三大ストーカー | ナノ
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お堅い卒業式は思っていたより早く終わった。女子のすすり泣く声をぼんやりと聞きながら、ふらついた足取りで教室を出る。

先程、沖田君に「あんたは泣かないのかィ」と問われた。正直私も自分は泣くと思っていた。けれど、不思議と涙が出ないのだ。





歩き慣れた廊下を通り、何度も上った階段を一歩一歩踏みしめていく。突きあたりにある屋上へと続く扉のノブを回すときの感触はすっかりお馴染で、これらをもうすぐ感じることができなくなるだなんて、想像も出来なかった。

掠れた音をたてて閉じた扉。冷たい風が全身を駆け抜けたことにより身震いしながら、私は屋上の端へと歩いてゆく。柵へとたどり着き手を置けば冷やりとした感触。手の熱が徐々に奪われていくのを感じながら、私はほんの少し身を乗り出した。

見降ろした景色は、何の変哲もない街中。三年間、ずっと変わらなかった。そりゃ、少しは店がつぶれたり、新しい住宅街が出来たりしたけれど、私の中では全部同じだったんだ。

心臓が痛んだ。これが見納めだなんて、実感がわかない。

胸中の寂しさを誤魔化すように、ポケットから飴を取り出した。あの時、高杉君にもらった最後のミルキー。私が未だに包み紙を開けられずにいることを、彼は知っているのだろうか。

「いいのかなあ……」

このまま終わらせて、本当にいいのかなあ。

誰に言うでもなく呟いた言葉は突風にかき消された。髪の毛が大きく揺れ、視界を霞ませる。

卒業なんて、したくない。










ギイ、と古びた屋上の扉が開く音。

皆が別れを惜しむこの時間に、私以外にも屋上へ来る人なんていたんだ。好奇心から軽い気持ちで振り向けば、佇んでいたのは先ほどまで私が思いを馳せていた人物だった。

「た、かすぎく」

「……そこ、俺の特等席」

「あ、ごめ……ん」

一瞬、探しに来てくれたのかと自惚れた自分が馬鹿だった。私は隣にずれて、彼の場所を明け渡し、再び街を見下ろした。

高杉君はゆっくりとした足取りでこちらへ来ると、私と同じように柵へとよりかかった。今思えば彼とこうやって二人きりになるのは、女の子が高杉君に告白している場面を見てしまった時以来だ。

静寂が気まずい。私は握っていた飴玉をさり気無くポケットにしまい、軽く息をついた。様子を窺おうと彼を盗み見れば、何故か学ランのボタンが全部外れていることに気づいた。こんなに寒いのに全開だなんて、と思い目を凝らし、私はさらに気づく。ボタンが全てなくなっていたのだ。

あ、そっか。

忘れていた。彼はモテるのだ。きっとたくさんの女子が彼のボタンを奪い合ったに違いない。リアルに想像できてしまった光景に、胸が苦しくなった。結局私は高杉君にとって、そんな女の子たちと何ら変わらない存在なのだ。

悲しくて、苦しくて、高杉君から視線を外した。頭の中を渦巻くのは沖田君の言葉。

『当たって砕ろ』

『これが最後』

確かに彼の言うことはもっともだ。けれど――。

私はごくりと唾を呑みこんだ。意を決し、できるだけいつもの調子を装って言葉を紡いだ。

「……今日で終わりだね」

「そうだな」

高杉君の声が、響く。染み込んでいく。思わず泣きそうになったけれど、ぐっと堪えた。

再び訪れてしまった沈黙に戸惑っていると、不意にポケットで携帯が震えた。さりげなくディスプレイを確認すれば、さっちゃんからだということが分かった。きっと教室を抜け出したから心配してくれているんだろう。

