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薄いきらめきの広がる朝に




訓練兵にとって貴重な私語の許されている夕食の時間を、いつもみたいにジャンと過ごせないのは悲しいことだった。別に仲間外れにされたわけじゃない。私が勝手に気まずい思いをしているだけだ。

今日の午前、私はジャンやサシャ、コニーやマルコと同じ班だった。立体機動を使用した実践的な訓練は、いつも以上に点数を稼げる科目なので、少しだけ焦っていた。巨人を模した作り物のうなじを削ぐために無茶な動きをし、大木に自分の体を打ち付けそうになった私を助けてくれたのはジャンだった。

器用にもワイヤーを木の枝に絡めてぶら下がったジャン。抱きとめられながら、使い物にならなくなったアンカーが落下していくのをぼんやり見送って、ようやく我に返った。お礼を言わなくちゃ。素早く私を抱きしめる張本人を振り返ったら、そこには思っていたような安堵の表情はなく、彼は怒りをあらわにしてこちらを睨んでいた。

「馬鹿やろう!!」

怒鳴られて、体がびくつく。ジャンはアンカーを放って飛び降りると、着地してから私を乱暴に突き放した。

「お前の無理なやり方が班員全員に迷惑かけるとか考えたことねぇのか?!」

ジャンは普段から思ったことをはっきり言う性質だった。彼の意見は明らかに正しかったし、悪いことをしたのが私自身だということもちゃんとわかっていた。それなのに、真っ直ぐ過ぎる言葉は刃物のように私の心を貫いて、幼くてどうしようもない感情をあふれさせた。それは涙として彼の前に具現化してしまう。一瞬、ひるんだような表情を見せたジャンだったけれど、「泣けばいいと思ってんのか?」と、さらに苛立ちを募らせる。

「まぁまぁ」

ザッと地面を擦る音がして、近くにマルコが着地した。彼は困ったような笑みを浮かべながら、宥めるように私たちの肩をさすった。

「彼女にも悪気があったわけじゃないんだし。無事でよかった。ジャン、さすがだったよ」

ジャンが少し言葉に詰まったタイミングで、コニーとサシャも続く。

「そうだ、次から気をつけりゃいいだろ」

「お詫びに今日の夕飯を私たちに分けてくれればいいんですから」

気の抜けるような周りの発言に彼は言い返そうと口を開いた。自分のせいで空気が悪くなってしまうのは堪えきれず、私は遮るように「ごめんなさい」と謝罪した。彼はまた勢いをそがれたようで、ぐっと押し黙る。背を向けてアンカーを放つと、「駄目になった立体機動装置を外してろ。新しいものを調達してくる」とだけ言って、すぐに立ち去ってしまった。

スープに入った芋を口の中で溶かしながら、今日のできごとを何度も頭の中で繰り返した。ジャンに怒られて呆れられてしまったことへの悲しみ、助けてくれたことへの感謝、抱きとめられた時の感覚、周りの皆の気づかい。いろんな感情がぐるぐると渦巻いていて、いつもより早くお腹がいっぱいになった。ちょうどサシャの言葉が蘇ったところだったので、まだ手をつけていないパンを持って立ち上がる。震える脚に無理やり言うことを聞かせ、ジャンが食事をしているテーブルに向かって歩き出した。

「ジャン」

顔を上げた彼の表情は無で、まだ少し怒っているのだと直感した。それでも私は、何を言っても、もっと彼を不快にさせてしまう気がして、まともに言葉を紡げなかった。

「これ、今日の、お詫び」

「いらねぇよ、そんなモン」

深い溜息の後に吐き出された言葉は想像以上に刺々しくて、肩を震わせてしまう。顔をあげるとジャンはすでに食事を再開していた。

「でも、迷惑かけたから」

「あのなぁ!」

ジャンが怒鳴り声をあげる。私はもう何も言えなくて、差し出していた手さえも引っ込めた。ジャンはこちらを睨みあげると、スープをすくっていたスプーンを、テーブルに叩き付けるように置いた。

