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おこがましいですよね、神様




「見てちょうだい、とても強そうなモンスターがいるわ!」

嬉々として私の背中を叩き付ける彼女の姿はそこらにいる娘と大差なく、一国の姫とは到底おもえなかった。

彼女曰く城での生活はとても退屈で、自分の部屋の壁を蹴破ってでも逃げ出したくなるものらしい。アリーナさんは世界を知り、自分の力がどこまで通用するか試すため、家臣のクリフトさんとブライさんを連れて旅をしている。

私はそんな自由で強い意志をもった彼女に憧れたしがない町娘だ。色々あって困っていたところを助けてもらい恩を強く感じた。何か恩返しがしたくて、でも、財産のない私は先を急ぐ彼女らへすぐに渡せるものがなかった。無理を承知で旅への同行を願い出たら、「人数は多い方が楽しい」などという安易な理由で許可が下りた。

恩を返す方法が見つかるまでせめて足手まといにならないよう、ブライさんに攻撃魔法を、クリフトさんに回復魔法を教わることにした。体力に自信がなかった私は、早々にアリーナさんのような武闘派になることを諦めた。幸い、先祖に魔法使いがいたので、素質はあったらしい。簡単な呪文なら使いこなせるようになったので、戦闘でも足を引っ張るということはなくなった。

それでも平凡な人生を歩んできた私にとって、モンスターとの戦いは恐怖でしかなかった。だから、こうして戦闘を喜ぶ彼女の気持ちは全く理解できなかった。アリーナさんのようになりたいと願う一方で、それが絶対に不可能であることはちゃんと分かっていた。私は臆病で脆弱な、物語の主人公にあこがれるただの脇役だった。

「姫様、あれはトロルですぞ。我々のレベルでは勝機はないでしょう」

冷静に言葉を返したブライさんに、アリーナさんは露骨に不愉快な表情を見せた。「やってみなきゃ分からないじゃない」と、手首を念入りに鳴らし始めた彼女が戦闘を始める気なのは明らかだった。こうなるともう誰にも止めることができないのだ。諦めのため息を吐き出すブライさんの横で、クリフトさんが強い意志のこもった瞳でトロルを見据えていた。何があっても姫様だけは守る、そんなつぶやきが聞こえた気がした。

クリフトさんがアリーナさんに特別な感情を抱いていることは、当のアリーナさん以外、大抵の者が知っていた。決して鋭い方ではない私でさえ、彼等と一緒に旅をするようになってわずか数時間でその事実に気付いたのだから間違いないだろう。神に仕える神官が、国の姫君に想いを寄せるなんて、ちょっとした悲劇だ。本人も重々承知しているようで、アリーナさんとどうこうなりたいだとか、そういった類の話を誰かにすることは一切なかった。周りがからかいの言葉をかけてみても、顔を真っ赤にして口を噤む。そのくせ彼女を映す瞳は我が子を見つめる母親のように愛に満ちているから、見ているこっちが切なくなってしまうのだ。

「行くわよ!」

弾けるように走り出したアリーナさんは、正面からトロルに飛び込んだ。私だったら背後から接近して、少しでも不意をつく努力をする。彼女のストレートさを目にするたび、自分という存在がちっぽけに思えて情けなくなるのだ。

トロルは当然、すぐに私たちの存在に気付いた。大きな体を重たそうに動かして、頭の悪そうな顔でこちらを見下ろす。アリーナさんが先手必勝とばかりに蹴りを叩きこむと、低いうめき声をもらし、その目に怒りを浮かべた。

「姫様、狙われます!離れてください!」

「大丈夫よ!」

クリフトさんの心配を一蹴した彼女はトロルへと続けざまに蹴りを繰り出し、その手ごたえに喜び震えていた。私はというと少しでも皆の防御力が上がるように防御呪文を唱えていた。どこまでも受け身な戦い方だ。

ブライさんも何度か攻撃呪文を放ち、クリフトさんも彼女をサポートするようにトロルを攻撃していた。しかし、やはりトロルはそこらのモンスターより強いらしく、なかなか倒れない。素早い動きでトロルを翻弄するアリーナさんにも少しだけ疲れの色が見えた。何かの弾みに彼女の動きが緩んで、その瞬間を見計らったように、トロルが棍棒を薙ぎ払った。

