泣けないオトナの末路


大人になれば何もかもが自由だと思っていた。
でも"大人"という年齢に分類されるようになった頃には、そう思っていた頃に想いを馳せて、あの頃に戻りたい、と思うようになっていた。
自由に憧れていたあの頃の私はただただ無知だったのだ。
分からないこそ手に入れたくて、思い描いた甘い幻想を抱いて。

「ほな、そろそろ行くわ」

そう言って忍足さんはベッドから起き上がると、ピシっとアイロンの掛けられたワイシャツに袖を通した。
時間を巻き戻しているみたいに次々と脱いだ服を身に着けていくのを、私はベッドに寝そべったままで見上げていた。
あのワイシャツに皺のひとつもつけてやればよかったと、ぼんやりと思う。
私の痕跡を少しでも残すなんていうミスは忍足さんはしないだろうけど、それぐらいはしてもいい気がした。
ネクタイを締め終わるタイミングを見計らって、何度口にしたか分からない質問を投げかける。

「…次、いつ会える?」
「そうやな…また連絡するから待っといてな」
「ん…分かった。」

この会話はいつもの挨拶みたいなものだった。別に約束ができると思って聞いているわけじゃない。
ただ、意味を持たせるとするならば、連絡するから待ってて、という言葉を聞くためかもしれない。
私たちの関係の終わりはいつやってきてもおかしくない中で、まだ連絡をくれて、私と会う意思がある、というのを確認するための。
約束はできなくても、その言葉だけで十分だ。
すっかりここに来たときと同じ格好に戻った忍足さんは少し屈んで私の頬を撫でた。
少しくすぐったくて冷たい指先の感覚を忘れないように、目を閉じてそこに意識を集中させる。

「じゃあ、次に会う時までええ子にしとるんやで?」
「ふふ、それはどうかなぁ」
「なまえがそない心配させるようなこと言うなんて珍しいなぁ……さみしいん?」
「冗談だから、大丈夫。忍足さん、気を付けて帰ってね」
「おおきに。ほなな。」

おでこにキスを落として、忍足さんは部屋を出て行った。
ガチャリ、と重い扉が閉まる音と同時に目の周りが熱くなってくる。

忍足さんだって鈍い人じゃないから私の本心なんて知っているのだろう。
それでも何も言わないのは、彼の狡さでもあり、優しさだ。
きっとうっかり行為の最中に涙を流してしまったとしても、忍足さんは見ないふりをしてくれる。
私が辛いと言ってしまったなら、私たちに残された選択肢は別れしかないから。
だから私も平気なふりをするし、忍足さんも知らないふりを続ける。

もし私があの頃のように子供で無知だったならこうはならなかっただろう。欲しいものを欲しいといえる、子供だったのなら。
最初からどうあがいても叶うことのない恋をしてしまった私は、大人になりきれないながらも仕方なく大人をやっているのだ。


忍足さんの匂いが微かに残るシーツに顔を埋めて、私は泣いた。
子供みたいにしゃくりあげて、馬鹿みたいに朝まで泣き続けた。
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