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いつもより落ち着きのない捜査一課。張り詰めた空気を感じているのか、流石に石垣さんも大人しかった。
無理もない。あの有名な“怪物強盗XI”が、一年ぶりの犯行予告を出したのだから。
知【しる】
「あれっ、笹塚さん!」
署内に設置されている自動販売機の前に、見慣れた後ろ姿を確認した私は走り出す。名前を呼ばれた本人は何時ものように落ち着いた態度で振り返った。
「ああ、みょうじ。休憩?」
「はいっ!ひと段落ついたので、ジュースでも買おうと」
問いかける彼の前に辿り着き、威勢良く返事をした。私の答えに取りあえず満足したのか、彼はそれ以上仕事について追及する様子はなかった。
「先輩も休憩ですか?コーヒーなんて買って……」
彼の背後の自動販売機を覗きこめば、ちょうど機会ができあがりを知らせる音を立てた所だった。どうやら彼はカップに液体を注ぐタイプの自動販売機にしたらしい。
「ああ……まあな」
「ご一緒していいですか?」
「……悪ィ、ちょっと用事もあるから」
彼は私に背を向けると、コーヒーを取り出した。まさか拒絶されると思っていなかった私はショックで言葉を失い立ち尽くす。
「……どうした?」
けれど当の本人は、まったく意識していないようだった。別に嫌われているからどうこうという訳ではないらしい、と自分に都合よく解釈して、首を横に振って見せた。
「いえ!別に!今度一緒に休憩しましょう!」
「ああ。じゃあな」
湯気が立ち昇るコーヒーを手にして彼は立ち去った。去り際に私の肩を軽く叩いてくれたので、やはり杞憂に過ぎないと安堵する。
馬鹿っぽさを前面に出していかなければならないと言えど、やり過ぎて迷惑に思われるのは嫌だ。
「はあ……。ただでさえ仕事が大変なのに」
ため息交じりに呟きながら、小銭を機械に入れた。気を使う部分が多すぎて、今の生活は中々に大変だ。
しかも今は、サイのせいで仕事が多い。笹塚さんだって疲労が溜まっているのは間違いない。
缶ジュースが音を立てて下に転がった時、ふと違和感を感じた。私は振り返り、彼が消えた方向を確認する。
「……?」
笹塚さんが向かったのは、捜査一課の方角でも休憩所の方角でもない。直前に彼が『用事がある』と言っていたのも思い出し、余計に疑問が浮かぶ。
まだ仕事だってあるのに捜査一課に戻ることもせず、コーヒーを買ったくせに休憩所に向かう訳でもない。一体用事って何?
転がったままだった缶ジュースを手に取り、私は笹塚さんの向かった先へと走ってみた。見れば、彼の曲がった角の先に、プレートがかかっている。
「刑事部……?」
吸い寄せられるように、歩む。やがて一つの扉の前に来た私は、こっそりと身を隠す様に中を覗き込む。
先程見た、笹塚さんの後姿があった。それから笛吹さんと、その彼にいつも従っている大男の姿。
よくよく見れば、笛吹さんの手には先程笹塚さんが買っていたコーヒーがあった。もしかしたら笹塚さんは、最初から休憩するつもりではなかったのかもしれない。
「笹塚」
不意に、笛吹さんの凛とした声が響く。何やら話していた笹塚さんの声を遮るような言い方に、私は思わず耳を澄ます。
「捜査に私情を挟もうとしているな。君はサイに近付きたいだけだ。違うか?」
サイと言う単語に、自分の体が緊張し強張るのを感じた。今、サイに関係する捜査と言ったら、『最後の自分像』の犯行予告のことに間違いない。
けれど、笛吹さんの言う“私情”とは――。
「十年前の君の家族の事件は……確かにサイの犯行という見方が一般的だ」
確信に満ちた瞳で笛吹さんが笹塚さんを指さした。対して笹塚さんは、何も言わずに表情すら動かさない。
私は笛吹さんの言葉を聞いて唖然とする。十年前の家族の事件、サイの犯行。詳細を知らなくても、その言葉の意味を推測できない程馬鹿ではない。
笹塚さんは、家族――大切な誰かを少なくとも一人は失っている。そして、それがサイの犯行だと疑われているのなら、恐らく残虐な手口で。
暖房の効いていない廊下は冷えきっているというのに、嫌な汗が滲んだ。途端にフラッシュバックした過去の記憶に目まいがする。
両親の死体を見た私が抱いた感情。悲しみ、怒り、恐怖……とてもじゃないけれど、表せない様な混乱。
それは笹塚さんでも、きっと変わらない。
彼が自分と同じ境遇にあったことに対する驚きと、憐憫の情が膨らんだ。不条理な事件と犯人への怒りに下唇を噛みしめた刹那だった。突然開いた扉が私の横を思い切り過ぎる。風が巻き起こり、中から出てきた人物が私に気付いた様だった。
