1
翌日、教室に入ると高杉君の席に鞄が置かれていた。それに気付いた私は授業をさぼって屋上へ向かう。
「高杉君!」
扉を開け放って叫べば、そこには見なれた後姿。それだけで緩む頬。幸せな気持ちで満たされる。
「おはよう、今日もかっこいいね」
隣に座りながら声をかければ彼は静かに反対側を向いた。
あれ、なんだろう。
その避ける様な動作に、私はどことなく違和感を感じた。
「そうだ、メアド……ありがとね!すごく嬉しかった」
無視。
「えっと、ね……あの飴の包み紙、宝物にしてるんだ!見て、ポケットに、ほら」
無視。
違和感が確信に変わる。こちらを見もしない高杉君に、どんどん心拍数が上がっていくのを感じた。
なんで?今まで馬鹿にされたり意地悪を言われたりはしたけど、こんな風に無視されたことはない。
不安に押しつぶされそうになったけれど、必死で言葉を探す。私が黙ってしまったら、本当に終わってしまう関係だから。
「あっ、あのね、高杉君用のメールフォルダ作ったんだよ。高杉君からメールが届いたらすぐに――」
「……うるせェ」
低い声が耳に響いた。普段よりずっと低い声。途端に視界が回る。背中に鈍い痛みが走り、目の前には青い空を背景にした高杉君。
私は押し倒されたのだと漸く理解した。
「え」
固まる。笑顔なんてとてもじゃないけど作れない。
だって高杉君の目が、冷たい。
「ど……したの?高杉君……」
彼は何も言わずにただ黙って見下ろしている。こんなに近い距離で、こんなに長い間視線が絡んだことない私は、鼓動がどんどん早まっていくのを感じていた。
冷汗が背中を伝う。両腕を抑える手に力を込められ、指の先が冷えていく。
「たっ、高杉く……」
「怖いのかよ」
先ほどと変わらない低い声。私はこの声を一度だけ聞いたことがある。
高杉君が他校の男子生徒と喧嘩しているのを見かけた時。
彼は今、敵を見る目で、敵にかける声で、私へと接している。
「彼氏……できたそうじゃねェか」
「……えっ!?」
突然の言葉にただ聞き返すことしかできずにいると、彼が少しだけ表情を歪めた。
「ばれたって、顔だなァ」
「何……が?」
「よかったじゃねェか。これで俺も解放される」
目の前が真っ白になった気がした。高杉君は、いったい何を言っているの?
現状が理解できずにただ彼を見上げていると、不意に体が軽くなった。彼が体を起こしたのだ。
「――俺を馬鹿にすんのも大概にしろ」
「……!?違うよ!」
反射的に起き上がっていた。高杉君が何かを誤解していることに、私はやっと気づいた。
立ち上がった高杉君に私も続く。相変わらず冷めた目で見降ろす彼を負けじと見つめ返す。
「なんでそんなこと言うの……?」
私が好きなのは高杉君だって、言ってるじゃん。ずっとずっと、高杉君だけしか見てなかったのに。
全然伝わってなかったの?
「私はっ、高杉君のことが……!」
「黙れ」
鋭い響きを持ったその声は、私の心臓を貫いた。高杉君は私から視線を外してしまった。途端に込み上げた熱い思い。鼻の奥がつんとして、涙腺が緩む。
やばい、泣きそうだ。
下唇を噛みしめて耐えようとしたけれど、それは簡単に零れ落ちた。私は咄嗟に目元を抑えて、彼から逃げる様に屋上を飛び出す。こんな風に泣くところを高杉君には見られたくなかった。
彼は、当然ながら追って来ない。
教室へ鞄を取りに行くのも忘れて学校を抜け出した。泣きじゃくりながらひたすら走るけど、何度も反芻される高杉君の冷たい声は拭えない。
人通りの少ない入り組んだ道を駆け抜け、人っ子一人いない川原へと出た。私は漸く足を止めると荒れた呼吸を整える。
太陽を反射して輝く川を見ていたら余計に虚しくなってきた。涙は益々零れ落ちる。止まらない。止まらないよ。
「う、うー……」
こらえるように頭を数回横に振ると、私は再び走り出した。悲しいことがあった時、よくこうやって走った。風が涙をさらってくれるから。私は川沿いに草はらを走り抜ける。
高杉君の、馬鹿。バカ。
どんなに走っても頭の中を渦巻くのは高杉君のこと。うっとおしいと思われていたとしても、嫌われていることはないと思っていた。優しく突き放してくれる高杉君が大好きだった。なのに、なんで。
どうしてあんなこと言うの。
冷たい彼の瞳が、目に焼き付いて消えない。目を瞑っても、網膜に刻まれたそれは私をずっと見つめている。
怖かった。高杉君が、怖かったよ。
もっと暗闇が欲しくて強く目を瞑った時だった。私は足元のでっぱりに気づかずにつまずいてしまった。思い切り転び、草が頬を切る。膝が、痛い。腕もお腹も。あたしは起き上がることもせずに、そのまま地面にうつ伏せて泣きじゃくった。
心が、痛い。
→
←