負けず嫌い
リョーマもなまえも両想いなのは火を見るより明らかなのに、素直じゃないからどちらも言葉にしなかった。テニス部員はやきもきしながら二人のことを見守っていたが、とうとう堪えきれずに強硬手段をとった。
部活が休みの日、みんなで遊ぼうとリョーマを呼び出し、何人かの女子も誘った。その中にはなまえもいた。彼女は最初リョーマがいると聞いて渋ったが、周りからの勢いに押され了承した。リョーマも休日は寝て過ごしたいと主張したが、こちらは部長命令により難なく解決した。
しかし当日、二人が待ち合わせ場所の公園についても、他のメンバーは誰一人として現れない。リョーマはあくびをしながらベンチに座って時間をつぶしていたけれど、なまえは気が気じゃなかった。そわそわしながら何度も携帯の時刻を確認し、十分程で痺れを切らして言い出しっぺの桃城にメールをした。しばらくして返ってきたメールには「中止になったの言ってなかったけ?」という非情な言葉が記されていた。呆気に取られた彼女が電話をすると、桃城が笑いを堪えたような声で出た。
「ちょっと桃城、聞いてないよ。どういうこと?」
『悪ィな、連絡網まわんなかったみたいだ』
「あんた……わざとでしょ?」
『ンなことするわけねーだろ?でもせっかくだから、可愛い後輩のこと遊びに連れてってやったら?』
軽い調子の桃城になまえが罵詈雑言を浴びせようとした時、通話は切られた。もう一度かけ直そうとしたけれど、彼女は思いとどまって携帯をしまう。振り返ると、ベンチにうつむきがちに座るリョーマと視線がかち合った。「桃先輩どうしたって?」彼が問いかけ、彼女は詰まる。
「……なんか、ナシになったみたいだよ」
「はあ?……人の休日つぶしといて、何してんだあの人たち」
「そういうわけだから、……帰ろうか?」
提案は少しだけ弱々しくなった。リョーマが帽子のつばを持ち上げ、彼女に窺うような視線を向ける。
「別に、帰んなくてもいいじゃん」
立ち上がりながら言った彼の言葉になまえは耳を疑った。
「二人で遊びいくの?」
「そ。だってせっかくの休日に早起きさせられて、ただ帰るの馬鹿みたいッスよ」
「そりゃそうだけど……。って、早起きでもないでしょ。待ち合わせ十一時だよ?」
「どうする?どっか行きたいとこある?」
リョーマに問いかけられて、彼女は思案した。悩んだ末に「本屋」とだけ呟くと、げんなりしたような表情が返される。彼女は無類の本好きだったけれど、彼は全く読書に興味がなかった。
「本屋とか色気なさすぎッスよ」
不満げに言いながらも彼が歩き出す。公園を出て行こうとする後姿に、「どこいくの?」と問いかけると、呆れたような顔が振り返った。
「本屋、行くんでしょ?」
「だって嫌そうだったじゃない」
「いーよ。あんたが行きたいとこ行こう」
促すように顎を出したリョーマ。彼女はその言葉に不覚にもときめいた。黙って彼の後を追って横に並べば、歩調を合わせてくれる。
しばらく二人は無言でいたけれど、大通りから狭い道に入るとき、彼が「あ」と小さな声を漏らした。何事かと彼女が視線を送ると、彼女の肩を掴んで先ほどまでと反対の方へと並ばせる。その意図を問いかけようとした時に車が傍らを通り抜け、彼女はリョーマが車道側を歩こうとしていることに気付いた。
「……そんなこと後輩が気遣うもんじゃないよ」
「……ていうかさ、もうハッキリさせましょう」
リョーマの声色が少しだけ低くなる。なまえが横を見ると少しだけ下方にある目が鋭く射抜いていた。
「今日みたいなこと先輩たちにされるの迷惑じゃないッスか?外野に口出されるのって面倒だし、俺たちの間で解決しちゃいましょうよ」
「……何を?」
「だから、そうやってとぼけんのやめにしましょうって」
