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目の前にいる人物に杖を向けると、彼女は困ったように笑いながら両手を挙げた。

ホグワーツに入学してから、目の前にいる彼女とは随分と関わりを持った気がする。彼女を一言で言うならば、変人だ。そのイメージはスリザリン寮生だけではなく、ホグワーツの生徒全体の中でも定着している。もっとも彼女の場合は、イメージだけの話では済まされなかったのだけれども。

例を挙げればきりがない。この前の授業なんて教室を半壊させてしまったり(それでも彼女はなかなか出来ない経験だと笑っていたけれど)スリザリン寮生のくせに、グリフィンドール寮生と仲が良い。

それだけじゃない、彼女は一応純血主義を家風としている名家の者だ。それなのにマグル学も面白いよと言ってのける。

生憎、僕はそんな彼女と友人になる気も、顔見知りになる気もなかった。けれど先程言った通り、彼女とは随分と関わりあうことになってしまったのだ。関わるというよりも、付き纏われると言った方が正しい気もするけれど。

「女性に杖を向けるなんてブラック家も成り下がったんじゃない?」
「安心してください。教室を半壊させるような人は女性に分類されませんから」
「随分と酷いことを言うんだね。…それより、その杖で何をするつもりなの?」

死喰い人が飛ばす呪文は怖そうだからお断りしたいんだけど。
彼女はそう言いながら笑っていたけれど、僕は眉間に皺を寄せる。

「知っていたんですね」
「何年も一緒にいて気付かないとでも思ったの?」
「なら好都合です。マグルが大好きな上、後々生き残られては、敵に回しては厄介なあなたから殺しましょうか。僕も最初に殺したのがあなたなら、悔いはありません」
「冗談きついなあ」

彼女はもう一度笑いながら両手を挙げてみせる。
彼女の性格上、僕が死喰い人になったということは誰にも言わないだろう。それだけは確信が持てる。けれど問題はそこじゃない。彼女に知られたこと自体が問題なのだ。彼女が気付いているということを、僕も薄々気付いていた。だから僕は今こうして彼女に杖を向けているのだ。
僕にとって彼女は、本当に厄介な存在だった。

「ところでレギュラスくん。君のやろうとしていることは傍で見ると悪そのものだけど、それについてはどう思っているの?」
「善悪の判断なんて誰にも分からないものです。たとえ僕のやろうとしていることが悪でも、その悪が善よりも強くなった場合、それが善になるという可能性があるとは思いませんか?」
「なるほど。善悪は判断出来ないってね。流石ブラック家、言うこと成すこと全て正しく聞こえる。ただ、私の善と君の善が同じものならばの話だけれど」
「…何が言いたいんですか」
「途中下車をして路線変更も有りってことだよ。どう、レギュラスくん。私と一緒に善から悪へ、はたまた悪から善へと路線変更をしてみませんか?」
「それこそ冗談ですよね。どうしてもと言うならあなたが途中下車すればいい」
「それはいやだなあ。だって途中下車って面倒じゃない」

呆れて思わずため息を吐いた。
この状況で彼女は冗談を言ってみせるのだ。もしかして冗談ではないのかもしれない。彼女なりに本気で言っているのかもしれない。それでも、例えそれが本気だとしても、僕にとって彼女の提案はとても馬鹿馬鹿しいものにしか思えなかった。

「僕もあなたと同じで途中下車をする気はありません」

すると彼女はわざとらしく困ったような表情をしながらため息を吐くのだ。その息を吐きたいのはこっちだと言ってしまいたかったけれど、押し込む。

「残念だなあ。レギュラスくんは途中下車して私と一緒に来てくれないんだね。これだけ長い間一緒に居るっていうのに本当に残念で堪らない」

そう言って、わざとらしく首を振る。

「本当に残念だよ。…だけど私は諦めが悪い。だから」

瞬間、彼女が杖を取り出す。
しまった。そう思う暇しかなかった。いいや、むしろそれをやられてから僕はしまったと思ったのかもしれない。油断したのだ。
エクスペリアームスと叫び、僕の手から杖がなくなったことを確認した彼女は、相変わらず笑っていた。

