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急ぎすぎ回りすぎ




「明日までに読め」

そういって十神君が渡してきたのは、私が普段使っている枕よりずっと分厚い本だった。受け取った手が重みに耐えきれず垂れ下がり、肘がピンと伸びた。突然のことに状況をのみこめずにいると、彼は早々に踵を返して立ち去った。

読書なんてまともにしたことのなかった私はその暴力的な文字の量に血の気が失せるのを感じた。読めっていった?これを?明日までに?絶対に無理だと思ったけれど、十神君の言うことを聞かない方が怖かった。

慌てて部屋にかけ戻ってテーブルの上にドンと本を置く。噛りつくようにして必死に読書を始め、徹夜で頑張ったけれど、眠気やら眩暈やらに襲われ半分も進まなかった。それでも一週間かけてなんとか読み終え、彼の元に報告へ行った。十神君は「遅すぎる……が、読み終えたことだけは評価してやろう」と言って、次にもっと分厚い本を渡してきた。

「今度は三日で読め」

期限が二日伸びたのは、彼の思いやりなのだろうか。しかし、こうまでして私に本を読ませたがる意味が分からなかったので、彼に問いかけた。

「あの、どうして私に、こんな本を……?」

「……」

すさまじい眼孔で睨まれ、逃げるように部屋へ帰る。すれ違った苗木君が私の顔色が悪いことを心配してくれたけど、三日以内に本を読まなければいけない私はそれどころじゃなく、申し訳ないとは思いながらも早々に話を切り上げた。

五日かけて本を読み終え十神君の元へ行った。彼は最初に舌打ちをして、期限を守れないのはクズだ、というニュアンスの言葉を五分ぐらいかけて私にぶつけ続けた。そしてその後、原稿用紙を十枚渡してきて、本に対する自分の意見を書くように言った。正直、頭を抱えたくなったけど、彼に逆らったら何をされるか分からないので従うことにした。さっそく部屋へ戻ろうとしたら、腕を掴まれて引き留められる。

「感想は明日まででいい。その前に今日はトレーニングだ」

「と、トレーニング?」

「十分後にプールへ来い。当然、水着の準備をしておけ」

訳も分からず倉庫へ走り、水着を探した。二十分後に更衣室のある部屋に飛び込むと、珍しくジャージ姿の十神君が腕を組んで立っていた。

「……遅い!!俺を待たせるとは何事だ!さっさと着替えてプールに来い、愚民が」

彼は電子手帳を当てると男子更衣室に入って行った。慌てて女子更衣室に飛び込み、水着に着替える。その上にバスタオルを巻いた状態でいたかったけれど、ぐずぐずしてたら怒られると思って潔くプールへ出た。彼はジャージのままプールサイドに立っていた。

「泳げ。まずは25メートルをクロールだ」

寝不足のせいで頭が働かないけれど、自分が理不尽な要求を突き付けられていることは分かった。「なんで?」と聞くと、「いいから泳げ!」と蹴られて落とされる。鼻に水が入って涙目になった。泳ぐのが苦手な私はすぐにでもプールサイドにあがって逃げ出したかったけれど、十神君に上から威圧されてしぶしぶ泳ぎだした。平泳ぎ、バタ足、背泳ぎ、全て50メートルずつ泳がされ、へとへとになった。バタフライができないといったらビート板を投げつけられてしまった。

「仕方ない。バタフライは明日、この俺が直々に教えてやろう」

「あ、明日もやるんですか?」

「当然だろう!」

「なんで……」

十神君が今まで以上に睨むので、プールに沈んでぶくぶくと泡を出した。この学園に閉じ込められてからの自分の行動を顧みるけれど、彼に恨まれるようなことをした記憶がない。

その日は寝ずに読書感想文を仕上げた。翌日、彼に提出したら最初から最後までさらっと見た十神君が、「やり直し」とだけ吐き捨て、原稿用紙を破り捨てた。さらに、新たな本を手渡され、こちらも同時進行で読むように言われた。

バタフライを教えるという約束は気まぐれではなかったらしく、再びプールへ連れていかれた。昨日と違うのは、今日は十神君が水着を着ていたことだ。一緒にプールへ入り、ぐいぐい腕や脚を引っ張られながら、乱暴に教えられる。こんな所を山田君辺りがみたら騒ぎ立てそうだなぁとぼんやりしていたら、十神君に「集中しろ!」と怒鳴られた。

プールから上がって、更衣室で着替え、外へ出ると十神君が壁に背を預けて待っていた。

「遅いぞ。水分補給はしたか?」

「してないです」

「飲め。礼はいらん」

「ありがとう……」

手渡されたスポーツドリンクのペットボトルを受け取りながら、つい口癖のように礼をいったら「いらんといったろう!」と怒鳴られた。素早く謝ってから、恐る恐るドリンクを飲む。疲れた体に染み入るような美味しさだった。

「十神君、……あの、ちょっと聞きたいんですけど」

「なんだ」

「最近どうして……その、私にこんなに色々かまうの?」

十神君の表情が一気に険しいものとなって、思わず飲み物を取り落しそうになった。彼の口が開きかけるのを見て、また怒鳴られるのかと思い身構えるけれど、何かいいかけた唇は閉じてしまいそれきりだった。考え込むように押し黙った十神君が、「先に行く」とだけ呟き、早々に部屋を出て行ってしまった。私は何も言えずに見送って、しばらくその場に立ち尽くした後、彼から渡された本を読まなければいけないことを思いだした。