「お前は何も分かってねぇんだな。ガッカリするから、これ以上くだらねえこと言うつもりなら話しかけんな」

突き放す言葉にえぐられるような痛みが全身を襲った。呆然と立ち尽くしていると、マルコが責めるような口調で「ジャン!」と叫んだ。それでも彼は私から視線を逸らすと、また黙々と食事を再開した。私は周りからの好奇の視線を浴びるのが辛くなって、逃げるようにその場を後にした。途中、サシャと視線があったので、押し付けるようにパンを渡す。

「よかったら食べて」

早口に言うと、サシャはめずらしく困惑した。けれど、パンはしっかりと受け取ったので、そのまま駆け抜ける。コニーが引き留めるように私の名前を呼んだけれど、気づかないふりをした。自分の席に戻ってトレーを持つと、それを然るべき場所へと片づけてから部屋を出た。




一足先に自分の部屋へ戻り、明日の仕度もそうそうに止めてベッドにもぐりこんだ。後から帰ってくるであろう同室のメンバーたちと顔を合わせるのが嫌だったのだ。気を使われたり、詮索されたりするのが目に見えている。寝たふりをしてでも乗り切ろうと思っていたのだけれど、疲れがたまっていたせいか、すぐに寝入ることができた。

夢も見ないほど深い眠りを妨げたのは、繰り返し私を呼ぶ声だった。普段なら無視してでも貪欲に睡眠をとろうとするのに、早めに寝たせいか驚くほどパチっと目が覚めた。体を起こしながら窓の外を見て、まだ薄暗い景色を確認した。

「どうかした?」

寝起きのかすれた声は思いのほかぶっきらぼうで、私を起こした張本人のサシャはわずかに怯んだ。だけど、すぐに唇に人差し指をたて、「みなさんまだ寝てますから!」と声をひそめて言った。眠りを妨げられた私は妙な理不尽さを感じたけれど、言い返すことはしなかった。サシャは私のことを手招くと、ついてくるように促した。

「ここじゃだめなの?」

部屋の空気は冷たく、ブランケットから抜け出すことが名残惜しくて問いかけると、気の弱い彼女にしては珍しく「だめです!」と押し切った。何か事情があるのだろうと察し、手で髪をなでつけながらベッドを出た。

サシャに上着を着るように言われたので、寝間着の上にカーディガンだけを羽織った。外に出ると鳥の鳴く声が聞こえて、夜明けの近いことを知る。すんだ空気が頬を撫ぜ、濡れた犬がするように身震いをした。

注意深く周囲を観察するサシャは、どうやら教官の目がないことを確認しているようだった。安全なのを確かめると、私に向かって手招きをする。一体、こんな朝早くからどこへ連れて行くつもりなのだろう。私はあくびを噛み殺しながら、彼女の後を追った。

「ねえ、こんな時間に、何の用?」

寄宿舎から大分離れたので、少し不安になった私はもう一度問いかけた。どうせまた流されると思ったのに、サシャは振り返って答えた。

「朝食のパンと引き換えに頼まれたんですよ。こんな時間じゃないと、人目を気にしないで話せないですから」

「……誰に?」

問いかけておいてなんとなく予感があった私は、鼓動を速めた心臓のあたりでカーディガンを手繰り寄せた。彼女は立体機動装置を保管してある倉庫の裏まで来ると、「ここです」と言ってようやく足を止めた。

そこには誰もいなかったけれど、すぐに近くから足音が聞こえてきた。息をひそめてその方向をじっと見据えていると、角を曲がって姿を現したのは、想像していた通りの人物だった。その名を呼びかけて、続けざまに現れた他の者たちに気づき、慌てて口を閉じる。ジャン、コニー、マルコの三人が目の前に並んだ。

