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クラスメイトであり戦友であり、ストーカーとして先輩の近藤君が泣きそうな顔で笑った。「俺病気なんだ」と、いつもの野太い声とは対照的な弱々しい声。私の胸は苦しみとか悲しみとか、そういった感情を抱く前にギュッと締めつけられた。
「な、んで……?!」
教室の隅っこ。いつもみたいに騒がしい教室は私の耳鳴りを強くした。思わず身を乗り出して近藤君に問いかけると、彼は静かに答えた。
「昨日、医者に行って分かったんだ」
「そんなのって……」
酷い。なんでよりによって近藤君が。泣きそうになって顔を歪めると、近藤君はいつも通りの太陽みたいな笑顔を見せてくれた。私はそれすらも辛くて、下唇をかみしめる。彼が泣かないのに私が泣くわけにはいかないんだ。
「それで、同じストーカー仲間として、君に頼みたいことがあるんだ」
「いいよ!近藤君。私にできることならなんでも……!」
ありがとう!っと白い歯を見せて笑った近藤君の手を掴み、ぎゅっと力を込める。温かくて逞しいこの手がいつか見たドラマの主人公の様にやせ細ってしまうことを想像して、また涙腺が緩んだ。
「最後に、お妙さんとデートがしたい」
「……」
「思い出にしたいんだ」
いつもは冗談みたいにお妙さんを追いかけている彼を思い出して、胸がチクリといたんだ。彼の思いは間違いなく本物で、何の悩みもなく最後の願いにお妙ちゃんを選んだ彼を、心の底から尊敬した。そして少しだけ、その姿を自分と重ねた。もし私が明日死ぬなら、私は迷わず高杉君を選ぶのだろうか。
「いいよ、私、全力で協力する」
「ありがとう……!」
握ったままだった彼の手に自然と力が籠る。応えるように笑顔で頷けば、近藤君はやっぱり綺麗に笑った。
「ってことでお妙ちゃん、近藤君とデートしてください」
「断ります」
あれ、結構シリアスモードな始まりのはずだったのになぁ……。何がいけなかったのかと記憶を辿るけれど、私には駄目な部分が見つからなかった。素直に思いを伝えればいつもは近藤君に冷たいお妙ちゃんだって心を揺さぶられてデートを許してくれると思ったのに。
「お妙さァァん!お願いしますよ!!!」
「このゴリラのどこが病気だって言うの?もしかして性病なのかしら?」
「この近藤勲!当然初めてはお妙さんに捧げるつもりです!だから性病ではありませんよ!」
いつも通りガンガン攻め立てる近藤君。お妙ちゃんの血管が浮き出たのが分かった。彼女の拳が固く握られたのに気づき、私はハッとする。
お妙ちゃんは信じていないみたいだけれど、近藤君は病気なんだ。いつもみたいに殴られたら死んでしまうかもしれない。
そう考えるのと、私が近藤君を庇うように二人の間に立ちはだかるのとはほぼ同時だった。ついでにいうと、彼女の重たい拳が私の頬にぶつかるのも。
「ぷげらっ!」
「……!お、おい!」
「あらやだ」
女の子なら躊躇してくれるんじゃないかと思ったのに、私の考えは甘かったようだ。お妙ちゃんは血まみれの拳をちらつかせ、「飛び出してくる方が悪いわよね」とほほ笑んだ。ていうか、半端ないくらい痛い。床にたたきつけられた背中も、すごい勢いで腫れている左頬も。
「今度こそちゃんと殴りますよ」
お妙ちゃんが冷たい笑顔で近藤君に詰め寄った。私はあわてて体を起こすともう一度二人の間に割り込む。お妙ちゃんは少しだけ目を見開くけれど、またすぐに笑顔を作った。
「お妙ちゃん!やめて!近藤君は病気なの」
「……」
「近藤君を殴るくらいなら私を……うぐぶっ!」
今度はお腹に重たい一撃。あまりの衝撃に後ろへ吹っ飛び、背後の近藤君まで倒れてしまった。本当に冗談じゃないくらい痛い。お妙ちゃんは本気だ。私、あれ、一応、女の子なんですけど。
「ちょ、ちょちょちょっと待って!お妙ちゃん!」
「あなたにちゃん付で呼ばれる筋合いはないわ」
「ええええっ!なんかもしかして私のこと嫌いですか?!」
今更分かったのねなんて笑顔で言われても全然嬉しくない!ていうか怖い!近藤君はよくこんなパンチを何度も食らって立ち上がれるなって今更尊敬したけど遅い。私はもう立ち上がることすらできなかった。一応ヒロインなのにこの扱いは酷過ぎませんか。
「殴られたくないならそこをどけばいいじゃない」
「……だ、って……」
