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オムライスと大量のケチャップ



目の前の若い女はふて腐れた学生が授業中にするように、机の上にぴったり片頬をつけて俺の視線を避けている。机の下にぶら下げられている両腕をまとめた手錠が不愉快なのだろう、たまに奮闘しているらしくガチャガチャと金属音が響いた。当然そんなことで外れはしないし、こいつのふて寝を許してやるわけにもいかねェ。俺はパイプ椅子を蹴るように立ち上がると女の頭を鷲づかみにして持ち上げた。

無理やり体を起こされた相手は少し怯んだようだったけれど、地面を蹴ってのけぞって、俺の手をかわした。ようやく向かい合ったというのに、女は表情をゆがめて嫌悪感を露わにした。舌打ちすると手錠でつながれた両腕を目の前に持ってきて、「これ外してよ!」と喚いた。俺は机を強く叩き、それを遮る。

「うるせェよ黙れテロリスト。てめェ、自分が何しでかしたか分かってんのか?あァ?」

泣く子も黙る鬼の真選組副長と呼ばれているのは伊達じゃねェ。女は不愉快そうに、しかしピタリと口を閉じた。徐々に伏せられていく目が心なしか潤んでいるように思った。まるで悪戯を叱られた子供のようだ。

「テロリストじゃないもん……」

「寝ぼけたこと言ってんじゃねェよ。テロ行為を行ったらテロリストだろ」

「ちょっと屯所の看板にケチャップ塗りたくっただけじゃない!」

「それが反社会的行為だっつってんだろ!」

女が歯ぎしりをした後、また机に伏せようと頭を下げた。俺はそうはさせまいと、素早くデスクを引く。女の頭は空を切って、床に転がり落ちた。強い視線で睨みあげられるが、全く怖くない。ざまあみろ、とさえ思った。そもそもケチャップってのが腹立たしいんだ。

「何すんの!?小学生の嫌がらせみたいなことやめてよね!」

「うるさい、てめェの態度にふさわしい対応をしてるだけだ」

「警察のくせに!」

「警察の前に人間だからな」

女は立ち上がると椅子に座り直すことはしないでこちらを見下ろした。殺意さえ感じる視線を浴びながら、俺は負けじと睨み返す。

「あんたみたいな平に構ってる暇はないんだけど」

「……ほう?」

「ヒジカタってやつ呼んできて」

「あ?」

「私はそいつが用があったんだから」

女は俺が土方張本人だと気付いていないらしい。腹の内を探るようにじっと見つめてみるけれど、「はやく呼んで来い」だの「瞳孔開いてて気持ち悪い」だの好き放題言いやがる。ムカついたから一発ぐらい引っぱたいてやろうかと思ったとき、不意に取調室の扉が開いた。二人して振り返ると立っていたのは近藤さんだった。

「トシ。熱心なのはいいけど、まだテロリストかも分からないんだ。優しくな」

「……現行犯だったんだから疑いようがないだろう」

「とはいっても、女の子なんだから」

近藤さんの手には丼が抱えられていた。斜めったデスクを整え、その上に丼を乗せる。見れば、黄金色のカツどんが上手そうな湯気を昇らせていた。

「さあ、これを食べてからでいいから、話を聞かせてくれないか?」

「いらない」

優しく語りかけた近藤さんから視線をそむけ、女は椅子に腰を下ろした。俺の中で血管が切れたような音がした。

「てめェ、近藤さんの好意を無駄にするつもりか……!?」

「トシ、大丈夫だから」

「ゴリラが持ってきたカツどんなんて不衛生。いらないから」

「クソアマァァァ」

「トシィィィ!俺は大丈夫だからァァァ!落ち着けェェェ」

やっぱり一発殴らねえと気が済まねえと身を乗り出すが、後ろから近藤さんに羽交い絞めにされて止められた。だいたい近藤さんはこれだけ言われてなんで平気なんだ。心が広すぎンだよ。俺なら堪えられねえ。

