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月は昼間も空にいるよ




「全然俳句が浮かばないから、スランプかもしれない」

畳の上に寝転がってぼやいたら、生ごみでも見るような目つきで睨まれた。曽良さんは、時々私に人権がないものとして扱う。いや、語弊がある。彼は誰に対してもこんな感じだ。

今夜はここで休もうと、芭蕉さんが選んだ宿は、運の悪いことに大浴場が壊れていた。部屋付きの小さな風呂を、交代で使わなければならない。私たちはやることもなく、入浴の順番を部屋で待っていた。

「スランプと言えるほど、普段のあなたの出来がいいとも思えませんが……」

「うっ、そんなの分かってますよ……」

私は芭蕉さんの末弟子で、全く俳句の才能がない。その上、平均より足手まといな女なのに、この旅への同行を許されている理由が分からなかった。芭蕉さんと一緒に俳句を学びたがる者は多いはずだ。曽良さんのような人が選ばれたのは、実力を考えると当然なのだけれど、私が選ばれた理由は一つも思い浮かばなかった。

「曽良さんは、どういう時に俳句が思いつきますか?」

「少なくとも、人にそういう質問をしたときではないですね」

「……」

この旅は勉強になるし、色んな人に出会える。楽しいことだってある。

だけどやっぱり辛いことも多く、辞めたいと思うことがある。

そんな時、いつだって支えてくれるのは芭蕉さんで、曽良さんは追い打ちばかりかける。「役立たずめ」とか、「あなたのような愚図が、霊長類ヒト科を名乗るんですか」とか、「カカシでも連れて歩いたほうがマシだ」とか、平気で言う。どうせ、私の脳みそは、ワラが詰まったようなもんですよ。曽良さんみたいな才能がある人とは、違うんだ。

私はごろりと横向きになって、曽良さんに背を向けた。ほっぺに当たる畳の感触を意識していると、背後から声が掛った。

「一緒に散歩でもしますか」

予想外のお誘いに、目を見開いた。勢いよく反対側に寝返りをうつと、すぐ傍にあぐらをかいていた曽良さんに見下ろされていた。

「部屋にこもって唸っているよりは、マシなものができそうだと思いませんか」

何かの罠かもしれない。私は彼を、まじまじと見つめる。もしかしたらそうやって、宿から離れた場所まで連れて行かれて、こっそり置きざりにされるのかもしれない。私は一人で宿まで戻ることなどできやしないから、野宿する羽目になる。もしくは足をひっかけられて、川にでも落とされるのかもしれない。「頭が冷えて冴えたでしょう」なんて、嫌味を言うつもりでいるのかも。だって、相手はあの曽良さんだ。

「何か言ったらどうですか」

ただ見つめられることが気に食わなかったらしく、彼の顔が歪んだ。真意をくみ取るため、まばたき一つせず、相手のリアクションを観察し続けた。

「散歩は……」

「はい」

「お風呂から芭蕉さんがあがったら、二人で行ってきます」

彼の表情が消えた。あまりに完全な無表情に、私はびっくりして、畳を滑るようにさがる。

てっきり「先輩の誘いを断るなんて生意気だ」と、断罪チョップを食らうかと思ったのに、私は何の裁きも受けなかった。彼は視線をそらすと、「そうですか」とだけ言った。

やがて浴室のほうから「曽良くん浴衣とってー!」という芭蕉さんの声が響いた。彼は畳に手をつき、立ち上がる。目の前に置かれたごつごつした手に、心臓がぎゅっとなったのは、一瞬のことだった。

襖を開けて部屋を出て行った彼の足音が、遠のいていく。芭蕉さんに呼ばれただけで、素直に従う彼を意外に思っていると、案の定、しばらくして芭蕉さんの悲鳴が聞こえた。何かされているらしい。私は起き上がって、自分の頬をする。畳の後が残っていた。

「ひぃ〜、酷い目にあった!」

やがてどたばたと足音を鳴らして飛び込んできた芭蕉さんが、泣きつくように私の前に正座した。

「また曽良さんにいじめられたんですか?」

「そうなんだよ〜!しかも今日はいつもより酷かったような……あ、曽良くんならそのままお風呂入るって。最後になっちゃってごめんね?」

「私はいつでも大丈夫ですよ。それより……私がお風呂からあがったら、二人で少し、散歩に行きませんか?」

芭蕉さんが「いいね」と笑った。くしゃっとなった笑顔は、子供のようだった。

「珍しいね。自分からそういうこというの」

「実はちょっとスランプで……いつもと違う景色とか見れたら、何かイメージわくかなって思いまして」

スランプという言葉を使って、ハッとする。師匠に、そんな言い訳じみた言葉を使ってしまったことが、恥ずかしかった。

「スランプなんて言って……もともと下手なんですけどね」

「そんなことないよ!」

芭蕉さんが首を横に振る。私はなんだかいたたまれなくて、俯いてしまった。

「いいんですよ、わかってるんで。私はまだまだ未熟で……さっき曽良さんにも言われちゃいました」

「あぁ〜、曽良くんはね〜、厳しいからね〜……」

芭蕉さんは今まで彼にされた、度の過ぎた叱咤激励を思い出したらしく、青ざめていた。

「でも、曽良くんは別に、下手なんて言ってなかったよ?だって、そもそもこの旅に連れて行こうって推薦したのは、彼なんだから」

「えっ」

私が瞬いていると、芭蕉さんがハッとする。わたわたと周囲を確認すると、「い、今の言っちゃダメなんだった……松尾ピンチ……」と項垂れた。

「曽良さんが、私を……?」

「ひ、秘密にしてね……。じゃないとむしられる……背中の産毛を一本残らずむしられる……」

先ほど、スランプだと落ち込む私に、辛辣な言葉を投げつけた彼を思い浮かべた。曽良さんは、確かにえぐる言葉を吐く。意地悪な事をたくさんいう。

けれど、良い俳句ができたらきちんと認めてくれる。言葉にして、褒めてくれる。この前だって、「いつもが肥溜めレベルだとしたら、今日のは水たまりレベルですね」と言ってくれた。

「芭蕉さん、さっきの話なんですけど……」

「何?」

「やっぱり、お散歩、三人いきませんか?」

私の言葉に、芭蕉さんは「もちろん」と笑った。

今晩は星が良く見えるから、それについて一句詠むのもいいかもしれない。曽良さんが褒めてくれたらいいな。少しでも、散歩に行った価値があったと、思ってくれたらいいな。




End

150518