後ろで伸びきってしまった近藤君を横目に見た。どうやら打ちどころが良くなかったらしい。大の字で倒れる彼がほんの少しだけ恨めしく思えた。私、こんなに頑張ってるのに……。
「もしかして、お妙ちゃん、焼きもち?」
「……は?」
「いやいや嘘です!ちょっとそんな気がしたんだけどありませんよね!そんなこと!」
「そうなんですか!お妙さん!それなら安心して下さい!僕と彼女はただの友人で……」
「んなわきゃねーだろゴリラァァアアァ!」
「ぼへぶらぁ!」
空気の読めない近藤君は復活するや否や地面にたたきつけられた。3Zクラスの教室の床がヒビだらけな理由を、今一度理解した。
何故か煙が立ち昇るかつては近藤君だったものを置いて、お妙ちゃんは手を軽く叩く。
私に真っ直ぐと向けられたその冷めた眼差しに、思わず恐怖して後ずさった。
「……聞けばあなたもストーカーだそうじゃない?」
「は」
「同じクラスの高杉さんの」
「まあ、そう、ですね。ひらたくいえば」
「本当に嫌になるわ。このクラスは気持ち悪い人ばかりで。三大ストーカー?気色悪いったらないわ。虫唾が走る」
お妙ちゃんはスラスラと毒を吐くと足もとの近藤君を蹴飛ばした。私にはもう、彼は病人だから!と庇う気力は残されていなかった。
「この薄汚いゴリラに担任を追いかけまわすメガネザル、極めつけはあなた。そうね、チンパンジーってとこかしら」
「ちっ、チンパンジー……」
お妙ちゃんは……いえ、お妙さんは、この世のものとは思えない冷徹な視線を私へと送った。そのまま身をひるがえし教室の外へと歩いて行く彼女を止める勇気は私にはない。
とりあえずめちゃくちゃ彼女に嫌われていることしかわからなかった。そうかー、だからか。やけに生ゴミを見るような目で見られていると思った。私、嫌われてたんだ……。
「う……」
「あっ、近藤君!大丈夫?!」
慌てて彼に駆け寄り体を支えてあげる。死にそうなほど血液を流しているのに死なないあたりさすがっていうか。うーん。彼が病気だなんていまいち信じられない。お妙さんの気持ちもちょっと分かったかもしれない。
「近藤君、ごめんね。志半ばで……」
「いいんだ、頑張ってくれてありがとう。ごめんな、痛かっただろ?」
「大丈夫。近藤君こそ……」
「俺は慣れてるから」
そういって体をゆっくりと起こした近藤君はすごい。あれだけの攻撃を食らって本当に、ただものじゃない。でも、やっぱり近藤君は死んでしまうのだろうか。打撃には強くても、病気には勝てないんだろうか。
「ごめん、ごめん近藤君。力になれなくて」
泣きそうになって俯くと近藤君が柔らかく微笑んだ。私の頭を労わるようにやさしく撫でるその仕草に、思わず嗚咽を漏らす。
「大丈夫だって。俺、明日から入院するから」
心臓が嫌な音を立てた。顔を上げると苦しそうに表情を歪めた近藤君。思わず涙があふれた。
「いつ、帰ってくる?」
「分からない」
「沖田君とか、土方君は知ってる?」
「ああ、これから言う」
「だって、あの二人、近藤君のこと大好きなのに」
近藤君がいなくなったらきっと寂しくて泣いちゃうよ。それは、私も。
さっちゃんと、近藤君と、私。三人でずっとストーカーがんばろうねって言ったじゃん。
近藤君はその約束、破るの?
「病気、教えて?」
「え」
「私、頑張ってその病気勉強するよ」
「……」
「できることなら、手伝う。さっきは、手伝えなかったから、今度こそ」
「……」
「教えて近藤君」
近藤君は一瞬言葉に詰まったように見えた。静かに視線を泳がせると、息を吐き出す。
やがて、覚悟を決めたように静かに彼は言葉を紡いだ。
「……痔」
「……え?」
「痔なんだ」
私の視界が暗くなる。お妙さんに殴られた頬と腹が急に痛み出した。
痔痔痔痔。痔って、近藤君。
「……近藤君」
「ありがとう、俺、こんな風に言ってもらえる何て思ってなかった」
「……いや、近藤君、それはいいんだけど」
「頑張るよ、俺。闘病生活。トシと総悟にも言ってくるな」
「近藤君っ!」
彼の動きがはたと止まった。私は彼の潤んだ瞳をじっと見据えて、できるだけ沢山の思いを込めて呟いた。
「服部先生と、キャラがかぶってるよ」
それが私の精一杯の突っ込みだ。
End
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