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「レギュラスくん?」

僕の名前を呼んだ名前の方へと顔を向ければ、彼女は不思議そうに僕の顔を見つめた。どうかしたのかと尋ねられたけれど、何でもないと言えば、その答えに納得がいかなかったのか、彼女は言葉を続ける。

「さっきからおかしいよ。何度呼んでも返事をしてくれないし、やっと返事をしてくれたと思ったら何でもないだなんて」

兄さんに話しかけられた翌日、僕は名前が待っている場所へと足を運んだ。

彼女はいつも通りの笑顔で僕を迎えてくれて、いつも通りに話をはじめる。ただいつもと違うのは彼女の話に対する僕の反応だった。

彼女の話を聞く前に、聞きたいことがあった。けれど口が開かない。昨晩兄さんに言われたことを彼女の口から肯定されてしまうのが怖いのだろうかと、そう思った。

確かにあの日、彼女は言ったのだ。
僕に会えてとても嬉しかった。前のようにまた話がしたいと。それは僕の自惚れからやってきた幻想などではなく、確かに彼女の口から発せられた言葉だった。けれど兄さんの言葉も、確かに兄さんの口から発せられたものだった。

情けない話だった。
確かにそれは、彼女から発せられたものだというのに、兄さんから告げられた言葉がきっかけで、その言葉を疑ってしまう。

彼女の言葉は、本当に彼女の真意なのかと、会えて嬉しかったと、また話しがしたいと、そう言ってくれた彼女を簡単に疑ってしまっている僕がいる。

彼女に尋ねることが出来ないのは、彼女を信じていないからだ。なら、僕が今ここで彼女にそれを尋ねることが出来たのなら、それは。

「名前」
「なに?」
「少し、聞きたいことがあるんです」

すると彼女は、何でも聞いてと笑う。
名前に尋ねることが出来たのならば、僕は、彼女を信じられるのだろうか。もう一度彼女の口から言葉を聞いて、きちんと信じてみたかった。

「名前は、どうしてグリフィンドールを望んだのですか」

尋ねれば名前は少しだけ驚いた表情を見せ、口を閉じたままだった。それでも暫くすれば、言葉を口にした。

「レギュラスくんも知ってる通り、私の家は純血主義を家風としていた。幼い頃から家について、マグルと私たち魔法使いの違いについて、そしてマグルよりどれくらい優れているのか、それらを知った上で自分たちの行わなければいけない行動など、色んなことを教わったわ。私は父や母から家についてのことを話をされる度に、縛り付けられているようで嫌だった。けれど、この家に生まれて悪いことばかりではなかった。父や母も、血にこそ拘るけれど、悪い人ではなかった。それに、レギュラスくんやシリウスに会えることが出来たもの。きっと私が純血じゃなければ、レギュラスくんの家に行くどころか、知り合うことも出来なかっただろうし」

彼女が苦笑しながら言った。

「ホグワーツに来た時、物凄く嬉しかった。親から行動を監視されるわけでもなく、寮の組分けは自分の意思が一番に尊重される。両親からはスリザリンに入れって言われたけれど、抗ってみたくなったの。自分の血に、自分の家風に。抗って、それで、それから、両親の私に対する態度はどう変わるのか知りたかった。血に、家に、全てに抗っても、それでも私を愛してくれるのか、知りたかった。結局、呆れられてしまって今ではろくに話をしていないけれど、それでも私、後悔はしていないわ。何も間違ったことをしていないと思うの。私の人生だもの。…それに今はとても安心している。だってグリフィンドールにいる私と昔みたいに、レギュラスくんはこうして話をしてくれるじゃない」

彼女は笑った。名前の口から発せられた言葉を聞いて、唇を噛み締める。

彼女は僕と話をすることを望んでくれた。それは間違いなく、彼女に疑問を尋ねる前の僕が望んだ言葉だった。肯定してほしいと、そう願って、そして彼女はその言葉を発してくれた。

嬉しいはずなのに、喜ばなければいけないはずなのに、何故か唇を噛み締める僕がいた。噛み締めなければ、気力を保てない僕がいた。その感情は決して喜びからくるものではなく、絶望から来るものだった。

初めから全て決まっていたのだ。
彼女は自分の意思でグリフィンドールに入った。自分の意思で、血に、家に抗った。兄さんにとても良く似ていた。兄さんと僕は、立場がまるで真逆だった。自分の意思で血を裏切った兄さん。自分の意思で血を守ろうとした僕。真逆だった。そして、その兄さんに似ている名前。僕と彼女も、まるで真逆だった。

彼女は僕を望んでくれた。
とても嬉しかった。それでも。

「それでも、僕と貴女がお話をするのは、今日が最後のようです」

それでも、父さんを裏切ることは出来なかった。母さんをもう一度泣かせてしまうことは出来なかった。

母さんが、僕の頬を愛おしそうに撫でる。もう随分前の記憶だというのに、どうしてこんなにも感触が消えないのだろうか。まるで母さんが、忘れないでと、そう言っているかのようにずっと残って離れない。

昔のように彼女と話し続けてしまえば、僕まで母さんを裏切ってしまいそうで怖かったのだ。名前と関って、自分の思考が変わらないとは言い切れなかった。自分の考えが、自分が、血に抗ってしまうのではないのかと、そう考えると怖くて仕方が無かった。

彼女が僕の顔を見つめる。
瞳が合ってしまうのが怖くて、思わず逸らしてしまった。

「…最後ってどういうこと?」
「言葉通り、お互い会って話をするのは今日で最後にしましょう、ということです。僕と貴女はスリザリンとグリフィンドールだ。純血主義を家風とする家に生まれた貴女なら分かるはずでしょう。純血を掲げる魔法使いが嫌うものを。貴女はマグルではないにしろ、血を、家を裏切った」

瞳を合わせることが出来なかった。
代わりに、彼女の手のひらを握る。僕と話をすることを望んでくれた、彼女に対しての謝罪を込めて。

「覚えておいて下さいね。僕たちに猶予なんてものは、最初から用意されてなんかいませんでしたよ」

彼女は唇を噛み締めた。
僕は笑みを見せながら言葉を続ける。自分の手が、震えてしまいそうになった。言葉を発することが、こんなにも辛いと思ったのは初めてだった。

「血に、家に従う僕と、それに抗う貴女。分かり合える者同士ではないということです。自分の意思でそれを決めた時から、停滞する時間なんて用意されていなかったんです。分かり合えない者同士は、別々の道を行くことしか出来ない。歩みを止める猶予なんて与えられない。僕たちに流れている血は、そんなに甘いものではないんです」

握っていた手を離せば、彼女の顔が歪んだ。

「ですからこれで、お別れです。もう貴女と話をすることもないでしょう」

さようならと、そう口にすれば、言葉が震えた。唇を噛み締めたままの彼女と母さんの顔が重なって見えてしまうのは、後悔からくるものなのか。分からなかった。それでも母さんのその表情を、彼女のその表情を見ていたくなくて、背中を向ける。

歩き出せば、込み上げるものに勝てそうになくて、自分の腕を強く握る。
何も間違えてはいないと、自分の意思は、考えは正しいのだと、そう言い聞かせるかのように爪を立てた。



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