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僕のために嘘を吐いてよ




三輪の家には冷蔵庫がないらしい。

私がそれを知ったのは、まだ彼を三輪隊の隊長としか認識していない時だったので、何故そんな噂話が回っているのかも、そもそもそれが何を意味しているのかも分からなかった。

三輪隊と合同の防衛任務をすることになって初めて、噂の理由を知った気になった。年頃の高校生にしては険しい顔つきや、近界民に対するあふれ出る憎しみを目の当たりにし、彼が冷蔵庫のない部屋で暮らしている様を容易に想像できてしまった。

姉を目の前で殺されたのだと、米屋が言っていた。そういう人はボーダーに多かったし、別段特別なことではないはずなのに、私はその話を聞いて以来、三輪を目で追うようになっていた。

それは、ちょうど歩き始めた子どもを見守る母親のような気持ちだったのかもしれない。私は顔をあわせる度、三輪に話しかけた。最初は偶然を頼りにしていたけど、次第にタイミングを計るようになった。大学生で、任務以外に用事のない私が、高校生の彼に合わせて動くのは簡単だった。

そんな私の行動に気づいているのかいないのか、三輪はあくまで同僚としての態度を貫いた。挨拶はするし、あいづちもうつけれど、会話が盛り上がったと感じることは一度もなかった。

あの、狂気を感じさせる瞳に見つめられたい。そんな欲に濡れた想いが胸の内に存在していたのに、彼は私越しに風景を眺めるような目で、いつも話した。話すほどに焦がれ、目が合う度に空虚を感じた。私はやがて、自分が彼にとって、冷蔵庫のような存在なのだと気づいた。









「私の弟は、近界民に殺されたの」

意図的ではない。口をついて出たというのは、きっとこういうことを言うのだ。なんとかこぎつけて、防衛任務のあとに二人で行った喫茶店の帰り、あまりにあっさり解散されそうになったので、踵を返した彼の背中に、私はつぶやいていた。

言ってから恐ろしくなった。雑踏にかき消されたことを祈りながら顔をあげたら、振り返った三輪と目があった。その瞬間、背筋を這い上がる何かの気配。私をまっすぐに射抜いた瞳は、いつもと違う光を宿していた。鈍い痛みをともなうそれは、もしかしたら私のウソを見抜いているのかもしれないとさえ感じた。

「……だから、私も、近界民が嫌い」

言いながら、私は前の彼氏の趣味に合わせて、サッカー観戦をしたことがあったと思い出す。これは何気ない、日常の延長なのだと自分に言い聞かせた。

「なんで今まで言わなかった」

三輪の責めるような口調が怖かった。今思えば、多分彼も動揺していたのだろうけど、混乱状態に陥った私はそんな風に想像する余裕もなかった。つい、ぽろっとこぼれた涙は、なんて自分勝手なものだったのだろう。女の武器と称されるそれは、意外にも効果的で、三輪は駆け戻ってきた。私を慰めるように、後頭部を自分の胸に押し付け、周りから隠してくれる。

「俺を弟に重ねていたのか?」

私は首を横に振った。後頭部を抑える手が緩まなかったので、三輪の胸元にすがっているようで、羞恥を感じた。彼はその時、初めて私の下の名前を呼んだ。耳に直接吹き込む声に、背中は警戒心の強い猫のごとく、逆毛立った。

「付き合おう」

願っても無い彼の言葉に、私は頷いた。背後から迫る闇の存在に気づいていながらも、彼の中に自分をねじ込むことができた事実が、ただただ幸せだった。










「本当に冷蔵庫がないんだね」

布団に寝そべって、三輪の背中に額をつけながら言った。まさかそんな噂が流れているとは思いもしない彼は「米屋に聞いたのか」と低い声で言った。

「冷蔵庫がないと、不便でしょう」
「そうは思わない」
「だって、ご飯はどうするの?」
「外食やコンビニで間に合う」

三輪の腰に、腕を回す。少し強めに抱きしめたのに、彼は何も言わなかった。

「お姉さんと暮らしてた時は、あったでしょ?」

返事のない質問は、宙に霧散した。私は無性にきまりが悪く、そこからは何も言う必要がなくなるよう、きつくまぶたを閉じた。三輪は、後ろから回された私の手を強く握った。彼の心を表すような、包み込む温もりと柔らかさがあった。

やがて、長い沈黙の後、寝返りを打った三輪が、正面から私を抱きしめる。愛しさがこみ上げて、私も返そうとしたら、ひとりごとのように呟く声が聞こえて、動けなくなった。

「同じ境遇でよかった。本当はずっとあんたが好きだった。だけど、それを口にしたら、姉さんを忘れてしまうようで、怖かったんだ。あんたとなら、大丈夫だ。近界民への憎しみを忘れないでいられる」

私の声は、音にならない。背中にすがりかけた指が、力なく落ちた。布団と三輪の境界が曖昧になって、溶けるようにまどろんでいく。初めて意識した罪の重さが、私の胸の奥でじわりと広がった。










「近界民と話すことなどない」

ボーダー本部の通路で、人型の近界民を前にした三輪は、ひどく殺気立っていた。対する近界民は、人畜無害な幼い顔で、私と三輪を見比べた。

「なんでいつも、そんなにケンカ腰なんだ?」
「近界民は、敵だ……」
「……近界民は、いつも私たちの大切なものを奪ってくからだよ」

ぼんやりと、三輪を援護するような気持ちで呟いたら、赤く光った眼がこちらを向いた。人型近界民の怒りを買ったのかと緊張するが、本当に心臓が縮こまったのは、彼が口を開いてからだ。

