やわらかに責める鼓動
優雅に足を組みながら本を読んでいる男の顔を見て、ため息を吐いた。決して彼の美しさから漏れ出たものではない。私は呆れているのだ。
このトム・リドルという男、実に曲者である。文字通り性格が曲がりに曲がって曲がりまくった人物で、なんなら曲がりすぎて一周まわってしまったのではないか?と思うほどだ。
私の知っているトム・リドルは、他の生徒が知っているトム・リドルとは異なる。自分の目に映るトム・リドルこそ化けの皮が剥がれた本物のトム・リドルで、他の生徒が目にしているトム・リドルは全くの偽者であった。
これだけ彼の名前を連ねていると頭がおかしくなりそうだ。このことを本人に伝えたのなら、彼はきっとこう言うだろう。
――きみは元々すくいようのない脳をしているから、これ以上頭がおかしくなることはあり得ない。だから安心しなよ。ああでも、もしかしたらきみは底なしの馬鹿かもしれない。まあどちらにせよ"脳なし"には変わりないけどね、と。
悪口が長いんじゃボケ!
想像の中のリドルに対して悪態をついてみせる。けれど、目の前にいるこちらの男だって絶対に同じことを言うに決まっているのだ。蛙チョコレートを10個賭けてもいい!
睨みつけるように視線をおくる。それでもその視線を気にもかけず、彼は本をめくる手を止めない。気付いていないのではなく、気付いているけれど気に止めないというのが、この男の嫌味なところだ。
「私は本当に思うんですけど」
口をひらいてみるが、彼の視線は相変わらず本に向けられていた。
その態度から「あー!なるほど!!!ガン無視攻撃ね!私と話す価値・時間はないってことね!」と、腹ただしいことを察してしまう。けれど、そう思えば思うほど余計に腹が立ってしまって、それなら価値のない私にきみの"貴重であろう時間"を費やしてもらいましょうと、言葉を続けた。
「リドルくんは疲れないんですかー?」
"毎回律儀に猫をお被りになって!"という言葉はあえて伏せ厭味ったらしく尋ねてみるも、沈黙。あえなく撃沈。
何でだよ!おかしいだろ!疑問形なんだから普通は返答するだろ!クエスチョンマークはピリオドの代わりにはならないんだよ!こうやって腸煮えくり返った感情を爆発させても、リドルはきっとアクションをおこしてくれない。
本当にどうして私は、こんな男と行動を共にしているのだろか。まあどれもこれも、自分が大馬鹿者故に彼の本性を知ってしまったことが要因なのだけれども。だからこそ後悔がやまないのだ。
私はトム・リドルの存在を一方的に知っていた。それこそホグワーツに入学する前からだ。けれどそう言うと少しだけ語弊がある。
ことの始まりは母の予言だった。
母は水晶玉占いが得意だと自負しており、実際近所ではちょっとした有名人だった。ただ百発百中というわけではなく、ものすごく良く当たるときと、ものすごく外れるときに分かれるので、占いの精度は0%か120%かの両極端だった。
私自身はというと水晶玉占いの才能は全くないようで、どうやら精度0%の方を引き継いでしまったようだ。
それでも占いを楽しそうにする母の隣で育ってきたわけで、予言が的中する場面を何度も見てきた。自分には備わっていない才能に憧れたし、尊敬だってしている。母を通じて自分の生活と密になっている占いが、私は大好きだった。
ホグワーツに入学する前日、母は私に告げた。
−−入学したら、猫と関係している者に十分な警戒心を持ちなさい。そうしなければ、いずれ大きなことに巻き込まれるわ、と。
私は思わず、それは予言なのかと聞いてしまった。母はもちろんだと肯定をする。その返答に頭を抱えるしかなかった。
水晶玉占いがとても難しいことは痛いほど分かっているし、占いの結果が明確に視えるときと断片的なものでしか視えない時があることくらい、母の隣で育ってきた自分はようく知っているつもりだ。私は占いが出来ないのだから、つべこべ言う資格がないことくらい理解している。
でも、だからって、入学前のこの大切な時期に、しかも私の今後において物凄く重要そうな事柄なのに、何故アドバイスがそんなにも曖昧なんだ!と思わずにはいられなかった。
