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待てど暮らせど愛やまぬ




「なまえちゃん」

日曜日の昼下がり。名前を呼ばれた少女が振り返ると、紙袋を下げた名前が立っていた。

「うそ!名前ちゃん!すっごい偶然!お買い物?」

走り寄って両手を絡める。休日にショッピング街で鉢合わせるという、ちょっとした非日常に、なまえは見るからにテンションを上げていた。

「うん、そうだよ。ちょっと欲しい本があって。――なまえちゃんは、すごく可愛い格好してるね。もしかして、これから赤羽君とデートかな?」

「えっ!まぁ、うん……!」

恥ずかしさと喜びをごまかすように笑ったなまえを見て、名前も微笑を浮かべた。紙袋を肩にかけ直して、居住まいを正す。

「どこで待ち合わせしてるの?」

「ここだよ」

なまえは今いる自分の足元を指差した。確かにここには目印になる像があり、待ち合わせ場所としてよく使われている。納得した名前が辺りを見渡すが、目立つはずの赤色は見当たらなかった。

「赤羽君はまだ来てないみたいだね」

彼は時間にルーズそうだ。日頃の学校生活を知っているので、名前は口にせずともそう思った。そして、友人がその被害を受けていることを心配し、「待ち合わせは何時なの?」とスマホの時計を確認しながら問いかけた。

「待ち合わせは13時なんだけどね、私も今ついたところだから連絡しなきゃ」

13時をちょうど示したデジタル表示から目を離し、名前は首を傾げる。

「どういうこと?」

「あのね、カルマはまだ家にいるんだ」

「遅刻の連絡があったの?」

予想通りとはいえ、呆れながらも問いかける名前。しかしなまえから返されたのは、さらに予想の斜め上をいく回答だった。

「違うの、いつもそうなの。カルマは私が待ち合わせ場所に着いたのを確認してから、家を出るの」

「……え?」

名前が眉を寄せるのにも気付かず、なまえはその場でカルマに電話をかけ始めた。そして二、三言会話をした後、すぐにスマホを切って、鞄にしまう。

すっかり慣れた様子のやりとりを見て、名前は目が眩んだ。なまえとカルマの関係がおかしいことを知ったのはわりと最近だが、その歪な関係は解消されたと思っていた。しかし、先ほどの言葉から察するに、友人とその彼氏は、根本的な部分で何かがずれているらしい。

理不尽に貴重な時間を奪われているのに、全くそれに気づいていない。名前はそんななまえの姿をじっと見つめた。どんな本買ったの?名前ちゃんは難しい小説とか読んでそう、そんなことを言いながら紙袋を覗きこもうとする友人のことが、彼女は大好きであると同時に、とても心配だった。

「あのね、なまえちゃん」

「ん?なに?」

「今からちょっと、付き合って欲しいんだけど、いいかな?」

「え?今から?」

目に見えて狼狽える。なまえはこれから数十分遅れてやってくるはずのカルマを思い浮かべていた。

「ごめん、私、ここでカルマを待たないと……」

「赤羽君、待ち合わせ場所にいなかったら、なまえちゃんのこと怒るの?」

「んー……わかんない、私が遅れたことないから」

こんな待ち合わせをしていれば当然だろう。内心カルマに苛立ちのようなものを感じながら、名前は冷静に言葉を選ぶ。

「だったら、赤羽君のこと、試してみようよ」

「え?」

「なまえちゃんが、どれだけ待たされても平気なのは、赤羽君が大切だからだよね。赤羽君も同じなのか、確かめてみよう」

名前は自分の内側を渦巻く強い感情の名前が分からなかった。無闇に他人へ関わることを良しとしなかった自分が、友人とはいえ、他所のカップルの関係に口を挟む日が来るなんて、想像もしなかった。

そして、彼女の性格をよく知るなまえも、妙な剣幕に押され、つい頷いた。その時の心境は、怒らせたらどうしよう、という不安と、カルマが本当に自分を待っていてくれているのかという好奇心と、半々だった。





