを浮かべ、添えた手の親指で私の唇をなぞった。

「貴女のような美しい人が、何故ホストクラブにいらしたのですか? 寄ってくる男など、星の数程いるでしょうに」
「あ……え、ええと、告白して振られたんです。だから、気晴らしに……」
「なんと、貴女を振った男がいるというのですか? こんなに美しい方を振るなんて、見る目がない男ですね。まあ、だからこそこうして貴女と巡り会えたのですが」

 その男には感謝しなくてはいけませんね、と言ってクスッと笑う月光紳士に胸が高鳴る。
 だめよ、だめだめ。この人の性格を知ったでしょ、私。きっとろくでもない男なんだわ。顔がいくら綺麗でも、変態でナルシストだなんて絶対にだめ。目を覚ましなさい、私。接近されても無我の境地無我の境地。ドキドキ鳴るな心臓。
 そんな私の気も知らずに、月光紳士は「メノスに勧誘するのも悪くありませんね」などと訳の分からない独り言をブツブツと言っている。独り言を言うのはいいけど、頼むからその綺麗な顔を離して下さい。このままじゃ私の心臓が保ちません。

「……おや、マドモアゼル、顔が真っ赤ですよ。どうなされましたか?」

 月光紳士に頬をゆるりと撫でられ、目をジッと見つめられる。だめ、私、もう限界。
 イケメンのお色気攻撃に耐えられなくなった私は、月光紳士の胸をトンッと押した。そして鞄をひっつかみ、慌てて立ち上がる。

「あ、あの! 私、明日仕事なのでそろそろ失礼します!」
「おや、そうなんですか。ならば近くまでお送りしましょうか?」
「け、結構です!」

 私は真っ赤になっているだろう顔を月光紳士から背け、足早にここを去ろうとした。

「マドモアゼル」

 不意に聞こえた彼の声で、私の足はピタリと止まる。ゆっくりと振り返ると、月光紳士が私のすぐ後ろでニッコリと微笑んでいた。

「貴女のお名前を伺っても宜しいですか?」
「……??、です」
「?、?……マドモアゼル?ですね。私はジュテームと申します」
「……ジュテーム、さん」

 呟いた私に、月光紳士――もとい、ジュテームさんはニッコリと微笑み「はい」と返事をした。

「今日から私は、貴女の愛の奴隷です。この私とまた会うこともあるでしょう。その時が来るまで、他の男に見惚れてはいけませんよ?」

 約束です、と言って妖しく笑ったジュテームさんを綺麗だと思ってしまった私は、きっと頭がやられているんだろう。もうだめだ、重症なんだわ私。
 そんなジュテームさんに背を向けて、足早に店を出る。店を出た後も、私の激しく鳴った心臓の音は鳴り止んでくれなかった。

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