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あのタコ絶対ころす




「ねぇ」

 名前を呼ばれて顔をあげる。勉強机に教科書を広げたカルマくんが、「ここ教えて欲しいんだけど」と呟いた。
 彼に質問をされることは珍しかった。とても勉強が出来るので、家庭教師として雇われていることが申し訳ないぐらい、普段の私は何もしていなかった。今も暇だから、ローテーブルを借りて、大学のレポートに取り組んでいた。すぐさま課題を放り出し「どこどこ?」と駆け寄った。彼は右手でノートをなぞっている。その傍らに立ち、覗きこもうと顔を近づけたら、カルマくんの左手が背後へ回った。
 そこでようやく、彼が私を“名前”で呼んだことに思い至る。
 とっさに身を引こうとしたけれど手遅れだった。後頭部を掴んだ左手に引き寄せられて、不意打ちのキスをくらわされた。そのくせ前歯をぶつけるなんてヘマはしない。中学生とは思えない、慣れた動作だった。
 机に手をついて、距離を取ろうとするが、空いている方の手で握りこまれる。彼がゆっくりと腰を上げ、少しずつ角度が変わった。逃げようとすると強く吸われ、拒もうとすれば溶けるような柔らかさで包みこまれた。
 酸欠のせいで涙がにじみ、目の前がぼやけ始める。思考もうまく働かなくなって、このまま流されてしまおうかと、ぼんやり考えた。彼にすがろうと手を伸ばしかけたとき、机から転がり落ちたシャープペンシルが足に触れた。瞬間、我に返った。彼の胸を思い切り押し返すと、不満げな顔が離れていく。濡れた唇を舐める姿に、見てはいけないものを見たような気になった。思わず視線を逸らしたけれど、うるさい鼓動はなかなかおさまらない。

「べ、勉強のときはこういうことしちゃダメだって、約束したでしょ」
「だって、もう宿題終わったし」

 大学生になってからはめっきり耳にしなくなった『宿題』という単語に、彼が中学生であることを思い出す。おかげで幾分か冷静さを取り戻すことができた。

「それでも! 私はまだ家庭教師としてここにいるんだから。先生って呼ぶのがルールなの」
「せんせーの前に、カノジョでしょ?」

 ニヤニヤ笑いを浮かべ、なおも近づこうとする彼をぴしゃりとはねのけた。こちらの頑なな態度に萎えたらしく、カルマくんが目を細めた。深くため息をつき、ペンを拾いあげると、椅子へ座り直す。私はその様子にほっと息をついた。

「宿題終わったなら授業の復習しようか。カルマくんの苦手な国語からやる?」
「苦手でも、先生よりはできるよ」

 思い切り背もたれに寄りかかった彼が、こちらも見ずに呟いた。指の先でくるくるとペンを弄ぶ姿は不貞腐れているように思えた。たちが悪いのは、実際、彼の方が優秀だということだ。

「じゃあ、私のこと解雇すればいいじゃんっ! カルマくんがわざわざお母さん通して頼んできたくせに!」
「しょうがないじゃん。そうでもしないと接点作れないし」

 平然と言ってのけた彼に、言葉に詰まってしまう。体中の血液が煮立つように、体温があがるのを感じた。



 カルマくんと私は端的に言えば幼馴染だ。近所に住んでおり、家族ぐるみで仲がいい。彼の両親がよく海外旅行をするため、カルマくんがうちに泊まることも多かった。幼い頃はよく一緒に遊んでいたけれど、私が進学するにつれて、部活動や塾、サークルや飲み会と忙しくなり、顔を合わせることはほとんどなくなった。
 そんな時に、カルマくんの母親から家庭教師のアルバイトを頼まれたのだ。カルマくんが有名な進学校に通っていることは知っていたので、とても教えられないと辞退した。しかし「あの子がこんな風に勉強したがるのは初めてなの」とか、「バイト代は多めに払うから」などと、強く頼み込まれてしまい断り切れなかった。
 私自身、かつて一緒に遊んだ思い出の少年が、少しだけ恋しくなっていたことも理由の一つだ。