二人は待ち合わせ場所のよく見える、喫茶店に入った。窓際の席を陣取って、あまり会話らしい会話もなく、ただカルマが来るのを待っていた。

なまえは気まずさから会話を探したけれど、頼んだコーヒーを無心に飲み続ける名前へ声を掛けるのは憚られた。本人にそんなつもりはないと分かってはいたが、拒むような空気が漂っている。

やがて待ち合わせ時間から二十分ほど経った時、カルマがやって来た。見つかることを恐れて少し窓際から身を引いたなまえに対し、名前はわずかに乗り出した。

カルマは見られていることも知らず、あくびをしながら集合場所へ立った。いつもならそれだけで、目ざとく主人の到着を嗅ぎつけた忠実な犬が走り寄って来るのだか、なかなかそれがない。ようやく違和感を覚え、辺りを見渡したカルマだが、面倒になったのかスマホを取り出した。

「あ、カルマだ」

彼がスマホを耳に当てると同時に、テーブルの上に乗っていた彼女のスマホが震える。

伺うような視線を向けるなまえに、友人は無言で首を横に振った。振動はやがて止まる。

カルマは繋がらない電話に、眉を寄せた。しばらくスマホ画面を見つめていたかと思うと、またなまえのスマホが震える。テーブルの上に現れた「今どこ?」というシンプルなメッセージ。開封すると既読となって、相手に読んだことを知られてしまうので、彼女はスマホに触れなかった。

「カルマ、イライラしてない?」

見つかることを恐れて、カルマの方を見ることさえできないなまえが、テーブルを見下ろしたまま問いかけた。

名前は「大丈夫」とだけ答え、観察を続ける。それは友人が凹まないためについたウソでもなんでもなく、客観的に見えた事実だった。カルマは、名前が予想していたよりもずっと、焦っているように映った。

忙しなく周囲を見渡して、人混みをかけるようにその場を一周する。スマホを何度も確認し、既読がつかない画面を見て、表情をかたくしていた。

「多分また電話くるよ」

名前の言葉通り、テーブルとスマホが揺れた。バイブの音になまえは肩を震わせる。取り返しのつかない、悪いことをしているような気になっていた。

「もういいよ、大丈夫。名前ちゃん。そろそろ行って、謝ってくるよ」

「もう少し。いつももっと待たされてるでしょ?謝るのは私がするから、なまえちゃんは気にしないで」

名前はその間、一度も窓ガラスから視線を外さなかった。

二人がやりとりをしている間に、カルマは電話がけを諦めた。スマホの振動が止まったけれど、まだスマホを耳に当てている。

「赤羽君は、なまえちゃんの家の電話番号知ってる?」

「え?どうだったかなぁ。そういえば教えてないかも」

「じゃあきっと今頃……」

観察対象がスマホを耳から外したので、名前も言葉を切った。またカルマがうろうろし始めたころ、テーブルが振動する。今度は名前のスマホだった。電話の相手は、彼女にとって大切な人物だった。

「渚君、どうしたの?」

『名前ちゃん、急にごめんね。実はさっきカルマ君から電話が来て……』

「やっぱり渚君だったんだね」

焦りを孕んだ声が、えっ?と裏返る。

「赤羽君は電話でなんて言ってた?」

彼の名前が出て、なまえがぴくりと反応した。不安げな視線を向けられているのを感じながら、名前は変わらずカルマを観察する。

『それが、待ち合わせしていたみょうじさんが急に連絡つかなくなったみたいで……こんなこと今までなかったから、何かに巻き込まれたのかもしんないって、すごく心配してた』

「うんうん、それで?」

『カルマ君に頼まれてこれから僕も、待ち合わせ場所に行くんだけど、名前ちゃん今、時間あるかな?みょうじさんと入れ違いにならないよう、僕らが探しに行ってる間、待ち合わせ場所にいて欲しいんだ』