"猫と関係している者"だなんて広範囲が過ぎる。そもそもホグワーツでは猫を連れ込んでも良いことになっている。そうなるとこの予言の対象は猫を飼っている者全員となってしまうではないか。
母の占いは0%か120%かの両極端だということは分かっている。これまでだって予言がかすりもしない時が山ほどあった。逆を言えば、当たる時は恐ろしいほどに当たってしまうのだ。ここは前向きに0%であることを信じよう!と思いたいけれど、過去の事例を思い返すとそんな呑気なことを言っている余裕などない。
「お母さんの、私への愛で何とかしてよ!」
自分でも無茶だなと思う願い事を口にする。母は「それは無理なお願いよ〜」と至極当然でいながら、呑気そうな口調で返答するのであった。
ホグワーツに入学してからしばらくは順調だった。自分がスリザリンに組み分けられたのは予想外だったけれど、親しい友人だってきちんと出来た。告げられていた予言も最初こそは警戒していたけれど、警戒したところで特に何かが起こる様子はなかった。
母には近況とともに"今回は0%の方だったかもしれないね"なんて冗談めいた一文を交えてふくろう便を送った。私の中で既にあの予言は「かすりもしなかったもの」に分類されていて、今では入学前日に死ぬほど悩んだことを思い出し笑い出来るようにまでなっていた。
つまり、完全に油断していたのだ。
問題が起きたのは1年目の修了式を終えた日の夜だった。
友人であるアンから「お願いがあるの」と言われたのが事のはじまりだ。
アンには少し前から気になっている男子生徒がいて、休暇前にどうしても挨拶をしておきたいけれど、1人では緊張してしまうから付いてきて欲しい、ということだった。
入学してからこれまでアンには沢山お世話になっている。それこそ授業中に占いのことばかり考えてぼーっとしている私を、何度も何度も助けてきてくれたのだ。
後ろからついていくだけでアンの手助けになるのならと、私は快諾したのだった。
明日は汽車に荷物を積み込む作業で忙しくなるため、今日中に挨拶をしておきたいとのことだった。相手は談話室にいるということでそのまま付いていくことにした。それにしてもアンの気になる人って誰なんだろうか。男子生徒とあまり関わりがないので全く想像がつかない。同学年の子なのだろうか、それとも先輩だったりして。なんてことを考えていたところで、アンが男子生徒の名を呼んだ。
「リ、リドル!」
緊張したような声で呼ばれた名前に、男子生徒が振り返る。色白の肌に、全てを吸い込んでしまいそうな真っ黒な髪と瞳、見目麗しい顔立ち。それら全てを見て、思い出す。リドル、リドルって…Mr.リドルのことだったのか…!アンが好意を寄せている男の正体に思わず驚愕してしまった。
直接会話をしたことはないけれど、男子生徒と関わりのない私でも「Mr.リドル」の名はよく耳にしていた。成績優秀で、同学年で稼いだ寮の加点ポイントはほぼ彼のものだろうと言われている。
「よく分かりましたね、Mr.リドル。スリザリンに10点加点します!」「素晴らしい、Mr.リドル!その功績を称え、スリザリンに30点を差し上げます!」などなど、授業中でも授業外でも加点のお知らせと共に必ずついてまわる名前が「Mr.リドル」なのだ。
アンはそんな凄い人を好きになっていたのか。
目の前で恥ずかしそうに、それでも嬉しさを隠しきれないような表情でMr.リドルと会話をするアンを見て、それからMr.リドルを見て考え直す。まあ、超成績優秀でこの顔立ちなのだから、好きになってもおかしくはないか。
「……そういえば、きみとはまだちゃんと挨拶をしたことがなかったよね」
突然、Mr.リドルがこちらへと顔を向ける。同学年の男子生徒と比べてすらっとした、しなやかな身体が印象的だった。きちんと伸ばされた背筋は"Mr.リドルの人となり"を表しているようで、猫背の自分とは大違いだと思った。
手を差し出されたところで、握手を求められていることに気付く。私とMr.リドルは同じ学年で同じスリザリン寮だったけれど、きっとお互いのことは何も知らない。持ち前の頭脳でボンボコ寮に点を入れる英雄のような彼と、教室のすみで占いについての本を読み耽っているような私だ。この1年間、特別な接点がなかったとしても何もおかしくはなかった。
