無限ループ | ナノ
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名前も知らない花を折って怪物強盗の墓に添えた。吾代さんが即席で作ったものだったけれど、中々立派なものだった。

弥子ちゃんは何かを決意したような真っ直ぐな瞳で、暫くその墓を見下ろしていた。けれど、最後に滲んだ涙を拭って短く息を吐き出した。その表情にもう、迷いは無い。

「みょうじさん」

ぼんやりと見つめていたら、弥子ちゃんが不意に振り返って視線がぶつかった。

凛とした佇まいなのに柔らかな笑顔。とても彼女らしいと思った。

「ここまで一緒にきてくれてありがとうございました。笹塚さん、きっと最後にみょうじさんに会えて、良かったと思う」

「お礼を言うのは私だよ。私をこの場所に連れてきてくれて、本当にありがとう」

心からの感謝だった。この場にいるべきではなかったはずの私を許してくれた、脳噛さんと弥子ちゃん。二人の優しさを今さら感じて胸の奥が温まった。

「それに……さっきの言葉も」

『綺麗事の何が悪い』、か。思い出して呟くと、弥子ちゃんにも伝わったのか益々笑みを強めた。

私はいつの間にか、卑屈になってた。自分の殻に閉じこもって、成長できない事にばかり焦って。

ここまで支えてくれた皆のことだって忘れてた。

それに気づかせてくれたのが、弥子ちゃんだった。

彼女につられるように笑顔を浮かべると、吾代さんも安心したように微笑むのが分かった。

満足、してしまった。





「――そうだ、ネウロを助けなきゃ」

思い出したように彼女が呟いた。その唐突な言葉を私は一瞬理解できなかった。

脳噛さんとシックスが飛んで行った方を見上げる。当然の様に、エンジン音も何も聞こえなかった。

「助けるって……、どうするの?」

「……分かりません。でも、あのジェット機の場所さえ分かれば、……そうだ!」

何か思いついたように彼女が取り出したのは携帯電話だった。その行動の意味が分からずただ見守っていると、吾代さんも同じだったらしく問い掛ける。

「なあ探偵。どうやって助けるんだよ」

「匪口さんに――警察の人に連絡しようと思って」

途端に跳ねあがった心臓はひどく正直だ。背中を冷や汗が伝う。浮かんだ少年の顔に、蘇った記憶。

私は彼に会わせる顔がない。

「匪口さんならネウロの正体だって知ってるし、力になってくれるはず!――あ、もしもし!?」

匪口が電話にでたらしい。携帯に意識を戻して私達に背を向けた弥子ちゃん。吾代さんは匪口の事を知らなかったのか、曖昧な返事をしただけだった。

私は脈打つ心臓を感じていた。これ以上、この場にはいられないことを理解する。

二人に気づかれない様に、一歩、また一歩と後ずさった。弥子ちゃんが電話に、吾代さんが弥子ちゃんに夢中になっている今しかチャンスは無い。

「あっ、そうだ!みょうじさんもいるよ!」

突然上がった自分の名前に全身に冷や水を浴びせられたような気がした。同時にこちらを振り返った弥子ちゃんが、離れた場所にいる私に気づいたようで、目を見開く。

「みょうじさん?」

「……!」

私はその呼びかけに答えることなく身を翻した。吾代さんの驚きの声が背後で聞こえたけれど、気にせず走りだす。

木の合間を縫うように我武者羅に駆けて行けば、次第に二人の声は遠のいた。

何度も転びそうになりながら、私はひたすらに走り続ける。頭の中にあるのは、ただこの場から離れなければならないという思いだけだった。










やがて息も切れ、私は森の中を歩いていた。行く場所もあてもなく、ただ放浪する。

時折聞こえる生き物の鳴き声が不気味だった。木の根に足をとられそうになりながらも、疲れた足を労わる事もしない。

どれぐらい経っただろうか。弥子ちゃんも吾代さんも、追い掛けて来る気配は無かった。それに安堵しつつ、どこか不安を感じている自分がいる。

「……っ!」

不意に、視界が開けた。足元に地面が無い事に気づいて息を呑む。

崖だった。むき出しになった岩場と、広がる緑色。思わず見惚れてしまうような絶景だった。私は足を踏み外しそうになったにも関わらず、全く恐怖を感じていなかった。

「なんか、満足しちゃったなあ……」

思わず零れた独り言は木々のざわめきにかき消された。身を乗り出して崖の下を覗き込むと、眩暈。高さも環境もまるで違うのに、八年前の事件の後に自宅のベランダから見下ろした街の景色を思い出した。

