ぼくのためのきみの片恋


ずっと好きでした。
何年も胸に秘めていた想いをそう言葉にした時、わたしの想い人は困ったように眉を下げた。
その表情だけでその後返ってくる言葉を察するには十分だったから、きっとわたしを傷つけないようにものすごく言葉を選んだであろう柳くんがその後に何と言ったのかは全く覚えていない。
その後どうやってその場を去って、教室まで戻ってきたのかもおぼろげだ。


教室では5限目の授業が始まっていた。かろうじてノートはとっているけど、内容なんて全く頭に入ってこない。
困った顔してたな、柳くん。あの時の柳くんの表情が脳みそにこびりついて、何度も何度も頭の中で再生される。
思い出すたびにじんわりと滲んでいく視界に、頬杖で顔を隠して視線を窓の外へ移した。こんな時、窓際の一番後ろの席でよかったと心の底から思った。

どうしてあんなタイミングで告白なんかしてしまったんだろう。
柳くんに会えるかもしれないという淡い期待を抱いて入り浸っていた昼休みの図書館で、久しぶりに柳くんを見つけて。
いつもはそれなりに人がいるのに今日に限って誰もいなくて、ほとんどふたりきりみたいな空間だった。
なぜかそこで変なスイッチが入ってしまったのだ。今しかない、って。これは神様がくれたチャンスなんだ、なんて。
そんな、なんの根拠もない衝動に駆られて告白してみれば、結局は全部自分の都合のいい妄想で、夢物語だった。
あぁ。本当、馬鹿みたい。恥ずかしいし、情けない。

ひと粒、ふた粒と落ちていく生温かい雫を感じたと思ったら、次々にぽろぽろとこぼれ落ちてしまい、止まらなくなってしまった。
いつも制服のポケットに入れているはずのハンカチは今日に限って忘れてしまっていて、仕方なく制服の袖を目に押し当てる。何度も涙を拭った袖がじっとりと湿っていく。
周りに気付かれないように静かに鼻を啜った。すると、不意に前の席の丸井くんが振り返って、目が合った。
丸井くんは、一瞬目を見開いて驚いた表情になったから、わたしも慌てて机に突っ伏して顔を隠した。
あぁ、もう本当にやだ。なんだかものすごく惨めな気持ちだ。

しばらくそうしてうなだれていると、手の甲に何か柔らかいものが触れた。おそるおそる顔を上げてみると、机の端にタオル地のハンカチが置かれていた。
それがどこから現れたのか分からずに、隣の席の男の子に目を向けてみたけど、彼は机の下に隠したスマホゲームに夢中になっていた。
そうなると、ぐちゃぐちゃの顔でしっかり目が合ってしまった丸井くんのものとしか考えられない。ハンカチを手に取って丸井くんの背中を見つめてみたけれど、丸井くんは一切振り返らなかった。
本当に使っていいものなのか迷ったけど、制服の袖はそろそろ限界を迎えていたから、丸井くんの背中に心の中でお礼をして、借りることにした。
ハンカチに顔を埋めたら、自分の匂いとは違う丸井くんの匂いがして、少しだけ胸の痛みが和らいだ気がした。


授業が終わってすぐに丸井くんに声を掛けたかったけど、教室で話すのがなんだか恥ずかしくて、結局お礼も言えないまま放課後になってしまった。もうすでに丸井くんの姿は教室には見当たらなかった。
ハンカチは洗濯をして、明日返す時にお礼を言おう。そう決めて、荷物をかばんに詰めて下駄箱へ向かう。
そういえば、丸井くんはお菓子好きだったはず。何か一緒に渡そうかな。そんなことを考えながら靴箱から靴を取り出して床に置いて、頭を上げたらすぐそこに丸井くんの姿があった。

「え、あ……、丸井くん。部活は?」
「あぁ、これから」
「そっか……。あの……、ハンカチ本当にありがとう。ちゃんと洗って明日返すね」
「元からきれいなやつでもねえし、気にすんな」
「本当に助かったよ、ありがとう。……その、ごめんね」

別に謝るようなこと何にもしてねえじゃん、と言って丸井くんは小さく笑った。それは教室で見る丸井くんとはまた違って、少し柔らかい表情に感じた。
そういえば丸井くんとこうやってちゃんと話すことってあんまりないな。そんなことを考えた時、丸井くんが少し言いづらそうに切り出した。

「あー……のさ。違ったら悪ぃんだけど。もしかして、柳?泣いてた原因」
「え……なんで、」
「柳が言ってたとか、どっかで噂になってるとかじゃねえから。みょうじ、一年のときからよく練習見に来てただろい?柳のこと見に」

たしかに一年生のときはよくテニスコートに柳くんの姿を探しに行っていた。柳くんに好きだって気付かれたら恥ずかしいな、なんて自意識だけは一丁前だったから、こっそり見ていたつもりだったのに、まさか丸井くんに気付かれてたなんて。思いもしない人物に気持ちを知られていたことが、恥ずかしくてたまらなかった。
わたしの動揺なんて気にしないように、丸井くんは言葉を続ける。

「あのさ。また来いよ、練習見に」
「さすがにもう行けないよ。振られちゃったから」
「だから、柳じゃなくて。俺を見に来りゃいいじゃん」

言われている言葉の意味がすぐに分からなくて、ふたりの間に沈黙が流れる。それはたった数秒だったけど、とてつもなく長く感じる時間だった。
その間にやっと言葉の意味を理解して、それは丸井くんなりの冗談なんだと気付いた。

「やっ、やだなぁ。丸井くんを見に行ってどうするの、ははは……」
やっと絞り出したわたしの言葉が、なんだかとても滑稽に思えた。丸井くんは少しバツが悪いような、照れたような、複雑な顔をした。

「どうするって……。見に来て、好きになりゃいいんじゃねーの。」

その表情がとても冗談を言っているようには思えなくて、わたしの思考はもう完全に停止してしまった。
そんなわたしの姿が面白かったのか、丸井くんはふっと吹き出して、わたしの頭に手を伸ばした。

「まぁそのうち見に来いよ。じゃあな」

通りすがりに頭をぽんと撫でられて、丸井くんの背中が遠ざかっていく。
何が起きているのか理解が追いつかないわたしは、それを放心状態で見送ることしかできなかった。
やっと我に返ったのは、丸井くんの姿が見えなくなってずいぶん経ってからのことだった。


もし本当にテニスコートへ丸井くんを見に行って、そして本当に好きになってしまったら。
丸井くんはちゃんと責任を取ってくれるんだろうか。
触れられたところがじんわりと熱くなって、そこだけが自分の一部じゃないみたいにくすぐったかった。
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