なまえの心音がどんどん速まっていく。のどが渇いて、たまらずに彼から視線を外した。
リョーマはこの中途半端な二人の関係に決着をつけようとしていた。それほど貴重な休日を潰されたのが腹立たしかったのだ。
「さっさと告白したらどうッスか」
「は、はぁ?そっちが……言ってよ」
「やですよ。だって、先に惚れたのそっちでしょ?」
「そんなの、わかんないじゃん!越前が先かもしんないじゃん!」
リョーマの負けず嫌いは言わずもがな、なまえもなかなかの意地っ張りで、互いが告白を躊躇している理由はここにあった。惚れたもん負けという言葉があるが、彼らは文字通り負けるのが嫌だったのだ。
「私は別に……言わなくても困らないもん。こうやって周りにお節介やかれても平気。嫌ならそっちが言えばいいでしょ」
「……本当に困らない?」
「うん」
「……ふ〜ん」
いつの間にか二人の歩みは止まっていて、狭い道の歩道で睨み合っていた。
「だいたい越前は勝ち負けにこだわりすぎなんだよ。ちょっとぐらい女性を尊重すること、学びなさいよ」
「そっちだってプライドが邪魔して言えないくせに」
「どうせ身長だって歳だって私に勝てないんだから、細かいこと気にするのやめなよ」
なまえの言葉にリョーマの目の色が変わった。素早く腕が伸びてきて、彼女は彼の怒りに触れたことを瞬時に悟った。腕を掴まれたと思うとそのまま押され、背中が建物の壁に触れる。途端に冷静になって、自分たちが人気のない路地裏にいることに気付いた。
リョーマは自分より少しだけ身長の高いなまえを睨みあげた。帽子が陽の光を遮っていて、余計に怒っているように見えた。彼女は恐怖から腕を振りほどこうとするけれど、びくともしない。年下に威圧されていることが、彼女を混乱させた。
「越前、な、なにを」
「あんまり、子供扱いしないでくださいよ」
「だって、年下でしょ」
「……ほら、それがムカツク」
彼の顔が接近したのに気付き、身構えるように体を縮めた。なまえは目をつぶろうとしたのに、近づいてくる彼から目が逸らせなかった。ただ息をとめて時が過ぎるのを待っていると、唇同士が触れそうになったところでリョーマがため息を吐いた。二人の距離が開き、彼は空いている方の手で自分の帽子を取ると、彼女の頭に乗せた。
「俺、負けず嫌いだけど、気も長くないんスよ」
気付けば腕も解放されていた。壁に寄りかかったまま背を向けたリョーマを見つめていて、なまえは自分が未だに息を止めていることを思いだした。慌てて呼吸を再開すると、彼が振り返る。その目はテニスをしている時みたいな真っ直ぐさがあった。
「年齢は抜かせないけど、身長は抜かします。そんで、その時は俺から言ってやってもいいッスよ」
リョーマはそれだけ言うと、何事もなかったかのようにまた道を歩き出した。彼女はそれを見送りそうになるが、彼が角を曲がろうとしたところでようやく我に返る。慌てて走って追いかけると、彼が足を止めて待っていた。
「遅い。本屋、行くんでしょ?」
「……う、うん」
いつもと何ら変わりないリョーマに、なまえは一瞬、先ほどの彼の言葉が何かの聞き間違いだったのではないかと考えた。だけど、さっきまで押さえつけられていた腕に残る温もりは確かで、彼女自身の心臓も、早鐘のように脈打っていた。
「牛乳、飲むの?」
「……にゃろう。別に牛乳飲んでも飲まなくても、身長は伸びるし」
ふてくされたように彼が答えるのを聞いて、先程のやり取りが幻ではないことを知った。
卒業までには追い越してくれるだろうか、と彼女は頭の中で未来を描き、にやけそうになる表情を隠すために帽子を深くかぶり直した。
End
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