そんなことを考えながら、伸ばされた手を握る。Mr.リドルは笑みを浮かべながら口をひらいた。
「はじめまして…というのは少しおかしいか。トム・リドルだ。今学期はもう終わってしまったけれど、よければ来学期から仲良くしてもらえると嬉しい」
私は、はじめてMr.リドルの名前を聞いた。
"トム"という、その一般的な名前に少し驚いたのを覚えている。成績優秀で顔立ちも良く、おそらく大勢の人を惹きつけているであろうこの"一般的"から程遠い男が、ごく普通の名前をぶら下げている。失礼な話かもしれないが、もっと珍しい・それこそ選ばれた人だけがつけることを許されるような名前だと、勝手に思っていた。ただ特別な名前って一体どんな名前だよ、と自分で自分を突っ込まずにはいられないのだけれども。
そういえば、近所で最近生まれたばかりだという半純潔の男の子の名前もトムだったな。男の子の両親はトムという名前からトムキャットを連想させて、雄猫のイラストが描かれたベビー用品を買い込んでいたことを思い出す。実際、母と私もその家に猫の絵がプリントされたおむつをプレゼントしたことがあった。
そこまで考えてから、身体が止まる。
あれ、まって。トム、…トムキャットって雄猫じゃん。雄猫って、あれ…。
「トムって予言の………」
そこまで口にしてから、はっとする。
しまった!うっかりしていた!そんな感情から、交わされていた手を思いきり離してしまった。あまりにも、あまりにも不自然すぎる自分の行動に汗が止まらない。横に立っているアンも驚いた表情で私を見ていた。
落ち着け、私。
Mr.リドルの名前がトムだから何だというのだ。トムという名前が、トムキャットという雄猫を連想させるから何だというのだ。雄猫だからって何だというのだ。そんなはずはない、そんなはずはないと自分で自分を何度も納得させる。それでも思い浮かぶのは母の言葉だった。それこそ、つい最近まで忘れてたくらいなのに。
"−−入学したら、猫と関係している者に十分な警戒心を持ちなさい。そうしなければ、いずれ大きなことに巻き込まれるわ。"
予言を鮮明に思い出すことができる。
ホグワーツに入学した当初、警戒心だらけだった私が、猫を引き連れている生徒を見ているときですら、母の予言をこれほどまで思い出すことはなかったというのに。丸1年経とうとしている今のほうが、どうしてこんなにも鮮明に思い出すことができるのだろうか。
何かの間違いだ、何かの勘違いだと自分を無理やり納得させてから、相変わらず手を伸ばしたままの姿勢でいるトム・リドルを見る。
トム・リドルから向けられている視線は、先ほどと変わらないものだというのに、どうしても違和感が拭えない。
「僕の"何か"でも視えたのかな」
先ほどと同じ声のトーンだというのに、どうしても無機質に思えて仕方がなかった。先ほどと同じ笑顔だというのに、彼の瞳のその奥ではまったく笑っていないように思えて仕方がなかった。
予言のことをうっかり口にしてしまったのは完全に私の落ち度だ。それでも、このままこの場にいるのは堪らないと思った。
そうだ、逃げよう。何事もなかったのように逃げよう。今後、この男と一生関わらなければいいのだ。この1年間接点がなかったのだから、これからの6年間も同じように過ごせばいい。無理やり納得させてから私は口をひらいた。
「あっ、あ〜〜〜!!!そ、そういえば明日の準備がまだ出来てなかった!!!しかも今晩、母宛にふくろう便を飛ばさないと絞め殺されるんだった!!ごめん、アン。ごめん、Mr.リドル!!急いで部屋に戻らなきゃ!!!また来学期よろしくね!良い休暇を〜!!!」
言葉を置き去りにするようにして急いで談話室から立ち去る。後ろからアンの、自分を呼び止める声が聞こえる。アンには本当に申し訳ないことをしてしまった。本当にごめん!!でも今は絶対に立ち止まれないし、絶対振り返られない!!新学期になったらアンに沢山お詫びの品を渡そう。