怖くなんかない。両親も笹塚さんも向こう側に居ると思うと、不思議と心が満たされてゆく。

笹塚さんの笑顔が見れた。

それだけで、十分すぎる。



瞬間、突風が吹き抜けた。神様なんて会った事も無いし、この年で信じてなんかいない。でも、思し召しじゃないかと疑うほどのタイミングだった。

私はその神風に後押しされるように全身の力を抜き、傾く視界を最後に瞼を下ろした。

けれどその時、背後で煩いぐらいの足音が聞こえた。それから重力に逆らうように浮いた私の体。気づけば地面の上に転がっていた。一瞬の出来事だった。

混乱したまま上体を起こすと、隣で荒い呼吸を繰り返しているのは見慣れた少年だった。地面に蹲って、細い体を震わしている。鮮やかな緑色が、この景色に溶け込んでしまいそうだと思った。

「……ひ、匪口」

掠れた声でその名を呼ぶと、荒い呼吸が一度止んだ。地面に四つん這いになったまま、彼がこちらを見た。長い前髪の隙間から覗いた瞳が鋭く私を射抜く。

匪口が体を起こした。地面に膝立ちした私達は自然と向き合う形になる。何も言えずにただ固まっていると、突然渇いた音が耳元で響いた。匪口を見つめていたはずなのに、気づけば地面を見ていた。左頬にじわりと広がる痛み。私は手を添えて、熱を持ったそこを確認する。

「……あー、痛い。叩く方も痛いんだね、これ」

やっとの思いで顔を上げると、普段と変わらない軽い口調で匪口が言った。まだ荒い呼吸を繰り返す彼の表情は、言葉とは裏腹に真剣だった。

「らしくないことしちゃった」

脱力した右手を振る彼を見て、漸く平手打ちされた事に気づいた。理解した途端にますます痛みだした左頬。そこで私はやっと、以前同じように匪口を叩いたのを思い出した。電子ドラッグから解放された彼を、どこかの倉庫内で。

ただ固まっていると、不意に彼の表情が崩れた。苦しげに歪められた顔に、心臓が跳ねあがる。何か言わなければと狼狽しかけたところで二本の腕が伸びてきた。反射的に身構えた私を、彼は殴らなかった。思い切り抱きしめられ、背中が反った。突然の出来事に私は息を呑む。

「みんな……心配してたんだよ!?笹塚さんみたいに消えちゃうんじゃないかって……っ。案の定こんなところで、……何やってんのさ!?」

どんどん腕に込められる力。彼の肩口に押し付けられて、息ができない。

でも、温もりが心地良い。身を捩れば解放してくれるのだろうけど、身じろぎ一つする気にもならなかった。

「桂木が気づくの遅かったら……、俺が見つけらんなかったら……あんた、死んでたんだよ!?」

不意に両肩を掴まれ突き放された。ぶつかる視線。匪口の瞳が潤んでいるように思えた。

吹き抜けた風は、先程と何ら変わらない。神風なんて、どうして思ったのだろう。

「匪口」

気づけば私は自分から彼の胸に飛び込んでいた。驚きに身を固めた彼だったけど、やがてまた先程のように背中に回された腕。

彼の服の緑が滲むのを感じた。出口を求めて溢れだす涙。一つ零れたら止まらない。次々に生まれる滴が彼の服に吸い込まれてゆく。私はいつの間にか、声を上げて泣きじゃくっていた。

「……みょうじまで、いなくなんないでよ」

呟くように匪口が言った。宥める様に背中を擦る手はやけに骨ばっていた。

「笹塚さんに、俺達が怒られちゃう、よ」

その名を聞いた途端、ますます涙は制御を失った。頭の中が真っ白になるぐらいに鳴き叫んで、私は彼の服に縋りついた。



右腕が痛い。頬も痛い。

私は、生きてるんだ。