「姫様!」

トロルの攻撃はアリーナさんの肩にぶつかった。彼女は勢いよく吹き飛んだけれど怪我自体は大したことなかったようで、すぐに起き上がって攻撃を再開しようとした。勢いをつけるために一度トロルから距離をとって、助走のために身構えている。そんなアリーナさんの姿を見て、ブライさんは安心したようだった。彼は早々に攻撃呪文の詠唱に戻ったけれど、クリフトさんは違った。

トロルとアリーナさんの間に入ったクリフトさんは、あろうことかトロルに背を向けた。いつもよりずっと早口で回復呪文を詠唱する彼は、自分の背後にまったく注意を向けていなかった。気合いをためているアリーナさんも、攻撃呪文の詠唱中のブライさんも気付いていない。クリフトさんの背後で棍棒を振りかぶるトロルを見ているのは私だけだった。

いつだってクリフトさんはそうなのだ。アリーナさんが小さな擦り傷を負っただけで冷静さを失う。いつもは的確に下せるはずの判断ができなくなってしまう。例え誰かが瀕死の時であろうと、アリーナさんが怪我さえ負えば、彼女を優先する。彼の中ではいつだってアリーナさんが絶対的存在で、私は、彼の中のそんなポジションにいられる彼女のことが、どうしようもなくうらやましかった。ヒーローみたいにカッコいいくせに、ヒロインのように彼に愛される彼女みたいに、なりたかった。

アリーナさんみたいな行動力と勇気があれば、クリフトさんの視界に映ることができたかもしれない。

「クリフトさん……!!」

あんなに大きな怪物が力いっぱい棍棒を振り下ろそうとしているところに飛び込むなんて、正気の沙汰ではない。でもきっとアリーナさんならできるだろうし、クリフトさんだってアリーナさんを守るためなら喜んでやるだろう。気付いた時には私は地面を蹴っていて、次の瞬間にはクリフトさんを巻き込んで地面に転がっていた。さっきまでクリフトさんがいたところには、ぽっかりと隕石が落ちたみたいな窪みができていた。棍棒をゆっくり持ち上げたトロルが、そこに潰れたクリフトさんがいないか探しているようだった。気合いを入れ直していたはずのアリーナさんも、さすがに呆気にとられているようだった。

何が起きたか理解できていないらしいクリフトさんの腕をとり、私は立ち上がった。くじいた足がいたんだけれど、気にしている場合じゃない。ブライさんの攻撃呪文が発動し、トロルの足元を氷が覆う。

「逃げましょう!」

私が今までにない大声で言うと、絶対に反対すると思っていたアリーナさんが頷いてくれた。氷で足を地面に縫い付けられたトロルは、一目散に駆け出した私たちをぼんやり見つめていた。










トロルが見えないところまでくると、ブライさんが足を止めて呼吸を整え始めた。私も止まろうとしたら、足がもつれて躓いた。転ぶ寸前でクリフトさんが手を伸ばし、引き留めてくれた。片腕に抱きかかえられ「大丈夫ですか?」と彼が問う。息も絶え絶えに頷くと、彼は私を支えた腕を徐々に低くしていった。座るように促されているのだと理解し、私は素直に腰を下ろした。

「あー悔しい!あとちょっとだったのに、惜しかったわー」

明るい声で言ったアリーナさはちっとも悔しそうじゃなく、強い敵に挑めたこと自体を楽しんでいるようだった。クリフトさんはそんな彼女の姿をとても優しい眼差しで見つめていた。地面にへたり込んだ状態でそれを見上げていた私は、どうしようもなく悲しい気持ちになった。

いつものように回復呪文を唱え始めた彼を見て、ああ、さっき私が中断させてしまったからかと罪悪感を覚える。アリーナさんの肩ににじむ赤をぼんやり見つめていると、不意に目の前が白い光に包まれた。それは、回復呪文を受けたとき特有の光景だったので、私はとても驚いた。

光が収まるころに彼を見上げると、クリフトさんがこちらを真っ直ぐ見つめていた。その表情は穏やかだけれど、何か物言いたげな感じに私の目に映った。「どうして」と、私が聞くのと、アリーナさんが回復呪文に包まれるのはほとんど同時だった。彼女の傷がみるみる消えていく。

「姫様よりあなたの脚の方が重傷だったからですよ」

当然でしょう、と付け足すクリフトさんに、ブライさんが目を丸くしているのが分かった。いつ、どんな時でもアリーナさん優先で回復する彼のセリフとは到底おもえなかった。

戸惑いつつも礼を述べると、クリフトさんが片膝を地面につく。座ったままの私と、視線の高さを合わせたようだった。真剣な眼差しを向けられて、内臓が一度縮こまった気がした。

