5 自分の名前はカエルチョコレートだという嫌味ったらしい自己紹介をされたあの日以来、私はブラックくんに付き纏うようになった。いや、付き纏うというと何だか自分が悪い人のように思えてくる。だから、構ってやっているということにでもしておこう。 最初の頃は話しかけても、いくら呼んでも無視をされた。けれど私には持前の粘着力がある。人をからかうためだけに伸ばし続けたこの才能を活かし、ついに私は彼との会話に成功した。まだまだ彼の言葉に纏わりついている棘は多いけれど、とりあえず一歩前進だ。 ブラックくんのことは、まだあまり知らない。それでも知っていることが一つだけあった。彼が自分の名前を心底嫌っているということだ。 あの日、私の隣に座っていた男の子の話によると、ブラックくんにはグリフィンドール寮生のお兄さんがいるそうだ。名前はシリウス・ブラック。お騒がせな悪戯仕掛け人のうちの一人だと聞いた。しかもそのお兄さんとやらはどの寮の女子生徒にも人気らしい。 なるほど、と思った。だから最近、私が弟の方のブラックくんを呼びかければ、兄の方と間違えたのかは知らないけれど、女子生徒がちらりとこちらを見てくるのはそういう理由からなのか。 ホグワーツにブラックくんが二人もいたらややこしい。そう思った私は弟の方のブラックくんをレギュラスくんと呼ぶことにした。 レギュラスくん、と私が名前を呼ぶ。すると目の前の彼は思いきり眉間にしわを寄せ、私を睨んだ。 はてさて、どうしたものだろうか。普段私がブラックくんと呼ぶとき、彼は眉間にしわこそ寄せるものの、決して睨んではこない。何か気に障るようなことをしたのだろうか。けれど、いくら考えても思いつかないのだ。相変わらず悩んでいる私に、彼は言った。 「名前で呼ぶの、止めていただけませんか」 「え、何で?」 「呼ばれたくないからです」 「自分の名前が嫌いなの?」 私がそう尋ねれば、彼は何も答えなかった。頷きもしなければ、否定もしない。無言の肯定というやつだろうか。 「レギュラスって名前、良いと思うんだけどなあ」 「何故そう思うのですか?」 「え、響きとか?」 「…あなたに聞いた僕が馬鹿でした」 「えっ、酷い!…じゃあ逆に聞くけど、レギュラスくんは何で自分の名前が嫌いなの?レギュラスって星の名前でしょう?」 「そうです。けれど、それが嫌なんです。知っていますか、レグルスという星の別名を」 彼にそう言われ一生懸命頭で考えてみるものの、星の知識が全くない私は降参し、首を横に振った。すると彼はため息を吐きながら言うのだ。 「獅子の心臓です」 僕の言いたいことが分かりますか? そう尋ねてきた彼に対して私は再度首を横に振る。すると彼はゆっくりと口を開いた。 「僕が生まれたブラック家では純血主義を家風としていました。歴代のブラック家は全員、スリザリンに組分けされ、それが当たり前だったんです。けれど僕の身近な人間で、例外がいました」 「シリウス・ブラック?」 「そうです。兄さんはグリフィンドールに入った。けれどそれは許されないことだった。家も少しずつ崩壊していきました。母は毎日泣き崩れました。僕は、兄さんが許せませんでした。…それなのに」 彼は言葉を続けた。 「皮肉だとは思いませんか。僕の名前は、僕の家を壊していった兄さんのいるグリフィンドールの象徴なんですよ。獅子の、心臓なんです。僕の名前が兄さんの名前で、兄さんの名前が僕の名前だったならと何度も思いました」 レギュラスくんを見ると、彼は唇を噛み締めていた。普段の彼なら決して感情を表に出さない。だからこそ、その姿を見てしまうと彼の手を掴まずにはいられなかった。 するとレギュラスくんは、驚いたような表情で私を見た。 「私は好きだよ、レギュラスっていう名前」 「…今の話、聞いていましたか?」 「うん、聞いてた。だから私が、君の名前を好きにさせてあげる!」 「馬鹿言わないでください」 「馬鹿はレギュラスくんの方だよ。獅子の心臓だとか難しいこと考えちゃってさあ。君のお母さんは絶対に名前の由来なんて考えてなかったって。お兄さんの名前がシリウスで、弟の名前がレギュラスだなんて、ただ星の名前を付けたかっただけだよ」 私がそう言って笑ってみせると、彼は続けた。 「あなたの言うとおり、もし仮に星の名前を付けたかったという理由だけだとしても、僕はこの名前を好きになんてなれません」 「うん、分かってる。だから私が好きにさせてあげる。レギュラスくんが自分の名前を嫌っていても、私がしつこいくらいに君の名前を呼ぶよ。そうしたらきっといつかは、自分の名前が好きになるはずだわ」 「…根拠は?」 「ない!」 もう一度彼に向かって笑ってみせればレギュラスくんは呆れたような口調で馬鹿なんじゃないですか、と私に言った。けれど、それでも良いと思ってしまうのだ。 そうすることでいつかレギュラスくんが自分の名前を呼んで欲しいと、そう思えるようになれば上出来だと思うのだ。 だから私は何度でも、何十回でも、何百回でも、何億万回でも、彼の名前を呼ぼう。頭を叩かれても睨まれても、名前を呼び続けることで、いつか君が自分の名前を好きになれるような日が、君が私に向かって笑いかけてくれる日がくるのならと、少しだけありえない理想を抱いてみたのだった。 ×
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