「パンの約束守ってくださいね!」

サシャがヒソヒソ声でマルコに耳打ちする。「うん、わかってるよ」と苦笑交じりに言ったのを確認すると、サシャは満足げにコニーの横に並んだ。つまり、私対四人の図が完成する。なんとなく威圧されているような気持ちになりたじろぐと、ずっと視線をそらしていたジャンが、何か言いたげに口を歪めた。

「……何?」

昨日のできごとを思い出したせいで、いつもより強張った声になってしまった。不機嫌な態度をとっているように思われたかもしれない。けれど、そもそもの原因が自分にあることは分かっているし、このまま気まずい空気が続けば辛くなるのが自分であることも分かっていた。できれば素直になって、仲直りしたい。今、この瞬間が最大のチャンスであることが分かっているのに、私は言葉を続けることができなかった。

一方、ジャンも口を開いたかと思えば唇をきゅっと結ぶのを繰り返していて、なかなか用件を口にしようとしなかった。挙句の果てに、苛立ちを隠そうともせず舌打ちをする。それを聞いた私は、もしかしたら彼がマルコとコニーに無理やりここへ連れられただけで、本当は私の顔なんて見たくなかったのではないかという考えに至ってしまった。恐怖に肩を強張らせると、それに気づいたらしく、コニーとマルコとサシャが同時にジャンを肘でついた。どすっどすっと鈍い音がして、ジャンがうめいた。

「おっ、お前らやめろよ!」

三人は無言のまま、肘打ちを続ける。堪え切れなくなったらしいジャンが、「ちゃんと言うからやめてくれ!」と嘆いた。

ジャンは絶対に言うから、一人でも大丈夫だからと懇願するように説き伏せると、三人の背を無理やりに押して、寄宿舎の方へと見送った。マルコは安心したように歩いていたけど、コニーは呆れたように何度もふりかえっていた。サシャは最後に一度私の方を振り返ると、それきり歩いて行ってしまった。

夜明けの沈黙が訪れ、気まずい空気が流れる。ジャンは三人がちゃんといなくなったことを確認すると、再び私の前に戻ってきたので、見つめ合う形になった。

「……悪い。昨日は言い過ぎた」

さっきまで言いよどんでいたのが嘘のように、彼はあっさりと頭を下げた。呆然としていると、顔をあげたジャンの表情は、少しだけ不満の色を浮かべつつ、居心地悪そうにゆがめられていた。

「つっても、俺は間違ってねぇと思ってる。お前の無茶なやり方は……不安にさせられるんだよ」

ますます眉間にしわを寄せるのを見て、露骨な不機嫌さが照れ隠しだと気づく。まじまじと彼のことを見つめていると、泳いでいた視線がようやくぶつかった。

「頼むから心配かけるような行動はとるな」

ストレートな物言いに、忘れていた心音が戻ってきた。どくどくと血液がめぐるのを感じながら、カーディガンを手繰り寄せる手に力をこめ、うつむくように視線から逃げる。

「ごめん、心配してくれてありがと。でも、やっぱり無理はやめられないよ」

「お前なぁ……!ふざけんなよ、訓練中に死ぬ奴だっているんだぞ?そうなりたいのか?」

「でも、私、なんとしてでも憲兵団に行きたいんだよ!」

荒々しくなった彼の口調に対抗するように、私まで声を張り上げてしまった。今まで誰にも言ったことのない望みを口にしてしまったことで、恥ずかしさが押し寄せると同時に何かが吹っ切れたような心持ちになる。顔をあげてジャンを真正面から見つめた。彼は意表をつかれたらしく、戸惑いを浮かべていた。

「憲兵団?お前の成績じゃ……」

途中で気がついたように言いよどんだ。ハッキリと口にしなかったのは、昨日のことから学習したのだろう。だけど自分自身分かり切っていることだったので、首を横に振って言葉を引き継ぐ。

「分かってるよ。今の私の成績じゃ無理だよね。だから、無理してでも頑張らなきゃいけないんだよ」

憲兵団になるためには、成績優秀者の上位十名に入らなければいけない。多くの者が内地で暮らせる憲兵団を目指している中、その条件を満たすことは容易ではない。普通に頑張っているのではだめなのだ。それこそ死ぬ気でやらない限り、私のような凡人が憲兵団になることは叶わない。

