3 「スリザリン!」と、頭上から声が聞こえた。それに続くように、目の前に広がる席から歓声が響く。 自分の希望する、母さんの希望するスリザリンに入れた時、一番最初に思い、感じたのは安堵でも喜びでもなかった。当たり前だと、そう思った。 ブラックの者としてスリザリン寮に入るということは当たり前のことだった。ブラック家としての必要最低限のラインに立てたということだけの話だった。兄さんはその最低ラインにすら立てなかった。むしろ兄さんの場合は立とうとしなかった。スリザリンでないということはどちらにせよ、どんな理由でも、愚かなことだった。 案内された席に座れば、目に広がるのは豪華な料理。そして、延々と続く組分けの儀式。とても退屈だった。誰かに話しかけられたけれど、会話が続かなかった。続けようとは思わなかった。 「必ず、スリザリンに入りなさい」 母さんの言葉を思い出す。頬に触れた手の体温はもう思い出せないけれど、言葉や、母さんの瞳を忘れることはないと思う。 一つだけ教えて欲しいことがあった。スリザリンに入って、それから僕はどうすればいいのだろうか。自分はスリザリンに入って、そうしてそれから、何をすれば良いのだろうか。何も分からなかった。 組分けの儀式も終わり、ほとんどの生徒が食事を食べ終え、会話に花を咲かせていた。僕はただその様子を見つめているだけだった。ホグワーツという場所は、何だか少しだけ退屈な気がした。 翌朝、大広間で食事を取っていると後ろから肩を叩かれた。そのままそちらに視線を向ければ、懐かしい人物がいた。レギュラスくんと、僕の名前を呼ぶ声は間違いなく名前のものだった。 「久しぶりだね」 笑いながら口を開く彼女に対して返事をしようと思ったとき、僕の瞳に映ったのは彼女のネクタイだった。赤と黄色のネクタイ。その色は、僕と彼女が幼い頃に見た花言葉の本に咲く薔薇の色よりも濃い色をしていた。 どうして。その言葉が頭の中を駆け巡った。けれど、答えはすぐに出た。 何もおかしい話ではない。彼女の家は僕と同じように純血を重んじていた。けれど、彼女は自らグリフィンドールへ行くことを望んだ。組分け帽子は本人の意思を一番に尊重する。 なにもおかしな話ではないのだ。同じ年、ブラック家からグリフィンドール寮生が出たように、彼女の家からもグリフィンドール寮生が出た。それだけの話だった。 「…どうして」 それでも僕は疑問を口にする。どうしてだなんて自分でも分かりきっているはずなのに、何故この言葉が出てきてしまうのだろうか。何に対する疑問なのか自分でも分からなかった。 目に映る赤と黄色が、ただただ僕を困惑させた。 「どうしてって?」 彼女が僕のことを、怪訝そうに見つめた。 「何故あなたは、グリフィンドールを望んだのですか。あなたの家は純血を重んじていたでしょう」 聞かなくても自分できちんと分かっているはずなのに、それでも二つの色を否定したくて、現実から目を背けたくて堪らなくて、口を開いてしまう。 彼女が静かに口を開いた。 「それならレギュラスくんは、家のためにスリザリンを望んだの?」 家のために、スリザリンを望んだのか。 その言葉と同時に母さんの手の体温を思い出した。まるで、僕の代わりに母さんが彼女の問いに答えようとしているかのように。 そもそも、最初からおかしな話だとは思っていたのだ。兄さんと名前がホグワーツに通ってから、僕がホグワーツの新入生としてそこに通うまでの間、僕は一度も彼女に会っていなかった。 兄さんは休暇などで家には帰っていたけれど、母との関係はこじれるばかりだった。それから徐々に兄さんの僕を見る瞳が変わっていったし、僕も兄さんを見る瞳が変わった。 そして先ほども言った通り、僕は彼女とこれまでの間、一度も会っていなかった。以前のように話をすることも、遊ぶこともなかった。彼女が僕の家にやってくることもなかった。彼女の名前を聞いてこなかった。 彼女の家のことも、彼女の寮のことも、全て遮断されていたのだと思う。 兄さんが家に戻ってきたときに、一度だけ言われたことがあった。 「言いなりになっているのは、お前だけだよ」 今となってはこの言葉の意味が理解出来る。きっと兄さんは、自分自身の望みではなく徐々に純血を重んじるようになった僕が気に入らなかったのだろう。そしてこの言葉を発した。 言いなりになっているのは、僕だけだと。自分も、名前も、自身が望む道に進んでいるのだと。進んでいないのは、停滞しているのは僕だけだと。そういうことを伝えたかったのかもしれない。それとも、ただ従うだけの僕を見て苛立っただけなのかもしれない。 そこまで考えてから、先ほどの僕の言葉を訂正する必要があることに気付いた。これまでの間、彼女の名前・家の事情・寮のことを何もかも聞いていなかった、というのは間違いだった。 正しくは、僕が彼女のことを耳にしたのは、兄さんのこの言葉だったのかもしれない。間接的にだけれど、彼女がグリフィンドール寮の生徒になったことは読み取れるはずだった。 けれどその時の僕にはホグワーツの情報や寮の事情など、分からなかったのだ。ただ、頬を撫でる母さんを悲しませたくなかった。悲しませたくなかったというのは、母親に従う気持ちから来るものなのだろうか。 兄さんと名前は自分の進む道に進んだと言った。兄さんたちからすれば、僕はただ言いなりになっているだけのように見えるのだろうか。事実、そうなのだろうか。 けれど、僕がスリザリンを望んだのが例え母さんのためだとしても、それは僕の望みではないのか。スリザリンに入りなさいと言われ、抵抗することも出来たかもしれない。それでもしなかったのは、僕がそれを望んだからだ。 停滞なんてしていなかった。 僕は自分が望む道へと進んでいた。例えそれが血に、家に従っているように見えたとしても、僕自身がそうなるように望んだのだ。 「自分のために、スリザリンを望みました」 名前の瞳を見つめれば、彼女は口を開いた。 「私も同じよ。自分で望んだの」 誰も停滞なんてしていなかった。 兄さんも、名前も、僕でさえも。 猶予なんて与えられていなかった。 ×
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