「それ、どういうつもりで言ってるんだ?」
「え……?」
「“重くなる弾の人”はともかく、そっちのお前は全然じゃん」

三輪が振り返る。空気がざわついたように感じているのは、私だけなのだろうか。彼の表情を見られなくて、私は己の気持ちの強さを証明するように叫んだ。

「近界民が、憎いって言ってるんだよ!だって、あなたたちは私の弟を――」
「はいウソ」

近界民が距離を詰めるように覗き込んで来て、私は後退りした。

「嫌いなのを隠そうとするやつはいるけど、何とも思ってないのをわざわざ憎いって言う奴は初めてだ。なんでわざわざそんな風に言うんだ?」

近くでやり取りを見ていた三輪が、私の名を呼んだ。咄嗟に振りかえった私は、困惑の色を隠せずにいる彼を見て、体を強張らせた。自分の過ちを知られてしまうことに、恐怖がふくらむ。衝動的に踵を返して走り出すと、背後で三輪の呼ぶ声が、こだまするように本部の廊下に響いた。

人型をした近界民が、嘘を見抜くサイドエフェクトを持っていると知ったのは、それから後のことだ。彼はハッタリでもなんでもなく、純粋に私の嘘に反応していただけだったらしい。恨み事を言うつもりはなかったし、それが見当違いなことも分かっていた。全ては自分の行動が招いた事態だ。

三輪から居場所を問う連絡があったけど、返事をしなかった。軽蔑されただろう。彼の前に出ることが、恥ずかしくてしかたなかった。あんなに目を合わせたいと願っていたのに、今は見られることさえ恐ろしい。

嘘を貫き通せばよかった。主張すれば、三輪は近界民よりも私を信じてくれただろう。これは自惚れではなく、彼が近界民を憎んでいるという、単なる事実に基づいた想像だ。

それでも私がそうしなかったのは、きっと限界を迎えていたのだ。彼の拠り所を求めるような瞳や、自ら殺めた存在しない弟が、私の汚れた部分を蔑んだ。胸が痛かった。幸せなんてなかった。三輪のそばにいると、自分の醜さをありありと感じた。










突然手首を掴まれたのは、防衛任務の帰り道だった。本部を出てすぐの場所で、突如後ろに体を引かれる。振り返ると三輪がいて、私を人通りの少ない方へと、引き連れて歩いた。

「離して」
「話すべきはあんただ」
「私は何も言えないよ。全部、あの近界民の言う通りだから」
「近界民を、憎んでいないことか?」
「そもそも弟なんていない」

足を止めた三輪が振り返って、目を見開いた。私は耐えきれずにうなだれる。しっかり握られた手首が、罪人のようだった。

「傷つけてごめん。それじゃ」

反対の手をそえて、三輪の手を解いたら、錠は思ったより簡単に外れた。踵を返し、元来た道を進むと、また名前を呼ばれた。二度、三度。気にせず歩き続ける私を、三輪は引き止めようと必死だった。私のせいで復讐を忘れる彼は、見たくなかった。復讐を成し得て欲しいわけではないのに、それだけは嫌だった。私が愛しく感じたのは、己の信念に夢中になっている三輪だったからだと思う。

「本当は、家に冷蔵庫があるんだ」

一番遠い、小さな声だったのに、私は足を止めた。振り返ると、泣き出しそうな三輪がいた。初めて見る表情だった。

「……嘘だ。なかったよ」
「見に来ればいい」
「……行かない。嘘だから」
「あぁ。嘘だ」

言葉に詰まった。三輪が一歩、また一歩と踏み込む。私が逃げ出すことを警戒するような、慎重な足取りだった。

「あんたの気持ちがわかる。あの時、嘘をついてでも俺を引き止めたいと思ったんだろう」

じりじりと迫る影が、私の脚を捉えた。日は沈みかけて、黄昏が彼の顔色を隠す。

気づけばすぐ側で向かい合っていて、三輪の双眸に見下ろされる。私が思うよりずっと、優しい色をしていた。

「俺も嘘つきだ。まだ伝えていないことがある。本当はあの日、同じ境遇なことに安心したんじゃない。あんたが俺をかまうのは、弟に対する姉のような気持ちだと思っていたから、そうじゃないと知って安心したんだ」

三輪が私に手を伸ばす。あの日のように、後頭部に温もりが触れた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を、胸に押し付けてくれる。鮮やかに蘇った記憶と、未来が重なった。

「私、最低なことしたんだよ。それでも、三輪は許してくれるの?」

後頭部に乗せられていた手が、滑るように首を撫ぜた。そのまま軽くあごをおさえ、唇が重ねられる。

「あんたは欲しいものを手に入れるのに必死だっただけだ。俺も同じだから、分かる」

欲しいものを手に入れるためなら、何をしたって構わない。その呟きを意識の外に聞きながら、深淵をのぞきこんだような心持ちになって、めまいがした。しかし、それは再び重ねられた唇によって快感にかわる。二つの吐息がまじりあって、互いの体内にめぐる。それはまるで毒のように、二人を蝕む。私はそれを受け入れるように、そっと目を閉じた。




End

150921

「甘い毒」に提出