お口を拝借
※15巻の単行本おまけネタがあります。
「あのっ、カルマくん……!」
放課後、早々に帰宅しようとしたカルマを呼び止めたのは、クラスメイトのみょうじだった。普段あまり会話をしたことのない人物からの用件が思い浮かばず、カルマはしばし動きを止めた。
「どうした?みょうじさん」
「つかぬ事を伺いたいのですが……」
彼女は辺りを見渡すと、カルマを手招きした。どうやら人の多いこの場所では尋ねにくいことのようだ。
別段用事のなかったカルマは、何か面白いことがあるような気がして、付き合おうと決めた。導かれるまま背中を追いかけると、体育倉庫へ連れ込まれる。
「こんなとこまで来てくれてありがとう、ごめんね」
きっちり九十度に体を折り曲げてお辞儀をしたみょうじに、カルマは吹き出しそうになった。
「えらくかしこまってんね」
「う、うん」
人目のない場所へ来たのに、周りを気にするような素振りを見せて言いよどむ。もしや告白でもする気では、とカルマが懸念したタイミングで、覚悟を決めた彼女が口を開いた。
「あの……カルマくんって、キスの練習、どうやってしてる?」
「……は?」
「ごめん!痴女じゃないの!通報しないで!!」
真っ赤な顔を両手で覆う姿を見て、カルマは納得した。確かにこれを、クラスメイトに聞かれるのは避けたいだろう。
「……しないから、発言の理由を話してよ」
カルマの問いかけに、みょうじはポツポツと理由を語り出す。羞恥に混乱しているせいで、回りくどかったり、ややこしかったりしたが、要するにイリーナからクラスで一番キスが下手だと指摘されたことを気にしているらしい。
「このままじゃ英語の成績つけてあげられないわよって言われちゃったから……。もともと英語得意じゃないから、減点されたらまずいんだ……」
「英語とキス、全然カンケーないじゃん」
「だよね!?……でも、先生の言うことだから、なんとかしないとと思って……」
真面目すぎる思考に呆れたが、真剣な顔つきを見て、馬鹿にするのをやめた。それよりカルマは、彼女に聞きたいことがあった。
「……なんで俺なの?」
「え?」
「それこそビッチ先生に頼めばいいじゃん」
唇を固く結び、みょうじは制服の裾を握る。
「ビッチ先生のキスは、確かにすごくて、なんか、お腹の方がくすぐったくなるんだけど……。『一体感』とか『相手への愛』とか言われても全然分かんなくて……」
とんでもない発言を聞いた気がしたが、カルマは無言を貫いた。
「カルマくんは前にビッチ先生に上手って褒められてたし、頭もいいから分かりやすく説明してくれるんじゃないかと思って質問しました」
「……」
「矢田さんも褒められてたから聞きに行ったんだけど、そんな恥ずかしーこと説明できないよって言われちゃって」
「……なるほどね」
「カルマくんも忙しいところ申し訳ないんだけど、もしコツがあれば教えて欲しいし、練習の仕方を知りたいんだよね……」
彼女の鈍さや無防備さに呆れた。しかしカルマはみょうじの問題行動を正したり、説明したりする気にはならなかった。
誰もいない体育倉庫、クラスメイトと二人きりで、キスについて語っている状況が、冷静な判断力を奪っていた。普通より大人びているとはいえ、彼も中学生だ。先ほど彼女が、イリーナのキスについて言及したのもよくなかった。
「いいけど……コツっていっても、やっぱ実践が手っ取り早いよ?」
「えっ?」
ぽかんと口を開けたみょうじに向けて、カルマが距離を詰めるために一歩踏み出す。体育倉庫の薄暗さも手伝って、彼女の目に映る彼は恐ろしく見えた。
「やってみてよ」
「へっ」
「どこが悪いかなんて、やってもらわなきゃ指摘できないから。ほら」