自分の部屋へ早く戻らなければと廊下を走っていると、始終景色がぐらぐらした。頭痛もひどかった。食堂の前あたりまで来たとき、普段より輪郭のぼやけた苗木君に会って、すごく驚かれた。何に驚いているのか聞く暇もなかった。何故なら彼とすれ違う瞬間、地面がすごく柔らかくなって、気づいた時には苗木君の腕に抱きとめられていたのだ。自分がバランスを崩して転んだことが、その時は理解できなかった。

「みょうじさん!?」

「だいじょうぶ……」

「全然大丈夫じゃないよ!顔色がひどくて……」

「どうした苗木」

コインランドリーのある部屋から出てきたのは十神君だった。おそらく水着を洗っていたら外が騒がしくなったので気になったのだろう。彼は最初こそ怪訝そうに眉を寄せていたのに、苗木君と私の様子を見て目を大きく見開いた。彼にしては珍しく、その表情に毒気や嫌味はなかった。

「みょうじ!?」

「彼女が倒れて……」

「おい!しっかりしろ」

苗木君が支えきれずに膝から崩れ落ちそうになっていた私を、十神君が引っ張って抱えた。だけど意識はそこまでで途切れ、気づいた時には自分の部屋のベッドで寝ていた。ぼんやりと、天井の監視カメラを見つめていると、だんだんと先程までのできごとを思いだしてきた。ふと何気なく横をみたら、ベッドの傍の椅子に足を組んで座る十神君がいた。目と目がぶつかり、視線が交わる。

「目が覚めたならさっさと言え!」

「ご、ごめんなさ……」

咄嗟に起き上がって頭を下げようとしたら、それより先に伸びてきた手に肩を抑えられてしまった。

「急に起き上がるな!また倒れたらどうする?」

「あ、そうか……私倒れたんですよね」

「そうだ。寝不足だったらしいな。体調管理もできないのか、貴様は」

寝不足だったのはどう考えても十神君のせいなのだけれど、それを口にしたらややこしくなる気がしたので黙っていた。ごめんなさい、とだけ呟くと、彼の眉間に数多のしわが寄った。

十神君はかつてないほど長い溜息を吐き出すと、自分の眉間あたりを人差し指でぐりぐりと押した。そんな様子をぼんやりと見つめていたら、彼の視線がふと、机の上の分厚い本に向けられた。

「悪い」

あんまり小さな声だったので、最初は聞き取れなかった。ぼけっとしていると、伝わらなかったことに気づいたのか、彼がもう一度繰り返した。だけど私は、まさかそれが彼の謝罪だなんて思いもせず、てっきり私に何か改善すべき個所があると指摘されているのだと解釈した。だから咄嗟に「ごめんなさい」と震える声で謝ると、十神君が訝しんだ。

「なぜお前が謝る。悪いのは全部俺だ」

「え……?だって、私が倒れて迷惑かけたから、呆れてるんでしょ?」

「確かに呆れたが……倒れたのは俺のせいだろう。お前の能力の低さを理解しきれず、無理をさせたのだからな」

また彼がため息を吐く。素直に受け取りがたい謝罪ではあったものの、十神君が自分の非を認めて頭を下げるところなんて初めて見たので、怒りより先に驚いた。ぽかんと口をあけて彼を見ていると、「その間抜け面をどうにかしろ」と叱られた。

「私は……全然いいよ。確かにちょっと辛かったけど、本なんて十神君に言われなかったら読めなかっただろうし、プールで泳ぐのも久しぶりで楽しかったし」

「しかし俺が焦りすぎたのは事実だ。もっとペースを考えてやるべきだった」

「あのさ、ずっと聞きたかったんだけど、なんでこんなことさせてたの?」

何度か聞いたものの答えが返ってこなかった質問を、思い切ってもう一度投げかけた。十神君が硬直する。視線が徐々にそらされて、居心地悪そうに表情を歪めている。

「……お前はどう考えても俺に相応しくない」

「え、はい……ですよね」

「だが、俺は妥協などしない。今までだってそうして生きてきたのだからな」

十神君の背筋が徐々に伸びていく。表情はだんだんと普段のものに戻ってきて、ついには立ち上がって私を力強く指差した。

「お前には十神の名に相応しい存在になってもらわねばならんのだ!」

「……え?」

「だからもっと知性を身につけろ!体力もだ!もっと己を磨いて、俺の隣に立つのに恥ずかしくないよう精進しろ!」

「えっ、え、ええええ?」

具合が悪いのも忘れて飛び起きていた。十神君は言い切ったことに満足したのか、鼻で息をふんと吐きだし、腰に手をあてた。それからすぐに背を向けると、堂々とした足取りで歩いて行ってしまう。乱暴に開けた扉をくぐり抜けようとした時、最後に彼が振り返った。私を鋭い目で見つめると、力強い口調で吐き捨てるように言う。

「ただし……今は身を休めることに集中しろ。これは命令だぞ」

扉は意外にも静かに閉まった。まだ少し歪む景色の中、記憶に残る十神君の耳が少し赤らんでいたような気がして、私の体の中心部分が、つられて熱を持った。倒れるようにベッドに寝そべり、働かない脳みそで彼のことを考える。もしかしたら今のは彼なりの告白だったのかもしれない、と思い至ったころには羞恥心がふくらみ、私はベッドに突っ伏して、枕をばしばしと叩き続けた。




End

130927