「先ほどはわたしの油断で申し訳ありません。大変助かりました」

そこで一度言葉を切って、クリフトさんが視線を落とす。その目線の先を追って、私は自分の服の裾が破れていることに気付いた。回復呪文でも壊れたものを以前の形に修復することはできない。先ほど受けた攻撃の名残を目の当たりにして、恐怖を思いだし身震いした。

「――ですが、あなたは戦士でも武闘家でもないのだから、今後あのような無茶なことはしないでください」

「だって……」

「あなたは誰よりも守備力が低いのだから、もっと気を付けて頂かないと」

責めるようなクリフトさんの言葉に、胸が締め付けられた。彼が私のことを心配してくれているのは分かるのだけれど、強い否定に涙がにじんだ。せめて滴がこぼれ落ちないように必死で堪えていたけれど、目がうるんでいることはみんなにも分かってしまっただろう。アリーナさんが目に見えて動揺し、ブライさんがクリフトさんを止めようと、彼の肩に手を置いた。

「クリフト、言いすぎじゃ」

「そうよ。この子はあなたのこと助けるために――」

「すみません、姫様、ブライ様。少々彼女と二人にさせてください」

彼にしては珍しい、有無を言わさぬ口調だった。アリーナさんもブライさんも、互いに顔を見合わせると、困ったように眉を寄せた。やがてアリーナさんが「じゃあ、そこらへんで薬草でも摘んでるから」とだけ言って、身を翻す。私はただ俯いて、三人の声だけを聞いていた。

やがて二つ分の足音が遠のいて、クリフトさんと私だけが残される。なんとか涙をひっこめようとする努力を続けていると、クリフトさんが私の名前を呼んだ。びっくりして、反射的に顔をあげると、不覚にも涙が頬を伝ってしまった。クリフトさんが気まずそうな顔をするのが見えた。慌てて手の甲で拭うけれど、「赤くなってしまいますよ」と手を掴まれる。

「あなたがこんな行動に出た理由は分かります」

「……」

「恐らく姫様のようになりたかったんでしょう?」

言い当てられたことに心臓が脈打った。どうして分かったんですか、とか細い声で問いかけると、「見ていれば分かります」と即答された。アリーナさんのことしか眼中にないと思ったのに、私のことも見ていてくれたのかと驚いた。ぼんやりと彼を見つめていると、クリフトさんが一つ咳払いをした。先ほどとった私の手に反対の手を添えて、両手で包み込むように握りしめてきた。

「確かに姫様は驚くほどに強いです。ひたむきで情熱的だし、堂々とした振る舞いはとても魅力的です」

クリフトさんがアリーナさんを褒める言葉には熱が入っていて、何故だか私は息苦しくなった。また少しだけ俯くと、ぐいと両手をひかれて意識を戻される。真っ直ぐぶつかりあった視線が、私を吸い寄せた。

「ですが、あなたにはあなたの良さがあります」

はっきりとした口調で言われ、一瞬、何を言われたのか分からなかった。茫然としている私に、クリフトさんは至極真面目な表情で続ける。

「あなたはとても賢明で、慎重だ。周りが良く見えているから、機転がきく。それは姫様にはない、あなたの魅力です。何も、無理に姫様に合わせることはないのです」

アリーナさんの魅力を語った時と同じぐらい、彼の言葉は熱っぽかった。あり得もしないのに、口説かれているような錯覚に陥って、体温が上昇した。しどろもどろに礼を述べると、クリフトさんは立ち上がる。離れた手の温もりを寂しく思いながらも、私は立ち上がった。足の痛みはすっかり消えているのに、真っ直ぐ立つことが困難だった。

「あなたにはあなたの戦い方があります。旅はまだまだ長いのですから、ゆっくりご自分でお探しになってください」

穏やかに笑ったクリフトさんが、励ますように私の頭を撫でた。その行動も、かけられた言葉もどうしようもなく温かくて、私の胸はいっぱいになった。

「あ、ありがとうございます」

「いえ。……姫様とブライ様を呼んで参りますね」

遠くに見えるアリーナさんたちに向かって駆け出した彼の背中を見送りながら、自分の胸元に手を置いた。鼓動がやけにうるさくて、自分の感情の変化に気づく。

例え旅が終わってしまっても彼の傍にずっといたいと、強く願う自分を感じ、私はきっとこれから、この報われない想いを抱いていかなければいけないのだろうと直感した。




End

121219