novel

 Jayhawker―略奪者―

 どうなっているんだ。
 どうしてこうなったんだ。

 荒寥とした世界を冷たい風がビュウビュウと音をたてて通り抜ける。剥き出しの大地。そこらじゅうに感じる人ならざるモノの気配。見覚えがあるようで全く知らない世界。ここはどこだ……?どうしてこんなことに……?
 慌ただしくアカデミーの制服姿の人たちが駆けている。どこからともなく「状況報告!」や「何が起こったんだ!?」と緊迫した声が聞こえてくる。アカデミーの軍人や研究員の中心にはホープがいた。ホープの元に次から次へと研究員が駆けてやって来ては、報告をして指示を仰ぎ、また何処かへと駆けていく。それを少し離れたところから未だに意識を失ったままのモグを抱きかかえ、ただ茫然と眺めていた。

 セラが死んだ。そして世界も死んだ。俺がカイアスの心臓を貫き、世界のバランスを調整していた女神を殺してしまった。女神が辛うじて抑えていた混沌が世界に雪崩込んで、その凄まじい力で世界は崩壊した。ホープが作った箱舟も、混沌に巻き込まれひどい状態だ。きっと箱舟に逃げ込んだ人たちも――。
 ここはまるでヴァルハラだ。時空の狭間に居る時のように、どこか現実では無い様な、白昼夢を見ているような感覚がする。時間の感覚が曖昧で、過去と今の境目がよく分からなくなっていた。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 小柄な少年が不安げに上目遣いで訊ねてくる。その少年の頭をそっと撫で、安心させるように「大丈夫」と言うと、顔を綻ばせて少年が笑った。それから少年はモグに目を向け「その子も早く目が覚めるといいね」と白く丸い頭を撫でた。

 世界に混沌が雪崩込んできたあの時、俺とセラを迎えてくれた飛空艇は乱れた気流の中でどうにか不時着した。船体はボロボロだったが、船内の損傷は軽微で積んでいた物資も無事だ。他にもいくつかの飛空艇がそう遠くないところに不時着していたが、もっと酷い有様だった。船内の損傷が軽微に済んだのは偏に操縦するパイロットの腕前だろう。もしパイロットの腕が悪かったら、不時着する飛空艇から俺やホープは振り落とされて死んでいたかもしれない。ホープが死んでいたらもっと人々は混乱していただろう。アカデミーの人間が辛うじて情報の収集をし、生き残っている人々をまとめているからこそ最悪な状況でも悲観するだけでなく、動くことができる。

 ――俺は……もう何も出来そうになかった。崩壊した世界を目の当たりにして、何もかもが終わってしまった気がした。俺が女神を殺したから、何百……何千もの関係のない人たちの命を奪ってしまった。俺が……俺がみんなを殺したんだ。
 どうすればいい?どうすれば償える?どうやって償えばいい?俺はあまりに多くの命を奪い過ぎた――。

「――エンジンはダメそうだな……俺じゃちょっと手に負えねえ。本格的な修理が必要そうだ」

 エンジンルームを見に行っていた飛空艇のパイロット――サッズが草臥れた様子で戻ってきた。その息子である少年――ドッジは父を見るなり駆け寄って抱きついた。息子を大事そうに抱き抱え、サッズはノエルと向かい合わせる様に手頃なコンテナに腰掛ける。

「お前さん、もうずっと休んでないだろ。少し休んだらどうだ?顔色が悪いぞ」
「……あんたも働き通しだろ」
「ま、その通りだけどよ。お前さん、自分の顔を鏡かなんかで見てくれば分かるだろうが……死人みてぇな顔してるぞ」
「……」

 ノエルは俯き、セラがそうしていた様に目を覚まさないモーグリを強く抱きしめた。サッズは特に追求しようともせず、ここから少し離れたところでテントを張り、仮設対策本部の指揮を執っているホープに目をやる。ノエルもちらりと目線をそれに合わせた。