「……お前がそんなに憲兵団にこだわってるの、初めて知ったんだけど」

「初めて言ったからね」

「なんで、言わなかったんだよ?」

彼の当然な疑問に、喉がごくりとなった。鳥のさえずりしか聞こえないこの場所は、私たち二つ分の息づかいしかない。

訓練兵として決められた時間を生きる私たちにとって、二人きりの環境は貴重だった。

これは、めったに訪れないチャンスなのかもしれない。

「……言えなかったんだよ」

「は?」

「だって、私が憲兵団にいきたいのは、ジャンと一緒にいたいからなんだもん」

心臓は相変わらずうるさい。血液が猛スピードで体内をめぐるせいで、暑いぐらいだった。カーディガンを脱いでしまおうかと考えかけて、この下が寝間着なことを思い出し、とどまった。余計なことを考えている自分に気づいて、意外に余裕があることに驚く。ジャンから視線を逸らさないまま、言葉を続ける。

「私は、ジャンが好きだから。ずっと傍にいたいから、憲兵団にいきたい」

本気で叱ってくれたジャンの声に後押しされた。エレンにすぐ食いかかって喧嘩するジャンも、ミカサの前だとどぎまぎして上手くしゃべれないジャンも、立体機動を巧みに使いこなして空を舞うジャンも、間違いなく私の憧れだった。勢いで言ってしまった気はするけれど、後悔は一つもない。鼓動が激しくなるのを聞きながら、私は唇を結んだ。

「俺は……」

彼が言いよどむのを見て、私は慌てて広げた手の平を突き出した。「ストップ!」ジャンが口を閉じる。

「待って、返事は聞きたくないんだ!この気持ちのままで頑張りたいから!」

「や、でも」

「お願い!」

目を閉じ、頭を下げた。ひどく迷っているのが空気で分かったけれど、彼はそれ以上なにも言わなかった。自分の考えをはっきり言える彼だけど、根っこは優しいのだ。傷つけると分かってて、本人が望んでいない言葉を口に出せるはずがない。

「……私が、頑張って、頑張って、憲兵団に入ってジャンの傍にいられるようになったら、その時にまたもう一度伝えるから、それまでは待ってほしいの」

「だったら……だったらなおさらだろ!」

突然声を大きくしたジャンを見る。彼の顔は心なしか赤く染まっていて、胸のあたりが妙な疼きを覚えた。

「俺の側にいたいなら、無茶はしないで、頑張れよ。生きてなきゃ、なんにもなんねーんだから……」

尻すぼみになった彼につられて私の顔まで熱くなった。赤くなっているだろう顔をみられるのが恥ずかしくて、素早く身を翻す。背を向けたままカーディガンを強く引き寄せ、今までで一番はっきりと続けた。

「が、頑張ることは譲れないよ。それが私の目標だから」

背後で彼が言い返そうとしたのが分かった。「だけど!」その前に、思い切り遮ってしまう。

「ジャンや他のみんなに心配かけないように、無理しないようにも頑張るから、見守っててほしい」

ジャンは何も言わなかった。

「それから、もう知られちゃったし、これからはガンガン……ガンガンは無理だけどちょっとはアピールするから!そのつもりでよろしくね!」

「お、おう」

間の抜けたジャンの返答が後ろから聞こえ、ようやく安堵した。私はそれじゃ、とだけ言い残し、その場を駆けだす。もう空は色づきはじめ、すっかり朝の空気になっていた。

周囲へ注意を払うことも忘れ、全速力で走りぬけると、寄宿舎にたどりついたころには肺の空気が冷え切っていた。浅い呼吸を繰り返しながら振り返った先には、薄いきらめきに包まれた景色が広がっていて、寝不足の目にじんわりとしみこんでいった。




End

131013

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