「ねえ、ちなみに赤羽君の様子はどうだった?」

『え?すごく焦ってるようだったけど……』

「私にも来て欲しいって、赤羽君が言ったの?」

『うん、そうだよ。……名前ちゃん、どうかした?』

成り行きが分からず狼狽えるなまえに対して、名前は静かで正確に思考を働かせた。

「分かった、待ち合わせ場所教えてもらっていい?……うん、大丈夫、また後で」

渚との電話を切るとすぐに立ち上がる。つられて起立したなまえは、二人分の飲み物が乗ったトレーを片付けるため、返却口へとかけていった。

「ありがとう」

戻ってきた友人から一言かけられ、なまえは意を決したように口を開く。

「ごめん、名前ちゃん、私状況が全く分からないんだけどっ……!」

「大丈夫、もうすぐ分かるから」

店を出た名前は人混みをかき分け、赤羽の元へと進む。その後ろをぎこちなくついていく少女は、何度も波に乗り損ね、人にぶつかり、頭を下げていた。

赤色のすぐ背後に立ち、なまえが追いつくのを待った。やがて、ゆっくりと振り返った少年は、探し求めていたはずの人物と、その友人の姿を認めるが、口元を緩めるように、微笑を浮かべただけだった。

「やっぱりね。なまえと一緒にいるのは、名字ちゃんじゃないかと思ったんだよ」

えっ、と声をもらしたのは、なまえだった。名前は、やはり演技だったかと、呆れ果てた。予測できていたからこそ、カルマの言葉を聞いてなお、冷静さを崩さない。なまえだけが状況についていけず、二人の表情を伺い見る。

「……カルマ、何で分かったの?」

「ちょっと考えれば分かることだよ」

そう前置きしてから、彼は自分がその結論に至った理由を説明した。

「まず、なまえが俺との待ち合わせをすっぽかすことは、普通だったら考えられない。考えられる普通じゃない可能性は、『何らかの事件に巻き込まれた』か、『断りづらい相手に誘われた』か。これだけ人通りの多い待ち合わせスポットで、事件に巻き込まれることは考えにくい。と、なれば残る可能性は一つだよね。誰かに連れられて、なまえは止む無くこの場を離れた」

