ギミー


定時に終わるはずだった仕事を2時間遅れで何とか片付けて、急いで会社を出て駅の階段を駆け上がる。
忙しかった仕事がようやく一段落してやっとブン太に会えると思って、絶対定時に終わらすからねなんて言ってみたものの、蓋を開けたらこの有様だ。
週末は泊まりに来ると約束をしていたから、もうわたしの部屋に来てるはずだ。
ホームに着いたと同時に入ってきた電車に乗って、混み合った車内で携帯を開くと、ブン太からメッセージが来ていた。

『残業お疲れ。飯作って待ってるから気を付けて帰ってこいよ』

そのメッセージに、人目も気にせずつい頬が緩んでしまう。
出来すぎた恋人を持ったなあと改めて思う。
ブン太は大学生の、わたしより少し年下の恋人だ。
初めて出会った時は今どきのチャラい男の子なんだろうなと思ったけど、こうやって付き合ってみると時々びっくりするくらい包容力を感じることがある。
普段は若者らしくちゃんとチャラいし我儘なところもあるんだけど、わたしが疲れているようなタイミングでは恐ろしいくらいに空気を読んだりするのだ。
例えばこうやって得意な料理を作って待っててくれたり、わたしの仕事が忙しくて連絡が疎かになってても変に拗ねたりしなかったりとか。
気力も体力も、さらには貴重な時間も奪われてしまうのに、わたしは働くことが結構好きだったりするから、ブン太がわたしを理解して支えになってくれる事は本当に嬉しかった。
大学ではさぞかしモテるんだろうなと思うけど、それを気にし始めるとやきもきしちゃうからあまり考えないようにしている。

「ただいま」
「おかえり。お疲れーい」

玄関を開けてパンプスを脱いでいると食欲をそそるいい香りがして、キッチンから料理中のブン太が顔を覗かせた。

「遅くなっちゃってごめんね。いい匂いしてる……ビーフシチュー?」
「正解。もう出来るから早く着替えてこいよ」

手洗いとうがいを済ませてから寝室で着替えていると、洗濯機に突っ込んでおいたはずの洋服たちがベッドの上に畳んで置かれていた。
週末にまとめてやればいいやと、忙しさにかまけて何日も家事なんてしていなかったのに。
もしかしてと思って改めて部屋を見渡して見ると、朝家を出た時よりもキレイに片付けられていた。

「ねぇブン太、洗濯と部屋の掃除もしてくれたよね?本当にありがとう」
「おう、マジで感謝しろよな。しばらく忙しかったっつうから特別だぜぃ」
「あー……、ブン太本当にありがとう大好き。とりあえずぎゅってさせて」

両手を広げて抱っこを催促すると、しょうがねえなと言いながら笑って両手をひろげてくれたから、ブン太の胸に飛び込んで背中に腕を回してぎゅうっと力を込めた。

「なまえ力入れすぎだっての」
「だって久しぶりのブン太だし。甘えたいの」
「ハイハイ、たっぷり甘えていいぜ」

ブン太はわたしをぎゅっと抱きしめながら頭を優しく撫ででくれるから、なんだかちいさな子どもにでもなった気分だ。
腕の中に収まってブン太の洋服からする匂いを嗅いでいるとじんわりと日々の疲れが癒やされて浄化されていくような気がした。

「ブン太ってさ、時々すっごい包容力あるよね。いつも俺様なのに」
「はぁ?時々ってのと最後のひと言はいらなくねえ?」
「ふふ、ごめんごめん」
「まぁ、これでも必死だったりすんだよ俺も。ガキだって思われねぇように」
「……うん?」
「なーんでもねえよ。なまえは黙って甘やかされとけぃ。さて、メシにしようぜぃ。腹減ったー」

急に体を離されて、まだ抱きついていたいわたしは少し寂しいような気持ちになったけど、テーブルについて料理を食べ始めるとブン太が「風呂掃除もしといたから後で一緒に入ろうぜ」なんてことを軽く言うから、こみ上げてくる感情が抑えきれなくて、どうしようもなくなってしまった。

「なまえ、顔にやけすぎじゃね?」
「だってさあ。もう……ブン太ってなんかずるい。わたし骨抜きにされちゃう」
「そのつもりでやってんだから大人しくされとけって」

ああ、もう本当に手遅れかもしれない。
もう骨なんてなくてもいいか。
ブン太と出会ってから、わたしはずっとぐにゃぐにゃだ。

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