「トシ、もういいから。この女の子の取り調べはザキに頼もうと思う。お前は休憩に行け。ほら、このカツどんはお前にやるから」

「だけど近藤さん」

「そうだ消えろトシ」

「なんでテメェにトシ呼ばわりされなきゃなんねんだよォォォ」

「トシィィィ」

またしても近藤さんに抑え込まれて女を殴ることができなかった。もういい、疲れた。ここは近藤さんの言葉に甘えて退室することにしよう。気遣うように笑う近藤さんに礼を述べてから、デスクの上のカツどんをとる。懐から取り出したマイマヨネーズをかけながら取調室を出て行こうとしたら、背後から突然の衝撃。完全に油断していた俺は今まさに開けようとしていた扉に額から突っ込んでしまった。

「痛……テメェ、どういつもりだ」

振り返ると、先ほどまで座っていたはずの女が俺の背後にいた。どうやら両手がふさがっているから頭突きをかましてきたらしい。近藤さんが部屋のさらに奥で驚いたようにこちらを見ていた。女の視線は俺の手元に向けられている。

「その……大量のマヨネーズ」

「あ?これがどうかしたか」

「さてはあんたがヒジカタか!?」

「……」

先ほど、こいつがヒジカタに会わせろと言っていたのを思い出した。「だったらなんだ」と答えた瞬間、再び女が頭突きをかまそうとしてくる。今度は正面からの攻撃だったのでかわすのは容易かった。女は勢い余って先ほどの俺のように扉に激突する。衝撃でその場にへたり込むのを見ながら俺は割り箸を割ってカツどんを食べだした。はふはふとマヨをすすっていると、憎悪の混じった視線が下から向けられた。

「おいお前、さっき俺に用があるとか言ってたな」

「……」

「もしかして屯所にケチャップ塗りたくったのは俺へのあてつけか何かか?」

「そうだよ」

潔く認められた事実。近藤さんだけが意外そうに息をのんだ。俺は大方予想がついていたので、女を睨み付ける目を鋭くさせる。

「たく、くらだらねェな。どうせケチャラーかなんかだろ。たまにいるんだ、そういう因縁をつけてくる輩が。俺がマヨラーなのは有名だからな――」

「違う!私はあんなくだらない調味料に興味ない!」

遮るように声を張り上げた女。さすがにこれは意外で、俺はカツどんを食う手を止めた。言葉の続きを待っていると、女が立ち上がる。手錠を繋ぐ鎖がぶつかり合って、高い音をたてた。

「私は……ケチャップなんか好きじゃない。私が好きなのは、マヨネーズだから」

俺の手から滑り落ちたカツどん。つぎの瞬間には甲高い音が響いて、俺は丼が割れたことを知った。だけど、それを拾う気も起きなかった。

「私の地元はどうしようもない田舎で、コンビニ一つないような場所だった。マヨネーズを買うのには隣町まで行かなきゃいけなくて、しかもそんなに入荷もされなかったから、一日に三本ぐらいしか買えなかった」

「一日に三本手に入れば十分じゃね?」という近藤さんの突っ込みに女は反応しない。いや、反応しても意味がないと思ったのだろう。一日に三本じゃ全然足りないことは、生粋のマヨラーにしか分からねェことだ。

「だから私は上京してきた。マヨネーズを存分に食べるために。それなのに、ここらの店には全然マヨネーズがなかった。不審に思って店員に聞いたら真選組のヒジカタとかいうやつが買い占めてるっていうじゃない。結局私は江戸に来ても一日四本のマヨネーズしか手に入らなかった。こんなの、親元を離れてまで江戸に来た意味がないじゃない!」

「お前……」

「返してよぉ!私のマヨネーズライフを……返してよ……!」

とうとう泣き出した女。手錠がついたままの手で自らの顔を覆う。俺はたまらず駆け寄ると、女の体を強く抱きしめた。近藤さんが驚きの声を上げるのを意識の外に聞いた。

「すまねェ」

「……!」

「まさかこんな身近に、同志がいたなんざ思わなくてな」

そっと懐から出したマヨネーズを彼女に握らせる。涙にぬれた顔で女が俺を見上げた。その瞳は先ほどまでの殺意は宿っておらず、むしろ、親しい仲間に向けられるような熱のこもったものだった。




End

120505

title:DOGOD69