つらつらと語られる言葉を、呆然と聞き流しそうになって、我に返ったなまえが咄嗟に聞き返す。

「それで、そうだとしても、なんで名前ちゃんだって分かるの」

「だって、なまえが俺以上に優先する奴なんて、他に考えられないし。俺のコト選んだせいで、すっかり本校舎の奴らから浮いちゃったし?」

それは優越なのか、嫌味なのか、彼女には判断しかねた。ぐっと言葉につまって、そのまま萎縮しそうになって、だけど良くないと考え直して、恐る恐る問う。

「カルマ、怒ってる、よね」

謝罪を続けるつもりで問いかけたのに、当の本人はあっけらかんと、「なまえには怒ってないよ」と答えた。

「ただ、名字ちゃんにはちょっとイラッときたかなぁ」

空気が張りつめるのを、三人とも感じた。静かにやり取りを見守っていた名前が、カルマの視線を正面から受け取る。

「名字ちゃんが何考えてるか知らないけど、余計な事しないでくれる?」

「余計なこと?」

「俺たちの待ち合わせ、邪魔したよね」

「それじゃあ、どういうことか説明してくれる?」

「何が?」

「君たちの待ち合わせのしかたについて」

少年の眉がぴくりと動いた。それだけで名前は、彼が自分の待ち合わせが一般的ではないと分かった上で続けていることを見抜く。

「別に、どんな待ち合わせしようと俺らの勝手じゃん?」

「どうしてそんな言い方できるの?彼氏として間違ってると思わないの?」

「……あんたなまえのなんなの?」

「友達だけど」

唐突に険悪になった恋人と友人のやりとり。なまえは酷く狼狽えた。しかし二人は全く意に介さず、距離を詰めるようにして、睨み合う。

「友達にしては出しゃばり過ぎじゃない?俺が、渚君とのことに口出したことあったっけ?」

「友達だから、心配なんじゃん。話の論点をかえないでもらえるかな」

「ふ、二人とも、落ち着いて……っ」

間に割り込んで宥めようとするが、カルマも名前も退こうとしなかった。

「名字ちゃんは結局、何がいいたいの」

「赤羽君は、なまえちゃんのこと大切にしてるわけ?」

「……それどういう意味?」

「そのまんまの意味だよ。だって、ありえないでしょう!!なまえちゃんのこと大切に思ってるなら――」

「ストップ」

突然増えた声に、カルマも名前も動きを止めた。先ほどまでなまえがいた場所には、日に透けるような水色の髪の少年が、荒い呼吸を整えていた。

「待って、全く状況が分かんないんだけど……みょうじさんがいるってことは、解決したんだよね。なのに二人はどうして言い争ってるの?」

全力で走ってきた渚の額には、汗が浮いていた。彼はそれを手の甲で拭いながら、自分の背後にいるなまえや、正面の二人の顔を交互に確認し、変化した現状を把握しようと、必死に周囲を観察した。

「聞いて、渚君」

名前が幾分か落ち着きを取り戻した声で、事のあらましを説明する。

なまえはそこで初めて、二人の待ち合わせを見た友人が、未だにカルマと自分の関係が改善していないのでは、と危惧していることを知った。

「――状況は分かったけど」

話を聞き終えたころ、渚の呼吸はだいぶ整っていた。

「まず、名前ちゃん」

厳しい表情を向けられるのが自分だと思っていなかった名前は、動揺した。

「これはカルマ君とみょうじさんの問題だし、やたら首を突っ込むのは良くないよ。というか、僕、前に言ったよね。『喧嘩腰になったら伝わるものも伝わらない』って」

名前が叱られた子供の様に、項垂れた。渚の言葉は、なまえにも聞き覚えがあった。以前、教室でカルマの悪口を言う相手に、彼女が食ってかかった時のことだ。

「こんな大通りで、声を荒げて。必死に止めるみょうじさんを無視してカルマ君と喧嘩することは、みょうじさんのためになるのかな?」

「……ならない」

苦しげな表情になった名前の心に渦巻く感情は、後悔だった。なまえの為と思ってやったことが、裏目に出てしまったことが、やるせなかった。

渚の言葉は正しいと分かる。ただ、どうも腑に落ちない。渚の言葉に、「そうだそうだ」と言わんばかりの表情でいるカルマを見ていると、不満がふくらんだ。

「カルマ君も」

渚は今度、友人へと向き直る。カルマが瞬いた。

「僕も、余計なお世話を承知で言わせてもらうなら、この待ち合わせのやり方は問題があると思う。みょうじさんはそれで納得してるかもしれないし、今回のことは名前ちゃんが悪いけど……本当に、彼女が何かに巻き込まれるようなことがあったらどうするの?」

無言で視線を逸らす。カルマはどこか退屈そうに、自分の手をズボンのポケットにしまった。

「別に、平気っしょ。みんな過保護すぎだって。今まで何かあったわけでもないし……」

「今まで何もなかったからって、今後もないとは限らないでしょ。相手の時間を奪ってる自覚あるの?」

「だから、名前ちゃんは言い方……」

「本人が気にしてないんだから問題なくない?だいたい、周りに何か言ってもらわないと気づかないような奴だよ、ほっときゃいーじゃん」

売り言葉に買い言葉だが、なまえには伝わらない。カルマの吐き捨てた言葉を真意として受け止め、酷く傷ついた。

カルマから「好きだ」という言葉を貰って安心していたが、自惚れていた。自分が抱いている気持ちと、彼が抱いている気持ちが、等しいわけがないのだ。

自分ばかりがこんなに想っているのだから、この待ち合わせ方法はなんら不自然ではない。

「ごめん、みんな」

ずっと怯えた様子で流れを見守っていたなまえが口を開いたので、三人が一斉に注目する。

「カルマの言う通りだよ。何か問題があったわけじゃないし、私は全然平気なの」

カルマが怪訝な表情をする。彼女は誰とも視線が合わないように、名前の持っている紙袋の辺りを見つめたまま続けた。

「今回のことは、私が悪いんだよ。カルマの気持ちを疑ったせいで、みんなに迷惑をかけちゃった。ごめん。だから、カルマも名前ちゃんも、喧嘩しないで欲しい」

「なまえちゃん、違うでしょう、それは私が――」

「ううん。期待してたのは私だから」

遮ろうとした友人を、即座に拒絶する。ここで初めてなまえはカルマの目を見た。

「カルマも、ごめん。こんなことして、試すような真似して。名前ちゃんは私のこと心配してくれただけだから――」

「あのさぁ」

苛立ちを隠そうともしないで、カルマが一歩前に出た。乱暴になまえの肩を掴むので、名前は咄嗟に二人の間に割り込んで守ろうとした。しかしそれを、渚が止める。納得がいかず、素早く振り返った彼女に対して、渚は立てた人差し指を口に添え、静かに首を横へ振った。