本当に今回ばかりは自分の大馬鹿者加減に辟易とした。うっかりしていたにもほどがある。それに、談話室を立ち去るときの言い訳として発した「今晩母宛にふくろう便を飛ばさなきゃ絞め殺される」っていったい何なんだ…。明日帰るのにどうしてわざわざ家にふくろう便を飛ばさないと絞め殺されるんだよ…と、さほど重要ではないことにまで自分の頭の悪さが染み込んでいて嫌気が差した。
ああ、どうか神様お願いです。
2学年になるまでにトム・リドルが今日のことを忘れるよう仕向けてください。そして願わくば、母の予言にでた人物がトム・リドルその人でありませんよう。
ため息が止まることはなかった。
結局、神様は私のお願いごとを聞き入れてくれなかった。2学年になってからトム・リドルとの接点が死ぬほど増えた。というのも、ほとんどの授業で彼は私たちの座席近くに座るようになったのだ。これが私にとって物凄く迷惑極まりないことだった。
これまで授業中はすみっこで静かに過ごしていたのだが、この男が近くに座ることで教授の視線がこちらへと集まってしまうことに気付いた。そもそも教授は、誰も答えることのできなかった難問をトム・リドルに解いてもらおうとこちらを見るのだが、その時"たまたま"近くに座っている、授業をまるで聞いていないような顔でぼーっとしている私の姿を"たまたま"見つけては叱るのだ。
確かに話を聞いていない私が悪い。私が悪いのだけれども、ぼーっとしていることがバレるようになったのは確実にトム・リドルのせいだ。友人のアンにそのことを告げるけれど、彼女は彼女で近くにトム・リドルが座っていることに対してとても喜んでいた。仕方がないので私は1度、本人にさりげなく言ったことがある。
「この席だと授業を受け辛くない?もう少し前のほうが良いと思わない?」
誘導作戦だ。トム・リドルがこれに同意をしたら、"なら前が空いているからどうぞ"と言ってやる予定だった。
「そうだね」
トム・リドルから発せられた理想通りの回答に、私はニヤけてしまう顔を隠し切ることができなかった。あとは前の席へと誘導するだけだと、「そうだよね。そしたら−−」と口にしたところで、言葉を遮られた。
「次からは、もう少し前の席をとっておくよ。君たちの分もね」
言葉を聞いたとき、私は唖然とした。
はああ!!??どうしてそうなるんだ!!!コイツ本当は天才のふりしてアホなのか!?いや、アホのふりして天才なのか!?!?いや、そういうことじゃない!!そういうことじゃないけど、流石にその言葉は大馬鹿者代表の私からも遠慮なく言わせてもらうけど、バカじゃないのか!?そもそもどうして一緒に授業を受けることになってるんだよ!あ〜〜本当にアホ。本当にアホみたいなことがおきてしまった。
叶うのならこういった言葉を、目の前のトム・リドルに投げつけてやりたかった。でも、トム・リドルだってわざとじゃないのだ。いつだって物腰柔らかくて、周りに優しくて、彼が答えることは全て正しい。たまに私にとって理解できない行動・言動をするだけで、きっとわざとではないのだ。そう信じて"トム・リドルの人となり"に免じ、本当に言いたい言葉は引っ込めた。
「あ!!いや〜〜〜やっぱこの席最高!!この席最高に気に入ってる!!次からもやっぱりこの席にしよう〜〜!」
不自然に意見を変えれば、トム・リドルは特に突っ込みを入れるわけでもなく、"そうだね"と笑うだけだった。
この時の私は彼のことが少し苦手だったけれど、それでも"トム・リドルの人となり"については信じていた。予言のことは気になるが、まだ彼だと確定したわけではない。座席に関しては確かに迷惑をこうむられているが、先ほども言ったとおり彼だってわざとではないはずだ。
そう思っていたのだ、3学年に上がるまでは。
ホグワーツに入学してから3年目、私にはずっと楽しみにしていたことがあった。それは今年から選択することのできる占い学の授業だ。
自分に占いの才能がないことは分かっている。それでもホグワーツは様々なことを学び、身に付けることができる場だ。母も"せっかく占いを学べる機会があるのなら"と後押しをしてくれた。ここで学べば、もしかしたら私にだって才能の1つや2つが開花して、超スーパー占い師を目指せるかもしれない。そんな期待や希望のおかげか、教室までの足取りはとても軽やかだった。
「やあ」
聞きなれた声がした。