「だから私は、君を強制下車させるまでだよ」

僕は溜め込んでいた息を吐いた。
何度も言うけれど、僕にとって彼女は本当に厄介な存在なのだ。

「馬鹿なことをするのは止めてください」

彼女の呪文によって飛ばされた杖を一目見てからそう言うけれど、僕の言葉を聞いた彼女はやはり笑っていた。

「馬鹿なことなんて何もしていないわ」
「いいえ。あなたのしていることは馬鹿なことです」
「酷いなあ。せっかく守ろうとしてあげてるのに」
「守る?冗談言わないでください。馬鹿でどうしようもないあなたが、一体誰を守るというんですか」

尋ねれば、彼女は笑顔を崩さないまま僕に杖を向ける。

「レギュラスくんをだよ」
「…あなたが僕を守る?」
「そう。道から外れようとしているレギュラスくんを守ろうと思ったの」

彼女の言葉を理解したとき、僕は女の人に守られる恥ずかしさだとか、悔しさだとか、そんな感情を一切持ち合わせる余裕なんてなかった。
彼女が僕を守る?そんなの。

「そんなの、冗談じゃない…!」

言葉を発したと同時に先程飛ばされた杖を引き寄せる。その様子を見た彼女は眉間にしわを寄せて、何か言葉を発しようとしていた。

呪文なんて唱えさせてやるものか。
彼女が口を開く前に、僕は彼女が構えていた杖を飛ばした。彼女の手元には何もない。僕はもう一度彼女に杖を向ける。

「こんな簡単に杖を飛ばされて守る、だなんて大層なことをよく言えましたね」
「最初に杖を飛ばされたあなたに言われたくないわ」
「最後に試してみたかったんです。本当にあなたは、僕にとって厄介かどうかを」
「…それで、試した結果は?」
「厄介でした。あなたは本当に厄介だ」
「それは光栄」

この状況でもいまだに余裕そうな彼女の態度に腹が立った。彼女の肩を掴み、強く押す。動けないように片方の手で両手を強く押さえつけ、床に倒れた名前の上に跨ってから、その顔に杖を向けた。

一度言葉を吐いてしまえば、止められる気がしなかった。

「あなたは道から外れようとしている僕を守ると言った。けれどあなたは僕を守れない。それ以前に、僕は道を外れようとしていない。何も間違ってはいない。あの方が全て正しい。あの方の考えが、僕の進むべき道だ!」
「私はそうと思わない」
「そうでしょうね。兄さんに似て、純血主義の思想を良く思っていなかったあなたはそう言うと思っていました。だから死喰い人に加わったことを言わなかった。僕が死喰い人に加わったことを知ったら、あなたはきっと僕の進む道で邪魔にしかならない。けれど今、こうして気付かれてしまった。厄介なんです。あなたは本当に厄介なんだ」

言葉通り、死喰い人に加わったことを彼女に知られるのは厄介だった。今にしろ、遠い未来にしろ、僕と彼女はきっと対立してしまう。彼女がもし他の死喰い人にやられてしまうくらいなら、いっそのこと。
そう思って今日、彼女に杖を向けたというのに。

「お願いです、名前。邪魔をしないでください。僕の行動を見て見ぬ振りでも何でも良いです。お願いですから、邪魔だけはしないでください」

僕がそう頼み込んでも、やはり頷かないのだ。
彼女は静かに首を横に振った。

「…なら、せめて」

はじめからこうするつもりだった。
他の死喰い人にやられてしまうくらいなら、いっそのこと彼女を殺す?冗談じゃない。そんなこと、できるはずがない。

先程言ったとおり僕はこのホグワーツに入学してから、目の前にいる彼女とは随分と関わりを持ってしまったのだ。

殺さない。殺せない。殺させない。そのために僕がすべきことは、最初から決まっていた。

向けていた杖を握り直すと、彼女の目が見開いた気がする。急に暴れだした彼女がこれ以上抵抗できないように、もう一度両手を押さえつけた。

「お別れです」

視界が一瞬だけ、滲んだ気がする。
それが何かに圧迫された胸からくるものなのかどうなのかは分からない。それどころか、何に圧迫されているのかすら分からなかった。けれど暫くすると滲んでいたはずの視界は元通りになっていた。

オブリビエイトと唱えれば、その視界の滲みと同様、抵抗していた彼女が静かになった。



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