「まだそんなこと言ってんの?」

爪を立てるように肩を握られ、なまえは恐怖した。体を縮めようとしたら、それを許すまいと、カルマが肩をゆすった。目を合わせることを、強制するような動きに、恐々と顔を上げた。

「いい加減、その卑屈な考え方やめて」

「え……」

「俺、ちゃんと言わなかったっけ」

言わんとすることが分からず、彼女は口ごもった。それが余計に少年の苛立ちを煽る。

カルマは、葛藤していた。頭の回転が速いからこそ、色々な考えが浮かんでは泡のように消えていく。この瞬間、彼に渦巻く感情は、もどかしさ、腹立たしさ、それから、羞恥。

今、自分がためらい、口にできずにいる言葉を彼女に伝えるべきか否か。頭が良く、相手の求めていることがなんとなく分かるカルマは、とうに正解は分かっていた。それでも、ためらってしまうのは、友人が二人、息を潜めて成り行きを見守っているから。

「俺も、あんたのこと、悪くないと思ってるって……」

かなり回りくどい言い方をしてしまったことを、カルマは即座に悔やんだ。頭の良くないなまえには伝わらないかもしれない。そう思ったけれど、表情を伺う余裕がなかった。

一方、カルマの葛藤など知らない名前は、彼の口から出たのが妥協の末の言葉だなんて知らないので、純粋な驚きに目を見開く。渚は、なんとなく彼が明言を避けたことを悟り、苦笑した。

なまえはというと、随分遠回りな言葉をもらったにも関わらず、呼吸を忘れるほどに、感動していた。喧嘩して、仲直りした時に「好きだ」と言われて以来、そうした話題は一度も二人と間に出なかった。なまえの方から想いを伝えることはあったが、彼は笑ったり、体に触れたりしてごまかすばかりだった。

何より、じわじわと赤く染まるカルマの耳を見ていると、その言葉が彼なりの精一杯なのだと分かり、たまらない気持ちになった。

「――ていうか、聞くまでもなかった。絶対、言った。俺が覚えてるんだから、間違いない。確かに伝えたはずなのに、それをなまえは忘れたの?何を、試そうとしたの。言ってみなよ」

「え、それは」

「早く!」

羞恥を隠すためか、彼はいつもより饒舌になっていた。掴まれた左肩を強くゆすられ、なまえは思わず背筋を伸ばした。

「わ、私だって、覚えてるよ。忘れるわけない!でも、私の方が絶対、カルマのことが好きだから、私ばっかり好きなんじゃないかって不安で」

「誰が言ったわけ、そんなこと」

「誰がとかじゃなくて、私が、すっごくカルマを好きだから――」

負けじと言い合う内に、声量が上がる。思うようにいかない会話に疲れ、カルマはため息を吐いた。横目に渚を見ると、困惑と同情の入り混じった笑みを浮かべていた。

面倒になったカルマは、彼女の頬に手を添える。他の三人はギョッとした。まるで口づけする直前のような動作だった。特になまえは身をこわばらせ、一生懸命に動かしていた口が、その形のまま凝固した。カルマは身をかがめて彼女との距離を詰めたかと思うとーー直前で渚たちを振り返る。

「俺ら、もう行くから。渚君、巻き込んじゃってごめんね」

寸止めを食らったなまえは、その言葉を聞いて、いつの間にか強く閉じていた目を開けた。次の瞬間には手首を掴まれ、強く引っ張られる。よろけながらもカルマに連れられて走り出す。