私を呼びかけた男の顔を見て「いやいやマジか」と思わずにはいられなかった。アンタ本当に占いに興味があるのかと疑ってやまない。
「リドルも占い学を取ったの…」
「面白そうだったからね。これからよろしく」
「いや、こういうのもおかしな話だけど、もっとリドルらしい授業って他にあったんじゃない…古代ルーン文字文学とかさ…」
「それは1年生のときに独学で習得したから」
リドルの言葉を聞いて、しかめっ面をする。
ええい、やかましい!!!な〜〜にが独学だよ!独学だけじゃ学べないことがホグワーツにはあるんだよ!!!そう叫んでしまいたかったけれど、完全に八つ当たりなので、これ以上はなにも言うまいと押し黙る。
「そういえば、きみのお母さんは水晶玉占いでちょっとした有名人なんだろう」
「そうだけど…どうしてそんなことリドルが知っているの」
予言のこともあって、私の口から直接リドルに母のこと、水晶玉占いのことは一切話をしていない。"リドルの人となり"を信頼しているとは言ったものの、それでも少しは警戒しているのだ。
「アンから聞いたんだ」
「あ〜〜…」
話の出どころに納得してしまった。
私の母が水晶玉占いを得意にしていることは、1年生の頃からアンには話していた。アンに対しては別に隠すようなことでもなかったし、当時は口止めをするような話でもないと思っていたのだ。
アンとリドルとの間で交わされた会話の中で、共通の友人として私の名前が挙がるのは自然なことだし、私の母親の話が出てくることは何もおかしくない。
「いや、まあ得意な方だと思うよ…」
「へえ。じゃあ占い学の授業を選択したのもお母さんの影響?」
「まあ、そうなるかな…」
別に嘘を吐くことではないと思った。それに、ここで妙な嘘を吐くほうが不自然だ。そう思いながらリドルの質問に答えた。リドルはというと"へえ"だとか"そうなんだ"とか、いつもと変わらない相槌をうつ。それから何度か占いに関しての会話が交わされた。
授業がはじまる直前、リドルは「最後に」と私に質問をした。
「ずっと前、僕に言った"予言"っていうのも、きみの母親が関係しているのかな」
言葉を聞いて、頭が真っ白になった。生きた心地がしなかった。じわじわと答えを誘導されているようなこの感じは何だろうか。
あの日以来、リドルとは関わりを持つようになった。けれど、予言については一切触れられてこなかった。だからこそリドルはあの時のことを忘れているかもしれないと、自分の都合の良いように解釈した。
考えれば分かることだ。
聡明である彼が、忘れているはずがない。
「何のことか分からない、かな…。そんなことあったっけ…」
ようやく口にすることが出来たのは、自分から"嘘です"とでも言っているような、そんな取り繕った言葉だった。リドルはというと、何もかも見透かしてしまいそうな瞳でこちらを見ていた。
「そ、そろそろ授業がはじまるよ」
不自然に話題を変えるように発した私の言葉に対して、彼はいつものように"そうだね"とだけ答え、目を細めるのだった。
授業ではこれから先、学ぶことのできる占いの種類とその説明、それから実際にお茶の葉占いを行った。水晶玉占いはお茶の葉占いや手相学など、段階を踏まなければ習うことが出来ない難易度の高いものだと知った。
こういうことを知ると、何の下積みもせず水晶玉占いを見よう見真似で行っていた自分が無知に思えて仕方がない。そりゃ、何一つ視えてこないはずだ。それが知れただけでも、今日の授業は十分価値のあるものだった。まずはお茶の葉占いからしっかり学んでいこうと思った。
授業が終わり、道具を片そうとカップを手にとったところで、リドルが口をひらいた。
「復習をかねて、お茶の葉で僕のことを占ってくれないか」
突然の提案に驚きを隠せなかった。
まだ習ったばかりだし、当たるとは思えない。そういったことを告げると、彼は「今日学んだことは忘れないうちに反復したほうが良い」と尤もらしいことを言うのだ。
「変な結果が出ても怒らないでね」
「はは、怒らないよ」
そんなことを言い合いながら、カップや茶葉の準備をする。先ほど習ったばかりの手順を思い出しながら、もくもくと作業をする。カップに残った葉の模様と、教科書に描かれた模様を照らし合わせながら結果を読み上げる。