「……!君は捜査一課に配属された」
「あっ」
自分がすっかり考え込んでいて、彼らの会話が終わったことに気付けなかったのだと一瞬で理解した。咄嗟のことに何も言えずに後ずさると、笛吹さんが眼鏡の位置を直しながら私を見下す様に反り返る。
「みょうじと言ったか……?君の様な下の人間が、この刑事部に何か用か?」
「えっ……いや、あの」
言い淀む私に笛吹さんの表情はどんどん訝しげなものとなってゆく。その背後では大男が私を見下ろしていた。出来ればまだ中に居る笹塚さんに、私の存在を気づかれたくない。
「……すみません!実はちょっと迷ってました!」
急を要したとは言え、情けない言い訳だと思った。頭を勢いよく下げてから様子を窺うように見上げると、笛吹さんの表情は更に歪められていた。
「……何だと?配属されてもう一週間は経つと言うのにか?」
「……へへ」
誤魔化す様に笑って体を起こすと笛吹さんは眉間に皺を寄せた。大男はどこか刑事部の中を気にしている様だった。早くしないと笹塚さんが来てしまうかもしれない。
「あ、それじゃあ私!行きますんで!」
「待て!」
素早く方向転換した私の肩を、無理やり引きとどめた手。払いのける訳にもいかずに動きを止めて振り返ると、笛吹さんが偉そうに付け足した。
「私が連れて行ってやろう」
「え」
予想外の申し出に、私は反応できない。大男さえも驚いたように目を見開いていた。
「そ、……そんな!いいです!笛吹さんの手を煩わせるわけには……」
「いいから黙って感謝の言葉を述べろ!ほら、さっさとしろ。私は忙しいんだ!」
無理やりに背中を押され、廊下を歩くことになる。手の中の缶ジュースを取り落としそうになり、慌てて持ちこたえる。
「あ、ありがとうございます……」
「フンっ、馬鹿は建物の構造も覚えられないのか。不便だな」
よくもまあこれだけ人を苛立たせる言葉を瞬時に思いつくものだ。馬鹿なキャラクターを演じていることを忘れて思わず嫌味を返してしまいそうになる。まあ、それでも上司だからどっちにしろ何も言えないんだけど……。
笛吹さんが私の前に出て悠々と歩きだした時、大男が私の横に並んだ。少しギョッとしながらも彼を見上げれば、ちょうどこちらを見下ろしていたので視線がぶつかる。
「すみません」
「えっ……」
始めて聞いた声。驚いて声を漏らすが、彼は気にした様子もなく自分の名前を名乗った。筑紫と言うらしい。
「笛吹さんは……少し不器用な人なので」
「そ、そうなんですかー!なるほど。私も不器用だから分かります!卵も上手に割れないぐらいで……!」
「分かっていただけて良かったです」
わざとボケて種類の違う不器用を言ったのに、筑紫さんは静かに微笑んだ。だ、駄目だ。この人たちの前ではとてもやりずらい。
疲労からため息を吐き出したいのに、それすらできない。目の前で案内を続ける笛吹さんの背中を黙って追っていると、もう少しで捜査一課に辿り着くと言うとき、彼が振り返った。
「おい、みょうじ」
「はい?」
「君は笹塚の後を追って刑事部に来たのだろう?」
ストレートな質問に心臓が音を立てた。驚いて、私は目を見開く。彼の鋭い釣り目は私を捉えて動かない。
「……え?追ってなんか」
「笹塚があの時刑事部に居たことを知らない訳ではないんだな」
「……!」
「そこから否定すべきだったな。私を騙せるとでも思ったか」
得意げに笑みを浮かべた笛吹さん。言葉が紡げなくて何かに縋る様に隣りの筑紫さんを確認する。けれど彼も気づいていなかったようで、驚いたような表情を見せていた。
笛吹さんと言う人物を、私は今改めて理解した。
「すごい……ですね!」
「……当然だ」
「あーあ、ばれちゃった」
悪戯がバレた子供みたいに苦い顔で笑って見せる。あくまでも、駄目な部下のふりは止められない。
「でもつけてたって言ったら、まるでストーカーみたいじゃないですかあ。私はただちょっと笹塚さんが気になって、ふらりと後を追ってみただけですよ」
「変わらんな。……そんなことは、どうでもいい」
不意に真剣な表情を見せた笛吹さん。私は思わず唾を飲み込み喉を鳴らす。
「先程の私達の会話を聞いていたか?」
「はい」
筑紫さんの目が、少しだけ変わったような気がした。でも、口を挟むことは無いので、何が言いたいのかは分からない。
「どこから」
「えーっと……笛吹さんが笹塚さんを怒っている感じでした」
「……」