人混みの隙間を、縫うように駆けていく後ろ姿に、渚は苦笑いで手を振った。

名前はまだ、何処か腑に落ちない表情をしていたが、渚がそっと手をつなぐので、うっかりほだされそうになった。

手のひらに絡む熱を強く意識しながら、つぶやく。

「あの赤羽君が、この人混みの中で、あんなこと言っちゃうのは、すごいことだって分かるよ。本当になまえちゃんを大切にしたいんだなって思う。だけど……だったらなんで、あんな待ち合わせのしかたするのかな」

不満げなつぶやきに、渚がうなった。

「まあまあ。多分、もう本当にこれっきりだと思うよ」

「……そうかな?」

「うん。多分だけどね。だって、電話越しに話したカルマ君、本当に焦ってたし」

それは赤羽の君の演技なんじゃ、そう言いかけて渚の横顔を見た名前は言葉を止めた。なんとなく、友人を信じ切っている渚の姿を見ていると、口にするのが戸惑われた。

実際に話したのは渚なので、名前にその判断を下すことはできない。赤羽君を信じる、というよりは、渚君を信じよう、そう考え、彼女は自分と大差ないサイズの手のひらを、強く握り返した。










生ぬるい温度が、自分の口内をうごめく感覚が、なまえはあまり好きではなかった。だけど、それがカルマの一部だと思うと、愛しささえこみ上げる。

人通りの少ない通り道に連れられて、なんの弁解も、言葉のやりとりもなしに、ただ唇を重ね合う。なまえは、流されていると、頭ではわかっていた。人は簡単には変われないのかもしれないと、心の中で誰かに言い訳しながら、甘いやりとりに意識をゆだねる。

「……俺が、どーでもいい女に、こういうことする奴だと思ってるんだよね、なまえは」

非難がましい目を向けられて、壁に預けている背が冷えた。「そんなこと……」尻切れとんぼに言い訳しかけた少女の口内に、再び舌をねじ込み、黙らせる。

「心配したから」

「……っ、え?」

「待ち合わせ場所に、なまえがいなくて」

呼吸の合間に、なんでもないことのようにカルマが言う。壁に手をつく彼の腕にしがみつき、なまえは信じられないものを見たような顔になった。

「まあ、いつかはこの待ち合わせも辞めなきゃなって思ってたし。きっかけくれた名字ちゃんにはあとで謝っとかないとね」

先ほど別れた友人たちのことを思い出し、なまえは何度も首を縦に振った。

「仲直りしてね」

「あんなの喧嘩のうちに入らないよ」

普段、カルマがしている“喧嘩”に比べたら可愛いものなのかもしれないけれど、人との衝突を避け、流されるように生きてきたなまえにとっては、恐ろしくて仕方がなかった。

「あれは、喧嘩だよ。私、このまま二人が絶交したらどうしようって、不安になったんだからね」

「ふーん」

カルマは少し、退屈そうな相槌を打って、それから、何かひらめいたように、「じゃあ」と問いかける。

「もし俺らが本当に絶交してたら、なまえはどっちを選ぶの」

「選べるわけない」と、一蹴されることは分かっていた。きっと、酷くうろたえて、カルマを傷つけないよう、それでいてこの場にいない友人のことも大切に扱うのだ。

案の定、なまえは目を丸くし、動揺をあらわにする。しかし、予想外の動きは、彼女が唐突にカルマの腰にしがみつくように抱きついてきたことだった。

「何としてでも、私が二人を仲直りさせる……!だって、名前ちゃんは私の大好きな友達だし、カルマは、あ、愛してるから。お互いのこと、分かって欲しいもん。どっちも、全力でお勧めできるから!」

へし折るつもりなのかと思うほど、強く腰にしがみつく。カルマにとってはひ弱な力であったが、言葉の方が衝撃だった。不意を食らったせいで、目眩がする。収まりつつあった熱が、彼の中にだんだんと溜まっていく。

「あのさ、なまえ――」

カルマは、壊さないように彼女を抱きしめ返しながら、心の中で思う。

ショッピングの予定を返上して、なまえを自分の家に連れ込むには、どんな言葉で言いくるめればいいのか。

頭のいい彼の脳が、フルスピードで回転をはじめた。




End

140724