「えっと、これはヘビだから…ヘビは〜あ、あった!嘘偽りと誘惑、あなたの信頼に値しない人…。あと、これはえっとー……死のビジョン?死を恐れている…?うう〜〜ん…」
読み上げる結果がどれもこれも学生に似つかわしくない内容だった。外れている気しかしない。こんな結果になってしまって、リドルは不快な思いをしていないだろうか。心配になり、彼の顔を見る。彼はというと、眉間に思いきり皺を寄せて口を開いた。
「……もういい」
「えっ」
聞いたこともないような低い、冷たい声に慄く。
「きみに占いの才能がないことはよく分かった」
「−−は、え…?」
「授業に出るだけ無駄だ。この様子じゃ、母親がしているという水晶玉占いもたかが知れている」
「は、あ!?!?」
思わず叫んでしまった。
確かに、確かに私が行った占いの結果は散々なものだ。その結果でリドルが不快な思いをしたのなら謝る。けれど母を引き合いに出すのは話が違うだろう。そもそも、どうしてここまで言われなければいけないのだ。目の前にいる、先ほどの信じられないような言葉を吐いた彼は、本当に私の知るトム・リドルなのだろうか。
「隣で授業を受けていて、常々頭が悪い女だなとは思っていた。けれど、はじめて言葉を交わしたあの日、きみが僕に言った"予言"という言葉がずっと引っかかっていた。きみにも何か才能のひとつくらいあるだろうと思っていた。それこそ、未来予知のような能力を期待していた。その能力があれば、役に立つと思っていた」
リドルの口からどんどん発せられる言葉に理解が追いつかない。この男は何を、何を言っているのだろうか。
「きみの力を確かめるために、わざわざ興味のない占い学まで選択した。その結果がこれか。−−全くもって時間の無駄だ」
苛立ちを隠す気がないのか、リドルは杖を一振りして授業で使ったカップを割り、教科書を破いた。その言動や光景に絶句するしかなかった。
「ひとつだけ助言をしてやる。きみには才能がない。時間を無駄にするだけだから、占い学の授業を取り消すことをオススメするよ。それじゃあ」
パタン、と教室の扉がしまった。残されたのは口を開けっ放しにしている私に、割れたカップ、散らばった茶葉、破かれた教科書と静寂。
何だ、今のは何が起こったんだ。
物凄い勢いで罵られた気がする。なんだあれは、あれは本当にトム・リドルなのだろうか。これは私の夢なのか?それなら、いつから夢だった?占い学の授業を受けたときから?それとも、3年生をむかえたこと自体が夢で、本当はまだ1年生だった、とか?
全く理解できなくて、それでも夢か現実かを確かめるために、自分の頬をつねった。マグル学を受講している他寮の友人から聞いた。マグルはこうやって夢か現かを確かめるらしい。確か頬をつねって痛かったのなら、現実だと−−。
「…メチャクチャ痛い」
頬の痛みを実感して、それを口にする。そうすることでこれが現実なのだと理解した。その瞬間、急激に頭に血が上っていった。
"きみに占いの才能がないことはよく分かった"
−−うるさい。
"授業に出るだけ無駄だ。この様子じゃ、母親がしているという水晶玉占いもたかが知れている"
−−うるさい、うるさい。
"ひとつだけ助言をしてやる。きみには才能がない。時間を無駄にするだけだから、占い学の授業を取り消すことをオススメするよ"
−−うるさい、うるさい、うるさい!
何が「トム・リドルの人となりを信じている」だ。本当に本当に、過去の自分に嫌気がさした。彼の思惑や考え、これまでずっと猫を被っていたことに気付けなかった自分が腹立たしい。それでも、それでもやっぱり一番腹立たしいのは−−。
占い学の教室を飛び出し、全速力で駆け出す。
憎ったらしい男の背中を見つければ、私はそいつに向かって全力でタックルしてやった!勢いあまって一緒に倒れこんでしまったけれど、すかさず馬乗りになり、トム・リドルの胸倉を掴んだ。
まさか女にタックルされるとは思わなかったであろうトム・リドルが、ぎょっとした顔でこちらを見た。その驚いたような顔に優越感をおぼえる。ははは、ざまあみろ!……じゃなくて!
