無限ループ | ナノ
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「あれ……?」

返事が無い事を訝しみながら、もう一度ノックを繰り返してみた。けれど、その扉一枚隔てた向こう側は変わらず静まり返っていて、誰かが居る気配はまるで無かった。更にノックする力を強めてみるけれど、意味は無い。薄暗い通路に虚しく音が反響するばかりだった。

「おかしーな……」

誰もいないのだろうか。私はため息を零してから、扉に貼り付けられた看板の文字を指でなぞる。『桂木弥子魔界探偵事務所』の文字が、白地にくっきりと浮かび上がっていた。魔界って……。どう考えても脳噛さんの趣味だよね。何もこんな胡散臭い名前にしなくても良かったんじゃないかな……。

失礼な事を考えながら、私は携帯電話を取り出した。弥子ちゃんに電話をかけて見ようかと思ったけれど、仕事で出掛けているのなら迷惑になってしまうかもしれない。

笹塚さんから『狸屋の件の調書をまとめる為に、弥子ちゃんに話を聞いてこい』と言われたのだけれど、それほど急ぎの用でもないし、また時間を置いて出直そう。

看板をなぞっていた手をひっこめる。取りあえず本庁に戻ろうと身を翻すと、軽快なベルの音が響いた。それにつられて顔を上げた私の目に映ったのは、ちょうど正面のエレベーターが開くところだった。

足を止めてそれをぼんやりと見つめていると、エレベーターから降りてきたのは、酷く人相の悪い男だった。いかにもな外見に思わず怯んで半歩下がってしまう。すると男が此方に気づき、思い切り眉根を寄せた。眉間に刻まれた深い皺に、ますます恐怖心が膨らんだ。

「……客か?」

「えっ」

てっきり絡まれると思っていた私は拍子抜けした。男がもう一度、「探偵の客か」と問い掛ける。私はその質問の意味を漸く理解し、頭を思い切り横に振った。

「あ、あの。私警察で――」

「あァ!?」

「ひっ」

低い唸るような声で威嚇されて、悲鳴が零れた。身構える様にもう一歩下がると、男が不機嫌そうな顔で私を観察する。

「……おまわりが何の用だよ」

「や……狸屋の、調書、で、ちょっとお話を……」

「狸屋?」

しどろもどろな私を訝しげに睨んでいた男だったけれど、狸屋と言う単語を聞いた途端に目を見開いた。何か気に障る事でも言ってしまったのかと身を竦めたのだが、男は納得した様に数度頷いただけだった。

「ああ……お前、そういや笹塚のヤローの周りをうろついてた……」

「え」

笹塚さんの名前が出た事に、自分の脳が反応したのが分かった。そして同時に、既視感を覚える。

狸屋という言葉を脳内で繰り返しながら、改めて男のことを上から下まで眺めた。金色の短髪に、派手な色のシャツ。口元に開けられた二つのピアス。つい最近、彼を見かけたのを思い出す。その瞬間、全ての記憶が繋がった。

「……あ、あなた!えっと……情報会社の!」

「ああ」

「犯人逮捕に協力して下さった方ですよね!その節はお世話になりました!」

深々と頭を下げると、男の人は居心地悪そうに視線を外した。見た目より悪い人じゃないのかもしれないと、直観する。

私は取りあえず東京湾に沈められる事はなさそうだと安堵した。緊張が解けたことから力が緩んで締まりのない笑顔を浮かべていると、男が思い出したように話を戻す。

「……探偵なら今いないぜ」

「え?」

「助手と一緒に旅行だとよ」

「えええ!」

弥子ちゃんが脳噛さんと、旅行……!?それって色々とヤバいんじゃ……。

いつも振りまわされている彼女の姿を思い出して、血の気が失せるのを感じた。目の前の男に弥子ちゃんを助けてあげて欲しいと口を開きかけたけれど、すんでの所で思いとどまった。脳噛さんの本性をしらない人に何を言ったって無駄だろう。私には、弥子ちゃんの安全を祈ることしかできないようだ。

「……二人はいつ、帰ってくるんです?」

「あァ?明日だよ」

一泊二日か……。それならまだマシかな。

安堵の息を吐き出す私を、男が不審な目で見据えているのに気付き、慌てて笑顔を取りつくろった。

彼に言ったところできっと、脳噛さんの危険性は理解できないだろう。まあ、言ってしまったら私の命が危ないのだけれど。

「……で、どうするよ。その調書とやらは」

「あー……ええっと」

いつの間にか男が数歩歩み寄っていたために、目の前で見下ろされている形になっていた。ただでさえ強面の彼に、高い位置から見下ろされて、余計に恐怖心が膨れた。私は静かに視線を外してエレベーターを見つめる。

「……出直します。色々と有難うございました」

この男に話を聞いて、調書を纏めてしまうのも有りだと思った。でも、こんな誰もいない所で、彼と二人っきりで向き合うのには少しばかり勇気が足りなかった。愛想笑いを浮かべて逃げる様にエレベーターへと駆け寄り、男が乗って来たまま留まっていたそこに乗り込む。

「さようなら〜……」

「……」

扉の閉まる直前、不機嫌そうな彼の顔が目に映った。笹塚さんと口論していた時の様な、やけに険しい表情。

やっぱり関わらなくて良かった。私は狭いエレベーターの中で、深く息を吐き出した。





危【きけん】





「って訳で調書は書けません」

「……」

早速本庁に戻って報告したら、無言で笹塚さんにげんこつを落とされた。あまりの痛さに声も出せずに悶絶していると、近くで様子を見ていた石垣さんが馬鹿にするように笑った。

