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ホグワーツに入学してから三年目、ホグズミード村に訪れた時のことだった。


村は一面雪に覆われていて、見ているだけで震えがとまらない。
寒さを凌ごうと、さてどの店に入ろうかと迷っていた。


毎年寒くなると思い出すことがある。
三年前から姿を見せなくなった妖精のことだ。


見せなくなった、といっても僕が彼女の姿を目にしたのは幼少期と、ホグワーツに入学する前の二回だけだった。


彼女はあの日、突然帰ってしまった。
そのことについて自分に非がないわけではない。
少なくとも、僕の態度が影響しているのかもしれないと、そう思わずにはいられなかった。


やつ当りだった。
あの頃の自分はホグワーツ入学を控えていて、何としてでもスリザリンに入らなければと考えていた。


組分け帽子は本人の意思を一番に尊重するということを知らなかったわけじゃない。
現に、兄さんはスリザリンを望まずグリフィンドールに入った。


けれど万が一、スリザリンに入ることができなかったら。こういった考えが尽きなかった。


考えても仕方がないことだと理解していた。
それでも、そんな時に家から背いた兄さんの話に触れられて、しかも穏便に済ませようと思っていたら、逆に勘付かれてしまって、堪らなくなったのだ。


彼女の問にすぐ答えることも出来ず、その場にいることも耐えられなかった。


結果、気を遣ってか分からないけれど、部屋に戻った時、彼女の姿はどこにもなかった。
だから、二度と彼女は僕の目の前に現れないのかもしれないと思った。

現れないからといって、都合が悪いわけではなかった。
むしろ、彼女といると、いつか心のうちを全て見透かされてしまいそうで怖かった。


彼女の種族が"あの方"をどう思っているのかは分からない。
けれど、ホグワーツ在学中の僕にとって、"あの方"の考えが理想的だということを、何もかも見透かしてしまいそうな彼女に知られるのは都合が悪かった。


それなのに、だ。


自分の目の前には真っ白い風景が広がっていた。見ているだけで震えが止まらなくなってしまいそうな雪景色である。


そして、その雪景色と同じく、見ているだけで震えが止まらなくなってしまいそうな格好をした女性が一人、こちらを見つめていた。


「あ、あは」


取りあえず笑ってみた、というような声を出した彼女を見て大きくため息を吐いた。


「あなたは本当に、何時まで経っても、何処にいてもその格好なんですね」


どうしてこの妖精は、いつだってこんな格好をしているのだろうか。
その服を身につけることが義務であるのなら、せめて寒さへの耐性をつけるべきだと思う。


「まさかホグズミードに来てまであなたに会うとは思いませんでしたよ」


呟けば、彼女の表情が変わった。その表情には見覚えがあった。
三年前のあの日、僕の肩を思いきり掴んだ時の表情だった。嫌な予感しかしなかった。


「あの、ここホグズミード村なんですか」
「…そうですけど」


質問に答えれば、あの日と全く同じように肩を掴まれた。
それから目の前にある彼女の顔を見る。
思わず、うわ、と声を出してしまいそうになった。


「あ、あのですね、レギュラスくん。今お時間ありますか。もしあるのならホグズミード村を案内していただけますか。お願いします!本当に、お願いします!」


彼女の表情は必死そのものだった。
三年前のあの日、「自分のことを覚えているだろう!家に上げろ、寒いんだ!」というようなことを言われた時と同じ表情をしていた。


必死にお願いをしているはずなのに、必死すぎてまるでお願いをされている気分になれない。
これは彼女の特技か何かなのだろうか。


自分に拒否権などというものは存在しそうになかった。


その後、いろんなところを案内させられた。
といっても、案内しろという割には彼女はいろんなところを知っていた。


場所を知らないだけで、やれゾンコに行きたいだとか、やれハニーデュークスの匂いを嗅いでみたいだとか、ホグズミードのことをよく知っているようだった。


マダム・パディフットの店に行きたいと言われた時は、彼女から土下座に近いものをされても断った。
あそこだけはどうお願いされても、何をされても、この妖精とだけはいかないと案内し始めた時から考えていた。


結局、時間の許す限り色んなお店をまわった。
ホグズミードに着いた当初はこんなに色んなお店をまわるはめになるなんて思ってもいなかった。


店をまわっている途中、興奮して騒ぐ彼女を止めたりしていると、周りの人から変な目で見られることがあった。
無理もないと思う。こんな寒い中、彼女の格好は半袖半ズボンだ。その上とても騷しい。