「教室、掃除しないまま帰るんじゃねえー!!!!!!」
私の怒鳴り声を聞いた生徒がどんどん集まってくる。私はというと、騒ぎを聞きつけた教授によってトム・リドルから引き剥がされた。
そこからはもうメチャクチャ怒られた。さらに言えば、トム・リドルは言葉を巧みに使い、自分だけを無罪放免としたのだ。有罪になったのは私だけである。それだけでも腹立たしくて仕方がないのに、私が怒られている間、彼は音を発することなく口を動かした。
(バーカ)
怒りで身体が震えるってこういうことなんだと実感させられたのは、生まれて初めてだった。
昔話を思い返して、思わずため息を吐いた。あの日をきっかけに、今日まで私とトム・リドルの言い争いは絶えない。それは6学年になった今でも続いている。
相変わらずこちらに目も向けないリドルを憎たらしく見やる。それでも、いい加減私の視線が煩わしくなったのか、おもむろに彼が口をひらいた。
「僕は、きみとの会話が物凄く疲れる」
ようやく口を開いたかと思えば、出てきたのは私を苛立たせるのにふさわしい言葉。私は眉間に皺を寄せた。
「そういう意味じゃありません〜。教授とか、他の生徒の前でいつまで経ってもニコニコと猫を被っているのは疲れないんですかって聞いてるんです〜」
リドルは私は見て、わざとらしくため息を吐く。
「逆に聞くけど、馬鹿正直に生きて、毎日怒られて、それが理由で寮から点数がひかれて、他の生徒からは冷たい視線をおくられる。きみの方こそ疲れないのか?」
「そ、それは…」
「少なくとも僕はきみの言う"猫を被っている"方が利口だと思うけど」
私を比較対象に使って、自分のことを持ち上げないでほしい。そういうところがリドルの悪いところだ。なんて、図星をつかれて場違いな反論しか出てこない。
「…それはそうかもしれないけど、リドルって猫を被っているから人から好かれているでしょう。きみの本性を知ったら、誰もリドルのこと好きにならないと思うんだけど」
「相変わらず、きみは失礼だね」
「待って、最後まで聞いて。今から良いこと言うから。……だからさ、いっそのことその本性をさらけ出して、リドルを受け入れてくれる人を探そうよ。何万光年の時間をかければ、きっと1人くらい見つかるって!」
我ながらとても良い案だと思った。
私とリドルは常日頃から言い争いが耐えない。言い争いが絶えないからこそかは分からないけれど、少しは心配してしまうのだ。
本当に、この男は将来の伴侶を見つけることが出来るのだろうか?昔、リドルのことを好きだったアンですら、「私にとってリドルは好きな人ではなく、憧れの人だったの」なんて言いながら、今では彼氏とラブラブだ。
余計なお世話かもしれないけど、数年ものあいだこの男と一緒に過ごしていると、ほんのちょっぴり情がわくのだ。
彼は私の話を"くだらない"とでも言うかのように、頬をついた。
「なら、必要ないじゃないか」
「え、何で?」
「僕の本性を知るのは1人で十分だ」
彼の言葉に首を傾げると、ため息を吐かれた。
「本当に理解力がないね」
その言葉を受け、なにか言い返そうと思ったけれど、かなわなかった。言葉を発する前に腕を掴まれ、引き寄せられる。不意打ちだったこともあり体勢を整えることができず、彼の額に自分の額が触れるか触れないかの距離まで縮まる。リドルはふっと笑った。
「きみが僕を受け入れれば、問題はないだろ」
頭が真っ白になった。あまりに唐突な出来事に、何も考えられなかった。
は、はあ〜!!?
なに、なにが起きているの。どうして私を口説いてるんだ、こいつは!本当に頭がどうかしてしまったのだろうか。本の読み過ぎだ!絶対に本の読み過ぎで逆に馬鹿になってしまったんだ!
思わず「は?あんた私に惚れてるの?頭大丈夫?」と、今のリドル並に馬鹿みたいなことを尋ねてしまった。トム・リドルはそんな私の問を否定するわけでもなく、こう答えたのだ。
――静まり返るであろう先の世界で、きみのような口うるさい女を傍に置くのも悪くない、と。