「あんなに可愛かったカルマくんが、ここまで荒んだ少年になってるとは思わなかったけど……」
「別に、元からこんな性格だよ。あんたが鈍いから気づかなかっただけじゃん」

 私の髪をすくいあげ、退屈そうにいじった。彼にとっては何気ない動作でも、私はつい緊張してしまう。わざとらしくならないよう、慎重に距離を置く。

「とにかく、任された以上はちゃんと勉強しないと、カルマくんのお母さんに申し訳が立たないよ! 私、『あなたに家庭教師してもらってからカルマの成績あがったのよ』なんて言われたんだからね!」
「それは俺が調整しただけだって」
「可愛くない!」
「……カワイイなんて思われなくていいし」

 カルマくんが立ちあがり、私の肩を抑えこんだ。ぐるりと反転され、彼の椅子へと座らせられる。その上から片膝を乗せるので、二人分の体重を受けた回転椅子が軋んだ音を立てた。

「俺はあんたに勉強教えてもらおうなんて最初から思ってないよ。だから、解雇するつもりもない」

 蛍光灯の光を背負って、彼の表情が陰る。徐々に詰め寄られることに本能的な恐れをいだき、とっさに片足を椅子の上にあげた。これ以上近づけないように距離をとるつもりだった。しかしカルマくんはすかさず膝裏を掴みあげ、私の背中に手を回す。抱きあげられたのは一瞬のことで、気づいた時にはベッドへ放り投げられていた。

「かっ、カルマくん!?」
「『カルマ』って呼びなよ」

 起き上がろうとした私を押さえつけるように、彼が跨ってきた。中学生とはいえ男の子だ。身長も彼の方が高い。力勝負になったらひとたまりもなく、私の抵抗はほとんど意味をなさなかった。

「な、何しようとしてるの?」
「分かんない?」
「……分かりたくない」

 手首を強く握られて、血の流れがとまる。冷えた指先を感じていると、腰のあたりに体重が乗った。

「キス以上のことは、カルマくんが高校卒業してからって約束だったよね?」

 威厳を示そうと、強い口調を意識するが、彼の表情は変わらなかった。

「……約束、破るの?」

 非難の言葉をぶつけると、手首を握る力が強まった。何を考えているのかまったく分からない瞳が、少しだけ怖い。
 しばらく睨み合っていると、不意に脱力した彼が私の上に突っ伏してくる。髪の毛が首のあたりにあたってくすぐったかった。しかし、緊迫した空気がほどけたのを感じ、内心安堵した。

「…………俺が高校卒業するまで、地球があるとは限らないじゃん」

 弱々しい声で吐き出された言葉に、思わず吹き出してしまった。途端にカルマくんが上体を起こす。その表情は分かりやすいぐらい不機嫌になっていた。

「カルマくん、そんなこと心配してるの?」
「……してるよ。悪い? いーよね、何にも知らないあんたは気楽でさ」
「えー? 確かに、月が急に壊れちゃうような世の中だし、何があるか分からないけどさー」

 いつまでも乗られていると重いので、身じろぎしてカルマくんをどかした。一緒に寝ころぶだけのつもりだったのに、強く抱きしめられて、顔を胸に押しつけられる。

「あと四年とか……どう考えても無理」

 彼がどんどん力を籠める。息苦しかったけれど、少しも嫌ではなかった。

「あっという間だよ。四年なんて」
「あんたは大学卒業しちゃうじゃん」
「うん。でも、ずっと待ってるから」

 彼の力が和らいだ。小さな声で、「当然だろ」とぼやくのが聞こえた。
 背中に回された手が、探るように服の下へ入ろうとする。私はその手を掴みとって、彼のわき腹の位置まで戻した。きょうつけの姿勢にさせた上から強く抱きついて、今度は私が自由を奪う。カルマくんの深い溜息を聞きながら、私は十分幸せなんだけどなぁ、とつぶやいた。




End

131110
231018 加筆修正

恋ひ醒。の佐藤さんとした妄想より