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携帯が震えた。思っていたより遅かったな、と俺は部屋の時計に目をやる。もうすぐ日付が変わろうとしていた。
俺は聞いていた音楽を止めて、未だに振動を繰り返す携帯を手に取った。ディスプレイに表示された名前に少しだけため息を吐き出した。通話ボタンを押し耳に当てれば、間髪入れずに甲高い声が響いた。
『おっ、沖田君!』
「……なんでィ」
あまりの衝撃に思わず携帯から距離を置く。興奮気味の彼女が、まるですぐ傍にいるように感じられた。こいつ大学行って友達できるのかな、なんて余計な考えが脳裏をよぎる。
『たっ、高、高杉君と、付き合うの!』
今にも泣きだしそうな声に、俺は思わず苦笑した。内容はおおよそ予想通りのものだったけれど、やはり本人から聞くと色々な思いが湧き起こるというものだ。
「よかったじゃねーか」
『あっ、ありがと……』
震える声が電話越しに届いた。やはり泣いているんじゃないかと考える。女って奴は本当に奇妙な生き物だ。嬉しいのに泣くなんて。
「せいぜい捨てられねェようにな」
『うっ、ん!』
幸せそうに笑うあいつがはっきりと想像できた。自分でも柄じゃないことをしたと思う。数時間前の彼女とのやり取りを思い出して少し寒気がした。らしくもねえ。
『私ね、本当に、沖田君が言ってくれなかったら、あのまま終わってたと思うの』
「……」
『私が今こんなに笑えるの、沖田君のお陰なんだよ。ありがとう』
まただ。あどけなく笑うあいつがすぐ傍にいるような錯覚。同時に今後あまり会えなくなることも思い出して少しだけ寂しさを感じた。あの教室であのメンバーで、くだらない時間を過ごすのはあまりにも居心地が良すぎた。
「今度何か奢りなせェ」
『うん!奢る!奢るよ!』
無意識に言った言葉は純粋すぎる彼女への照れ隠しか、それとも再び会うための口実か。どっちにしろやはり自分らしくない。居心地の悪さに俺は携帯電話を握りしめた。
「……高杉はどうでィ」
『えっ、ああ、高杉君!』
目に見えて動揺したあいつの声が少し緩んだのが分かった。
『あのね、なんだか、すごく優しい』
「は?」
『さっき、その……告白オッケーしてもらって、帰り道さ、家まで送ってくれたし』
ゆっくりと言葉を一つ一つ噛みしめるように呟く彼女。電話越しでも緊張が伝わる。
『しかもね、「寒くねーか?」って言うし、歩調合わせてくれるし……。高杉君じゃないみたい』
想像して高杉キモッと思った。思わず噴き出しそうになったけれど、耐える。
『ねえ、なんでだろ。急に高杉君が優しくなりすぎて、ちょっとびっくりしてるんだ』
「そりゃー、おまえの立場が変わったからだろィ」
『えっ』
今まで彼氏ができたことねーのか、優しくされることに慣れてないようだ。急に態度の変わった高杉に戸惑っている彼女が容易に想像できた。
「ストーカーから彼女。扱いが変わらねェほうが変でさァ」
彼女の息を呑む音が聞こえた。少しばかりの沈黙に。自分で言って妙な気恥かしさを感じた俺は、誤魔化すように壁時計をちらりと見やった。ああ、日付変わっちまったじゃねーか。
『そっかあ、そうだよね。うん。……彼女、だもんね、へへ』
「きもい」
にやにや笑いを浮かべているであろう女は俺の声など聞こえていないようで、しばらくヘラヘラ笑っていた。付き合い切れねェと携帯を切ろうとした時、彼女が慌てたように付け足す。
『沖田君、本当に、ほんとーにありがとう!』
「もう聞いた」
『感謝してもしきれないくらいなんだもん!ありがとう!夜遅くにごめんね!』
「おう。じゃーな」
簡単に切れた携帯。電子音が響き、少しだけむなしさが残る。
先ほどまでうるさいくらいにあいつの声を響かせていたそれを放り、俺は伸びを一つした。
寝るか。
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