カルマが背中を丸めて、彼女にも届くようにしてやる。逃げるようにのけぞったのは、ほとんど反射で、嫌がっているというよりは、怯えているようだった。
「えっ、でも、私たち、別に付き合ってる訳でもないのに……」
顔を真っ赤にしてうつむくみょうじに、カルマは言った。
「当たり前じゃん。これ勉強の一環だからね」
「だ、だけど」
「上手くなりたいんじゃないの?」
羞恥心と勉強に対する危機感に挟みうちにされて、みょうじは混乱した。それでも彼女は「やっぱり、そこまでしてもらうのは悪いよ」と口を開きかけたのだけれど、待ちきれなくなったカルマが唇を重ねたのは、同時だった。
不意をつかれたせいで、みょうじは息継ぎのタイミングを逸した。押し付けられる唇の柔らかさを感じて、脳の芯の部分が発熱する。咄嗟に固くつぶった瞳を確認したカルマが、目を細めて満足げに笑ったことにも気づかない。
何度も角度を変えたり、弄ぶように唇で唇を食んだり、カルマはしばらく好きにやっていた。しかしやがて、いつまでも力の抜けないみょうじをじれったく思い、舌を出してちろりと上唇を舐めた。
「口あけて。みょうじさんの性格からして舌は出さなくていいよ。誘うように、耐えきれない感じで口をちょっと開けば、あとは相手がどうにかしてくれるから」
まだどこか踏み切れない様子だった彼女が、とろけた瞳で口を開いた。二人の境界が曖昧になるほど気持ちの良い口づけに何も考えられなくなっていた。彼はわずかにひらいた唇に、そっと舌を差し込む。
舌を舌ですくいあげながら、手を取って自分の腰のあたりを掴ませる。一度誘導すれば、すがるように掴まれて、その必死さがまたカルマを煽った。
受け身なみょうじを誘導するため、一旦顔を離す。「もっと舌を相手の口に入れようとして。でも、無理にやるんじゃなくて、慎重にね」言われた通りにおずおず舌を動かし始めた彼女に、「上顎を撫ぜるといいよ」と加えてアドバイスした。
静かな体育倉庫に、しばらくの間水音が響いていた。口の端から収まりきらない唾液があふれたとき、彼女が我に返ったように口元を押さえた。
「そんなの気にしなくていいのに」
素早く身を引いたせいで、体が離れた。舌で唾液を拭ったカルマに、冷静さを取り戻したみょうじは、じわじわと顔を赤くした。口の中に溜まったどちらのものか分からない唾液を、恐る恐る飲み込む。それがまた、彼女の羞恥を刺激する。
「カルマくん。ありがと……ちょっとだけ、わかった気がするけど……」
「え?何言ってんの。まだまだでしょ」
逃げ出しそうな彼女の退路を防ぐため、カルマが壁に手をついた。また唇を重ねようとしたら、みょうじは彼の胸を押し返しながら、子どもが嫌がるように激しく首を横に振った。
「ま、まって、無理……!こ、これ以上は」
「これ以上は……?」
続きを促されたみょうじは、赤い顔を隠すようにうなだれながら、言葉を紡いだ。
「気持ちよすぎて、変に、なりそう。お腹が……くすぐったい……」
飾らないみょうじの言葉に、カルマの熱まで上昇した。これ以上は自分も歯止めが効かないかもしれないと感じ、今いるのが学校だということを思い出した。
「……じゃあさ、みょうじさん。また、会おうよ。二人で、こうやって」
濡れた唇を人差し指でなぞりながら、色仕掛けでもするようなつもりでカルマは言った。みょうじはまんまと策にはまり、瞳を潤ませる。
「俺がみょうじさんを一番にしてあげるよ」
目を細めてつりあげた口の端は、先ほどまでの色気を隠すほどにあどけない。みょうじはそこで、自分がとんでもない場所へ踏み入れてしまったことに気づいたけれど、同時にもう引き返せないことを理解した。
End
150712