「まともに調書も書けないなんて、まだまだだなぁ!新人!」

「石垣さんに言われたくない……!ていうか本当に痛い!笹塚さん手加減なしですね!」

「……。もう調書は後回しでいいから。取りあえず出るぞ」

「えっ!?事件か何かですか」

「そう。今さっき連絡あった」

どうやら私が戻るのを待っていたらしい。笹塚さんは立ち上がると石垣さんに車を回す様にと指示した。素直に従い走り去った彼の背中をぼんやりと見つめていると、どこか複雑な表情をした笹塚さんが自身の首の裏をかきだした。

「?……笹塚さん、どうしました?」

「……いや」

なんでもない、と続けて彼が煙草に火をつける。すぐに煙が昇り始めて、私の鼻をいつもの匂いが掠めた。喫煙者はあまり好きじゃないのだけれど、笹塚さんの香りは嫌いじゃないから不思議だ。

「弥子ちゃんと助手って……年齢的にどうなんだろうって思ってな」

「へ……」

呟く様な声だったので、危うく聞き逃すところだった。ぼんやりと立ち昇る煙を目で追っていた私は、彼に視線を向ける。

「助手の……ネウロってさ。いくつなんだろうな。二十代?ぐらいか」

「え……どうなんでしょう。考えた事もありませんでした……」

笹塚さんの言葉に変に緊張する自分を感じた。確かに……世間一般で見たら、あの二人の関係は謎である。

弥子ちゃんが女子高生である以上、万が一手を出してしまった場合、明らかに成人している脳噛さんは犯罪者だ。

「まずくないか」

「えー……そ、そうですね」

「……ちょっと注意しとくか」

ぼそりと呟いて、笹塚さんがため息を吐き出した。余計な事を言ってしまったと、私は内心冷や汗ものだった。

笹塚さんは変なところで真面目だから……。というか、弥子ちゃんに関して?まるで父親の様だな、なんて頭の片隅で考える。

「……あー、でも良いですよねえ」

「……?」

慌てて話を逸らそうと、私は咄嗟に声を大きくして微笑んだ。唐突な言葉に笹塚さんが訝しむ様な視線を私に向ける。

ちょうどその時だった。私達の前に石垣さんの乗った車が止まったのは。黙って助手席に乗り込んだ笹塚さんを確認してから、私は後部座席へと乗り込む。

「何がいいの」

笹塚さんが煙草を携帯灰皿に押し込みながら問い掛ける。此方を見もせずに言ったので、話の流れを理解していない石垣さんはきょとんとしていた。

「旅行ですよ、旅行。私ものんびりしたいなーって」

動き出した窓の外の景色を眺めながら彼の質問に答える。笹塚さんが呆れた様なため息を吐き出したのが聞こえた。

石垣さんは先程の話が未だに続いていた事を理解したのか、納得した様に私に続く。

「ああー、いいよなあ。俺も疲れた体をどっかでゆっくり癒したいなぁ」

「……お前らは常にのんびりゆっくりしてるだろ」

笹塚さんの疲れ切ったような声が車に響いた。全然仕事してないくせに、なんで疲れるんだよ。暗にそう言われているのが分かった。石垣さんは気づいていないようだったけれど。

「ねえねえ笹塚さん!」

「…………何」

後部座席から身を乗り出して、助手席の笹塚さんを覗き込む。いつも通り濃い隈のある淀んだ瞳が私を見下ろした。

「旅行行きましょうよ!二人で!」

「石垣と行け」

「え!?」

視線を外し、突き出していた私の顔に手を置いたかと思うと力いっぱい押し戻される。「危ないからちゃんと座ってろ」だなんて子供扱い。正直ショックだったけれど、大人しく腰を下ろした。

「俺こんなやつ嫌っすよ〜!そんなんだったら俺だって先輩と旅行行きたいッス!」

「私だって石垣さんは願い下げです!笹塚さん、一緒に行きましょうよ〜」

気だるげなため息を吐き出した笹塚さん。ぎゃあぎゃあ騒ぐ石垣さんと私なんてお構いなしに、窓の外をぼんやり見つめ出してしまった。

まるで相手にされていないことが悲しくて、私は笹塚さんの座る座席にしがみ付いて大きくゆすった。けれど彼は変わらず景色を眺めたまま。虚しい。

「……みょうじ」

「は、はい!」

突然に名前を呼ばれた事に驚いてしまい、声が上ずった。こちらを振り返りもせずに、彼が続ける。

「……明日には弥子ちゃん達戻るんだろ?」

「……はい」

「また明日行ってきて」

「……はーい」

なんだ。もしかして、なんて一瞬期待してしまった自分が恥ずかしい。

未だに旅行、旅行と騒ぎ立てる石垣さんの声を聞きながら、私は口を噤んで俯いた。

また明日、私を弥子ちゃんの元へ行かせようとしているのは、きっと調書のためだけじゃないだろう。

脳噛さんとのことを気にしているんだ。

そう思ったとたんに何故か気持ちが勢いよく沈んだ。先程まで無理矢理に上げていたテンションが、見る見るうちに急降下してゆく。

そんなに心配なら、自分が会いに行けばいいのに。

とうとう石垣さんにチョップを繰り出した笹塚さんを見つめながら、私は深いため息を吐き出した。