 ホープは変わらず忙しなく軍人や研究員に指示を出し、情報端末にデータを入力していた。いつもの様に凛としているが、どことなく疲れている様が見て取れた。それでも休むことなく動いていた。
 今のホープを動かしているのは、アカデミーの最高顧問である責任だろうか。それともホープ個人の「人を助けたい」という思いからだろうか。……どちらにしろ、ブーニベルゼの打ち上げに失敗し、その上世界が崩壊したとあって、内心ではホープも酷く動揺しているだろう。それでも立ち止まらず前を見据える姿は逞しく思う。
 ――俺は何もせず、それを見ているだけだ。今また何か行動を起こせば、誰かを不幸にしてしまう気がして、動けなかった。それに俺の手は誰かを助けるには汚れている……。

「無理しなくていいんだぞ。世界がこんなになっちまって、大丈夫なやつの方がおかしい」

 だから休め、と少し語気を強くサッズは言った。ノエルは頷く訳でもなく低めのコンテナから腰を上げ、頼りなさげな足取りでそろそろと飛空挺内へと入っていく。それを見送ってからサッズはもう一度ホープを見、「あいつも休ませないとな」と独りごちた。

**

 ノエルは狭い船室の中にある二段ベットで横になっていた。横になっているだけで眠る訳でもなく、じっと壁を見つめていた。時折思いだした様に瞬きをするが、それ以外はじっと動かず壁の一点を見つめるだけだ。

 この時代(と言ってもいいのか分からないが)に行く道中のヒストリアクロスでカイアスの声を聞いた。風の音かと勘違いもしたが、あれは確かにカイアスの声だった。何と言っているのか聞き取れなかったが、今は分かる。これまでカイアスの言葉に聞く耳を持たなかったせいで聞こえなかった言葉が蘇ってくる。

 ――女神はチャンスなど与えない。女神は奪うだけだ。

 カイアスはそう言っていた。女神は略奪者だと。人に希望を与えるのではなく、希望を奪うのだと。希望を奪い命を奪い、残るのは絶望だ。
 女神が俺に奇跡を起こしたのは、俺にカイアスを殺させるためだ。俺にしかできないから、俺を生かし過去へ送り、師への憎しみを募らせ、殺させるために……。愚かな女神は自分の心臓を持っているカイアスを殺す様に仕向けたのだ。女神はけして弱いものに奇跡を起こさない。強い者を気まぐれに利用するためだけに奇跡を起こす。
 成程、俺は何も知らない哀れな女神の下僕だった訳だ。女神の気まぐれをチャンスだと信じて疑わなかった。巫女に厳しい運命を与え、その誓約者たるカイアスに不死にし幾度となく死んでいくユールを見守るように仕向けた。セラも女神の気まぐれで酷い運命を与えられた。――きっともっと数多くの人たちが女神の起こした気まぐれで不幸になったことだろう。だからカイアスは自ら死を選んだのだ。
 ――そうだろ、カイアス?

「ノエルくん、起きていますか」
「……ホープ」
「僕はサッズさんに言われて20分程休憩です。本当は持ち場を離れる訳には行かないのですが、サッズさんに叱られまして……。少し頭を整理したかったところなので、丁度よかったのかもしれません。……まあ、急ぎの用事があればすぐに駆けつけなければならないのですが」

 先程とは打って変わってはっきりと酷く疲れた様子がわかるホープが、水の入ったペットボトルを片手に部屋へ入ってくる。ノエルはホープの姿を少しだけ見、それからまた壁を見た。
 あの崩壊からどれほどの時間が経ったのだろうか。辺はずっと暗く、時間の感覚もないせいで全く見当がつかないが、ホープの様子を見る限り随分長い時間アカデミーの指揮をしていたのだろう。ホープは人口コクーンを打ち上げるために身を粉にして計画を進めてきた。多分もう随分長いあいだ纏まった睡眠をとっていないに違いない。それなのに俺のせいで……。

「流石に僕も今回ばかりは疲れました――。」

 ホープはペットボトルに口を付け、水を一口だけ飲み込んだ。

「どこも酷い有様です。まるで世界全てがパラドクスが起きている空間の様に歪んでいます。まるで過去現在未来が全部一緒に存在しているかの様です。これでは時は意味を成しません。」
「……ヴァルハラだ」
「ヴァルハラ……ライトさんが戦っていた場所ですね。そしてノエルくんたちが飛び込んだ、時空間に出来た裂け目から繋がっていた場所。――ヴァルハラで何があったんです?」