「電話」

「え……っ?」

高杉君が唐突に口を開いたことに驚き、思わず声が上ずった。彼を見れば、その視線は私の手元に。

「出ねーのか?」

「……うん」

心の中で謝罪し、さっちゃんからの電話を切った。今、この高杉君との時間を、少しでも長く記憶に刻みたい。

「あのね、高杉君」

携帯はもう震えなかった。私はゆっくりと空を見上げ、慎重に、言葉を探していく。

「私ね……高杉君と馬鹿みたいなやりとりするのが、すごく好きだったんだ、よ」

これが、私の精一杯。

ひゅう、と冷たい風が吹き抜けた。見上げた空は少しだけ白んでいて、卒業式なのに酷い天気だと思った。せめてお日さまでもでていればよかったのにね。

「……ありがと、ね」

「……」

これからもう会えなくなってしまうのかと思うと寂しくて切なくて泣きそうだけれど、私は必死で抑え込んだ。最後はやっぱり、笑顔の印象でありたいから。

しばらくの静寂。高杉君は何も言わない。正直何か返してくれるんじゃないかと期待していた私は落ち込んだけれど、漸く意を決して柵から手を離した。

「じゃあ、教室戻るね。バイバイ高杉君」

バイバイ、高杉君。もう一度心の中で繰り返した。背中を向けて、ゆっくりと扉へむかって歩き出すけれど、彼が何かを言う気配はない。

もう、一生会えないのかな。ずっと、ずーっと、会えないのかなあ。

長い人生の中のたった二、三年の付き合い。そう思った瞬間熱い何かがこみ上げた。胸の奥が焼けるみたいに熱い。あ、泣きそ――。

「おい」

彼の低い声が、静まり返った屋上へと響いた。

あと少しで扉へとたどり着くはずだった私は、反射的に足を止める。けれど振り向くことはできない。きっと、私の顔今、すごく情けない。

「……これ、やる」

高杉君が、小さな声で呟いた。どうやら振り向かなくてはならないようだ。

深く息を吐いて涙をひっこめた私は、思いきって彼に向き直った。

高杉君は手すりに寄りかかり、こちらを見据えていた。“これ”とは何なのかと目を凝らすけれど、彼の差し出している掌に乗っているものは酷く小さくて、この離れた位置からでは見えない。

「高杉君、それ」

「ほら」

高杉君が突然それを投げてしまった。ゆっくりと弧を描いて近づいてくるそれをキャッチしようと慌てて手をかざすけれど、それは私の手をすり抜けて、地面へと転がった。響いた高い音に顔が熱くなる。前にもこんなことがあったような。なんでかっこよく受け取れないかな。

高杉君の視線を感じながら私はその取り損ねた何かを拾った。冷たくて硬くて、少し光を反射していたそれは、

「……いらなきゃ捨てろ」

「……」

言葉が出ない。私はその場にへたりこみ、手の中にあるものを凝視する。

じわりと目頭が熱くなり、先ほど必死で抑え込んだはずのものが溢れそうになった。

「これ、もしかして、上から二番目?」

「……」

高杉君は答えなかった。けれど、私には分かってしまったのだ。



これは、高杉君の第二ボタン。



「……」

耐えきれずに、嗚咽をもらした。ぽたぽたと頬を温かいものがこぼれてゆく。私はうずくまったまま、声を押し殺して泣いていた。

「……なんで、泣くんだよ」

「……だって」

言葉は続けられなかった。この夢みたいな出来事の中、手の中の感触が、現実であることを教えてくれているような気がした。

「くれるの?」

「……おう」

「私で、いいの?」

「……ああ」

声にならない声がこぼれた。私は何度も手の甲で涙をぬぐうけれど、止まらない。笑顔の印象で終わらせたいって思ってたのに、高杉君のせいでもう台無しだよ。

「ありがと……」

やっとの思いで絞り出した声は震えていた。私は高校生活最後に、最高の思い出を手に入れられたみたいだ。





「高杉君、やっぱりかっこいーよ」

「馬鹿女」

ふっと、彼が柔らかく微笑んで、胸の奥が締め付けられたのが分かった。



やっぱり、言わなくて良かった。

私たちはきっと、これくらいの距離が調度良い。




End
 
090612