案内をする前に一度だけ寒いかとたずねたとき、彼女は「自分でも分からないけれど今回は寒くない」と言っていた。


痩せ我慢なわけでもなさそうだったし、本人がそう言うのならなにか服を与える必要も無さそうだった。
それにもう、彼女のこの不恰好さは見慣れてしまった。


最後は彼女の要望で、三本の箒へ行くことになった。
なんでもバタービールを飲むのを楽しみにしていたらしく、最後にとっておいたらしい。


時間も経ち、気温も低くなった頃だったので、こちらも都合が良かった。バタービールで身体を温めよう。そう思い、目当てのものを二つ注文した。


バタービールが二つ、机に置かれた。
彼女が目を輝かせていると、上から話しかけられる。


「それにしても兄ちゃん、育ちがよさそうな顔して一人で二杯だなんてなかなかやるねえ。まあ、外は寒いしゆっくり暖まっていきな」


そう言った店員が機嫌良さそうに机から離れていった。店員の言葉に僕と彼女の動きが止まる。


バタービールはもちろん、ちゃんと人数分だ。
けれど、僕が一人で二杯も飲むと思われている。考えられることは一つだけだった。


「もしかして私、見えてない?」


僕が言うより先に、彼女が口を開いた。
可能性としては大いにありえることだった。


そもそも彼女は妖精なのだ。
あまりに彼女の姿形がはっきりと見えるため、今まで周りの様子を気にしたことはなかった。


ということは、だ。


「言っていいのか分からないけど、多分レギュラスくん、周りから独り言を話しているように見えてるんじゃないかな…」


またもや彼女に言葉を先取られた。
ただ、自分で思うよりも他者からの言葉で聞かされる方がぞっとしてしまう。


先ほどまで向けられていた周りからの視線は、ずっと彼女の不恰好さと騒がしさからくるものだと思っていた。けれど、どうやらそれは彼女の姿が見えないがために、独り言を話しているかのように見える僕に向けられたものだったのだ。


頭を抱えてしまいそうになった。
ホグズミードの住民だけではなく、きっとホグワーツ生も見ていただろう。


そんな僕の様子を見てか、彼女は必死になって僕を励まそうとしていた。


「レ、レギュラスくん元気出して!乾杯しよ。ほら、カンパーイ!ってこれもレギュラスくんが一人で乾杯してるように見えちゃうか…」


けれどその励ましも、見事に空振りだ。
慌てふためき落ち込む彼女を見て、思わず笑みが溢れた。その様子を見ていたらなんだかもう、どうでも良くなってしまった。


「ほら、グラス持ってくださいよ」
「え、でも一人で乾杯に…」
「今更ですよ」


すると彼女の顔に輝きが戻る。
くるくる変わる表情を見ながら、グラスを持った。けれど、何時まで経っても彼女がグラスを持ち上げない。


「どうしました?」
「あ、あのさレギュラスくん」


気まずそうにこちらを見た彼女に首を傾げる。


「なんか、グラスに触れられないみたいなんだけど…」


彼女は何度もグラスに触れようと手を伸ばすけれど、手がグラスを通り抜ける。
その様子に、僕と彼女は顔を見合わせた。
それから何度試してみてもグラスに触れられない。


「おかしいなあ。前に紅茶を淹れてもらった時はちゃんと飲めたし、ティーカップにも触れられたのに」


彼女の言う通りだった。
三年前、確かに僕は彼女に紅茶を出した。
彼女が帰ってしまった後も空になったティーカップを目にしている。


ここにきてどうして突然、そんなことが起ってしまうのだろうか。そこまで考えてから思い出す。


ホグズミードを案内する前、彼女は確かに、今回は寒くないと言っていた。
今日は三年前、彼女が随分と寒がっていたあの日よりも気温が低いはずだ。雪だって積もっている。
彼女がグラスに触れられないことと、寒いという感覚がなくなっていることは何か関係があるのだろうか。


結局その後も何度かグラスへ手を伸ばしてみたりしたものの、彼女がグラスに触れられることはなかった。


このままじゃ勿体ないからという彼女の言葉によって、結局僕は店員の言う通り、バタービールを二杯も飲むはめになった。
バタービールを楽しみにしていた分、沈んでしまった彼女に声をかける。


「新種の妖精がどんなものか分かりませんけど、今回はたまたま調子が悪かったのでしょう。まあ、この村に来れるのは今年だけってわけじゃないですし、また来年もありますよ」


柄にもなく励ませば、彼女は少し考えてからそれでも納得したかのように頷いた。


「そうだね。バタービールはまた今度飲めるかもしれないし、それに今日はレギュラスくんのおかげで本当に楽しかった!ありがとう!」


レギュラスくんもそろそろ帰らないといけないよね、と言って笑った彼女に対して頷く。今日一日彼女に振り回されっぱなしだったけれど、たまには誰かに振り回されるのも悪くないかもしれない。
そう思いながら彼女に別れを告げる。


それからそのまま後ろを振り向いて歩いた時だった。


「まって、レギュラスくん!」


呼ばれた方へ振り向けば、彼女はこちらへと歩いてきた。どうしたのだろうかと首を傾げる。


「名前」
「…え?」
「私の名前。忘れないでね!バイバイ」


いつの日かしたようなやり取りに笑みが溢れる。
立場がまるで真逆だけれども、懐かしい。


そんなことを思いながら彼女を見る。
僕は今、どんな表情をしているのだろうか。


「名前、またいつか」


言えば、彼女は今日一番の笑顔を見せてくれた。
その瞳に映し出される僕の顔は、名前と同じ表情をみせていた。



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