 びくり、とノエルの体が大きく揺れた。ホープはノエルが横になっているベットに腰掛け、そっとノエルの肩に触れた。手のひらから微かに震えているのが感じ取れる。

「……ヴァルハラでカイアスを殺した。俺がカイアスの持っていた混沌の心臓を貫いた。」
「混沌の心臓……」
「女神エトロはカイアスに自分の心臓を与えて不死にしたんだ――。女神を殺してしまったせいで、世界にヴァルハラの混沌が流れ込んだ。」
「そうですか……」

 淡々とノエルは状況を語り、ホープもまた静かに話に耳を傾けた。一通り話終えると、耳が痛くなるほどの静寂が部屋を覆う。けしてホープは優しい言葉をかけようとしなかった。今彼にに優しい言葉をかけてしまうと、崩れてしまうと思ったからだ。

「お疲れのところ、ありがとうございました。僕はそろそろ行きますね。ノエル君はゆっくり休んで、宜しければあとで手伝ってください。」
「……もう少し休んだらどうだ?」
「充分休ませて頂きました」

 ホープはため息混じりにノエルの丸まった背中に微笑みかけ、失礼します、と部屋から出て行った。暫くノエルは物音ひとつしない部屋の中で息を潜めるようにじっとしていたが、のそりと上体を起こし膝を抱きかかえた。

「……うるさい」

 ずっと声が聞こえる。死んだ筈の人間の声が耳元で囁くように何かを言っている。それに耳を貸してはいけないと直感が伝えた。両手で耳を塞いで額を膝頭に擦り付けるが声は止まない。どうにかなってしまいそうだ。
 死んでしまった……否、存在を消された人たちの怨嗟の声が波となって押し寄せてくる。お前のせいで私たちは死んだのだと。お前が世界を壊したのだと。全てお前が悪い、お前さえ居なければ世界は滅びなかった。
 滅びから世界を救うつもりで逆に自分の手で世界に終焉を招いてしまった。もしちゃんとカイアスの話に耳を傾けていたのであれば、こんな結末になる事はなかっただろうか。心臓を貫けば女神が死ぬことは分かっていたはずなのに、カイアスの語る言葉を妄言だと信じ込んで、許されざる罪を犯した。

 思い返せばずっと師は真実を語っていた。師は女神を恨んでいた。何故カイアスが女神を恨んでいるのかその時は察することが出来なかったが、今となって理解した。けれど、女神を殺して世界を壊す必要があったのかは分からない。
 女神の奇跡のせいでカイアスやユールが不幸な運命を背負ったのは分かる。セラも沢山の人も巻き込まれた。でも殺す必要はあったのか。女神と話し合う事は出来なかったのだろうか。話し合ってみんなが幸せになれるように……考えても意味の無いことだが――。
 きっと気まぐれに奇跡を起こす女神は俺と同じように聞く耳を持たなかっただろう。だから話し合いなど無駄だった。女神を殺すしかなかった……――違う。

 俺は罪人だ。師を殺し女神を殺し世界を滅ぼし、沢山の人々の幸せを奪った。それは許されることじゃない。俺が居るだけでみんな不幸になる。何かをすればするほど悪い方向に物事が進む。だからもう何もするべきじゃないんだ。

 ノエルは顔を上げ、小さな船室の窓に向けた。外は薄暗い闇に覆われ視界が悪く、遠くの様子は分からない。ぼんやりそれを眺めてから、ゆっくりと立ち上がる。ベットサイドに寝かせているモグはまだ目覚める気配がない。死んだように眠るモグの頭を撫でようと手を差し出し撫でようとしたが、触れるか触れないかギリギリの距離で手を引いた。それからノエルは俯き小さく、ごめんと呟いて船室を出てどこかへと姿を消した。

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2013/02/08 執筆


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