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主導権を握る




「芭蕉さんをいじめないでください」と怒る彼女は知らない。僕が芭蕉さんに嫌がらせをするのはイライラをぶつけるためだとか、そのイライラの理由が彼女のそうした発言にあることだとか。教えてないのだから知らないのは当然なのに、全く気付く気配のない彼女に苛立ちは増していった。けれど何より腹立たしいのは、自分の想いを彼女に伝えられずにいる、子供みたいな青臭い僕自身だった。





「芭蕉さんなんですかこの俳句は」

「最高傑作!」

休日に芭蕉さんの家に呼び出されたと思ったら、いきなり渡された短冊。そこには『最上川 見ながらモナカ もがみがが』と書かれていた。

「……これが?」

「そう!この最後の『もがみがが』はモナカを口に頬張りながら最上川って言おうとしてるところを表現してて……って破った――――!!」

「ちょうどよかった。今日はゴミの日です」

「ひどいよ曽良くん!」

わあわあ喚く芭蕉さんを無視して細かに千切った俳句をゴミ袋に詰めていると、背後でムギムギムギと奇妙な音がした。振り返ると、芭蕉さんが珍しく怒りを露わにし、歯ぎしりをしていた。どうやらさっきのは歯と歯がこすれ合う音だったらしい。

「今日という今日は怒った!一念発起!もっと師匠を敬ええええ!」

「うるさいバカが。殴りますよ」

「そういう口がもうきけないようにしてやるぞっ」

芭蕉さんが走ってきた。あんまり距離は開いてなかったはずなのに、すごい時間がかかった。挙句の果てに目の前で立ち止まり、膝に両手を置いて荒い呼吸を繰り返す。待つのをやめて断罪チョップを繰り出そうとしたら、芭蕉さんが鋭い視線を投げかけてきた。どうやら珍しく、本気で怒っているらしい。

「くらえー!かつて誰かに授かった気がするけど記憶にはなくて体が覚えている『フケアドベンチャー』!!」

「!! それは……」

いつだったか、芭蕉さんがマジヤバダケを食べて幻覚を見るようになってしまった時、風流さんに繰り出していた技だ(※七巻参照)。対象の頭の上に片手で倒立し、空いている手で頭を掻き毟って、相手の上へとフケを雪のように降らせるのだ。しかしあの時の芭蕉さんはいつもより身体能力が上がっていたように思う。素面の状態でできるのだろうか?

立ち尽くしたまま様子を見ていたら、芭蕉さんが僕の上に片手を置いた。そして案の定、倒立まで持ち上がらなかったらしく、目の前でぴょこぴょこ跳ねていた。あげくその状態で自分の頭を掻き毟ろうとするので、僕は彼が自分で自分のフケを浴びることを予測し、内心で嘲った。

けれど芭蕉さんの頭はどんなにこすってもこすってもフケが出なかった。彼も動揺しているようで、必死で掻き毟っている。

「あれっあれっなんで……あっ、そうか!昨日の夜、なまえちゃんに髪の毛あらってもらったから……くそおお!」

未だにフケを出そうと奮闘する芭蕉さんが何気なく口にした言葉を聞いた瞬間、脳内でプツンと音がする。気付けば僕は頭の上に乗せられていた方の腕を掴んで、本来曲がらない方にねじっていた。しょげええ、と情けない声をもらして芭蕉さんは引っくり返った。僕は追い打ちをかけるようにそれを蹴り飛ばし、踏みつけた。

「……芭蕉さん、なまえさんに何させてるんですか」

「ひいい!だっ、だって、お風呂入りたくないって駄々こねたら、なまえちゃんが洗ってくれるって言うから……」

「いい歳して風呂も一人で入れないんですか。それなら今度からは僕が浴槽に沈めてあげます」

「なんで曽良くんそんなに怒ってるの!?」

泣きわめく芭蕉さんを最後に一つ蹴飛ばすと、タイミング悪く襖が開いた。入ってきたのは話題の人物で、僕は彼女が芭蕉さんの家に住み込みで働いていたことを思いだした。

「ちょっと曽良さん!芭蕉さんになんてことするんですか!」

「……チッ」

「うわあーん!なまえちゃんっ」

地面を這いつくばって彼女に助けを求める老いぼれから視線を逸らす。視界の端で子供をあやすように芭蕉さんを慰めるなまえさんが見えて、心の奥に暗い感情が膨らんだ。

「なまえさん、あんまり芭蕉さんを甘やかさないでください」

「私はこの人の面倒を見るのが仕事なんです。それに、ご年配の方は大切にしなきゃなんですよ」

「だからって頭を洗ってやることないでしょう」

「芭蕉さんに頼まれたことですから」

じゃあお前は芭蕉さんに抱かせろと言われたら抱かれるのか。苛立ちが増してきて睨み付けようとすると、彼女の腰に芭蕉さんがしがみ付いておいおい泣いているのを見てしまった。ムカついて怒りのままに歩み寄り、二人を引きはがす。畳の上に芭蕉さんを転がすと、芋虫のように丸まって泣き出した。彼女が僕と芭蕉さんの間に立ちはだかって、守るように両手を広げる。

「弱い者いじめはやめてくださいっ」

「……あなたは芭蕉さんの言うことならなんでも聞くんですか?」

「私にできることなら。仕事ですから」

「分かりました」

彼女を押しのけて、芭蕉さんに歩み寄る。ぐいと襟元を掴んで起こすと、涙でぐしょぐしょになった芭蕉さんと目が合った。

「芭蕉さん。彼女を貸してください。一週間……いえ、三日でいいです」

「ええっ、なんで!?」

「それと僕もその日数だけ暇をもらえませんか」

「そんなの困るよおお」

「彼女はあなたの言うことなら聞くと言っている。命令してください。そしたら僕は(しばらくは)反省して(少しの間)あなたに暴力をふるわないと約束します」

途端に芭蕉さんが目を輝かせた。

「本当?もう私の俳句やぶらない?」

「……ええ」

「曽良くんのお菓子食べても断罪チョップしない?」

「(当分は)約束します」

わあい!と飛び跳ねた芭蕉さん。「いいよ、なまえちゃん三日貸してあげる」と言うと、その場で踊りだした。

「そういうことなんで、いいですよね。なまえさん」

「……かまいませんけど、どういうおつもりですか?」

「あなたは知らなくていい」

僕は彼女の手を掴むと、強く引いた。不意打ちを食らってバランスを崩したらしく、簡単に引きずられる。飛び出すように芭蕉さんの家を後にし、向かうは僕の家だ。三日間彼女を好き放題できるという事実に胸が高鳴る。まずは、いま僕が握っているこの柔らかい手に、頭を洗わせよう。




End

130424

没案『最上川 見ながらモナカ レディー・ガガ』