「笹塚さんヘマしちゃったんですか?後でこれネタにからかってもいいですかねっ?」
笛吹さんが言葉を止める。私のことを上から下まで観察するように眺めると、最後に目をじっと見据えてきた。
私はそれを正面から受け止める。できるだけ、笑顔。内心緊張していたけれど、おくびにも出さない。
「……フン。笹塚、部下が無能で助かったな」
「え?」
不意に口の端を上げた笛吹さん。同時に背後で足音。ハッとして振り返ると、少しだけ首を傾げた笹塚さんが立っていた。
「……別に、隠してるわけでもねーけど」
「やり難いだろう」
「まあ、な」
立ち尽くす私の横を、笛吹さんが通り過ぎる。筑紫さんは私と笹塚さんを交互に確認した後、軽く会釈をしてその後を追った。
廊下を歩く二つの足音が、遠のいてゆく。捜査一課も近いせいか、決して静かではないはずなのに、やけに音が聞こえない。
「……みょうじ」
「う、あ、はい……!」
予想外な出来ごとが続いて、声が上ずった。笹塚さんは相変わらずのポーカーフェイスで、何を考えているのかまるで分からない。
いつから後ろにいたんだろう。笛吹さん達にも笹塚さんにも尾行したこと以外はバレてないはずだけれど、妙に後ろめたい感覚が拭えなかった。
「……誰をからかうって?」
「え……?」
笹塚さんの言葉に、記憶が蘇る。先程、私が笹塚さんの過去を知ってしまったことを隠すために笛吹さんに叩いた軽口。
「俺が笛吹に怒られてたことを、からかうって言ってただろ」
「あっ、あー……それはぁ」
視線を泳がし真っ直ぐな彼の瞳を避ける。が、途端に首が後ろに傾いた。額にチョップを食らったせいだ。
「あっ痛ァァァ!!な、何するんです!まだからかってないじゃないですか!」
「……そういう問題じゃねーだろ」
「ひどい!」
私の叫びを無視して歩き出した笹塚さんは、今度はちゃんと捜査一課の扉へと向かっていた。
彼がその中に入っていったことを確認すると、思わず肩の力が抜けた。バレて……ない。
安堵の息を吐き出し、視線を落とした。目に入った手に持った缶を、力の入らない拳で握り締める。
瞬間、ふと過去の景色が脳裏を過った。笹塚さんが私を見つめる、七年前の瞳。
「……あの時私のこと止めてくれたのは、もしかして」
一つの仮定が浮かんだ。けれど、無理やり脳内から追い出す様に、消す。それはあまり想像したくない内容だったから。
その時ちょうど、扉の軋む音が響いた。もう一度開いた捜査一課の扉から覗いていたのは、他でもない笹塚さんだった。
「……何してんの。早く入って仕事戻れ」
「……あっ、はーい!」
呆れたように私を見る笹塚さんに促され、慌てて中に駆け込んだ。
「みょうじ、これやれ」
入った途端に大量の書類を押し付けられた。油断していた私は缶ジュースを持った手でその書類の山を抱きかかえるように受け取る羽目になる。
「ちょっ……なんですかこの量!」
「サイの予告状のせいで人員足りてねーから、新人にこういう仕事回ってくるんだよ」
「いくらなんでも多すぎですよお……!」
嘆く私を無視して彼は自分のデスクに戻ろうとする。仕方なくその山を必死で運びながら自分の席へと向かおうとすると、背後で「あ」と笹塚さんが声を漏らす。私は何事かと振り返り、彼を見る。
「みょうじ。それ、終わったら、一緒に休憩しよう」
「……え?」
唐突な申し出に、驚き目を見張る。何事かと彼を凝視するけれど、笹塚さんは自然体で、別に普段と何ら変わらない。
「……さっき、俺が休憩断ったから、つけてきたんだろ?」
「……」
笹塚さんが、首を捻って骨を鳴らしながら続ける。
「休憩ぐらい、いつでも一緒にとれるだろ」
「……!は、はい」
「分かったらさっさと仕事」
「ラジャー!」
私は素早く走り出すと、書類の山を叩きつけるように自分のデスクへと置いた。笹塚さんの見解は間違っているけど、その気遣いが嬉しくて思わず頬が緩んだ。
「何ニヤけてんだよみょうじ」
隣りの石垣さんがプラモデルを作る手を止めて、私の方を覗き込んできた。いつもなら彼の怠慢を笹塚さんに言いつけて、書類仕事に協力させるのだけれど、そんな気も起きない程に気分が良かった。
「別になんでもないですよー」
「?……変な奴」
不満げに作業に戻った石垣さんなんて気にしない。時計を見ればもうすぐ昼時だった。それまでに仕事を終わらせれば、一緒にランチがとれるかもしれない。
よし、頑張ろう。今だけは駄目な部下なフリは止めて、本気モードだ。
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