地球の裏側


 ふああ、と大きな欠伸をしながら歩くあたしの姿は、誰から見ても間抜けだろう。そんな今更なことを思いながら知人に挨拶をしたりして通学路を歩く。何というか、気味が悪くさえ思う程いつも通りの朝だ。


 再び出そうな欠伸を噛み殺し、下駄箱で靴を履き替える。それから教室に向かおうとすると、珍しい顔が見えた。




「おはよー、赤司」




 クラスメートであり比較的よく喋る相手である赤司が、そこにいた。赤司とはたいてい靴箱で出会わない。あたしは電車のタイミング上この時間になるが、赤司は授業が始まるギリギリまで朝練だ。そんな赤司がこの時間にこの場所にいるなんて。


 赤司は少し遅れてこちらの存在に気付き、おはよう、と返す。本人は社交辞令の笑みを浮かべているつもりなのだろうが、それはどこかぎこちない。




「珍しいね、下駄箱で会うなんて」


「今日は部活自体が無いんだ。苗字はいつもこの時間帯?」


「うん、電車の都合上ね」




 赤司の質問に答えると、大変だね、と労いの言葉をかけてくれる。あたしは愛想笑いしながら、それほどでもないよ、と答えながら下駄箱の蓋を開ける。すると、下駄箱の中からひらりと何かが落ちる。それを見た瞬間、あたしは少しだけ硬直する。できればそれに触れたくないが、人目につく所に放置しておくわけにもいかないので拾い上げ、上履きに履き替えた。


 それは、ノートを一枚千切ってさらに半分に千切ったであろうものを四つ折りにした紙だった。相手は「苗字名前さんへ」と書かれた筆跡で予想はつく。そして、中身も。




「・・・そっちも、だいぶしつこいみたいだね」




 始まりは、ちょうど2週間前だった。とある名前も知らないような男子生徒に告白された。自慢ではないが、あたしはよく告白される。よってどうやって断れば面倒事にならなず丸く収まるかも知っているつもりだった。だからいつも通りやんわりと、だがはっきりと断った。


 だがその男子生徒は、悲しいことに聞く耳を持たなかった。だから執拗に自分の行為をアピールすると言わんばかりに毎日こうして朝に下駄箱に呼び出しの手紙を書き、呼び出し先で告白してくるのだ。一応その度に「好きな人がいるから」と断り続けているのだが、相手は懲りる様子を見せない。




「全く・・・告白の回数を重ねればいいってものじゃないのにね」


「だから行っているだろう。苗字の場合、少々周りの評価が下がっても温厚な性格の仮面を捨てた方がいいって」


「仮面とは失礼な。あたしが温厚なのは素だよ」


「その割には後々に起こる面倒事を予測して、回避するようにしてるみたいだけど?」


「平和主義者って言ってよ。赤司の言う通りバッサリ切って、復讐される身にもなって」




 あたしは赤司みたいに、人を服従させることができるわけじゃないんだから。


 赤司が最善の策を提供してくれる親切心はありがたい。でも、それは赤司だからできる策であり、あたしにはとうていできない策なのだ。それに、今更そうやったとしても相手がどんな行動を取るか予測できない。予測できる範囲で行動してくれる今はまだいい。恐れるのは、下手な対応を取って常軌を逸する行動を取られることだ。それで取り返しのつかない事態になってからでは遅い。




「こんな面倒臭いことが起こらなくなる方法は無いのかなあ・・・」


「相手が納得するレベルの人と付き合えばいいんじゃないのかい」


「赤司、それ好きな人がいるあたしに強いる?」


「あれはフるための決まり文句じゃなかったのかい?」


「一応いるよ、表に出さないだけで」




 そう答えると、赤司は意外そうに目を丸くする。意外そうにされるのも意外だ。あたしは基本的に嘘は吐かない。相手が面倒事を起こさないように言葉を選ぶだけだ。嘘を吐けば、後から言ったことが嘘だとバレた時に余計ややこしくなる。


 あたしは苦笑しながら、そんなに意外?、と訪ねる。すると赤司は動じること無く率直な感想を聞かせてくれた。




「他人と深く関わらないようにしている苗字が、深く関わりたいと思う相手がいるんだと思って」


「別にそこまで深く考えてないよ。告白する気も無いしね」


「・・・ふぅん。だいたいの男は、苗字に告白されたら即OKを出しそうだけど」


「そんな男に惚れるほど、あたしの目は腐ってないよ」




 相手のこともよく知らずにOKを出す男なんて、どうせ遊び程度にしか思っていない。あたしは、少なくともそういう人種を毛嫌いしている。赤司はそのことを知っているはずだが、そうでもして対処した方がいいということなのだろうか。


 ―――でも




「せっかくの提案だけど、やめとくよ。選んだ相手で余計こじれそうだし」




 あたしは言葉を選ぶのは得意だが、嘘を吐くのは下手だ。それに、その場しのぎであったら根本的に解決することはできないし、嘘を吐かないというあたしのポリシーに反する。


 その判断に、赤司は返答しなかった。あれ、疑問に重い赤司の顔を見ると、無表情だった。無表情ではあるが、赤司が醸し出すオーラで少し不機嫌なのだと察する。提案したものが採用されなかったことが気に食わなかったのだろうか。


 どうしたものか。ここは弁解するべきだろう。あたしは赤司の気に障るようなことを言うつもりで言ったのではないのだから。あたしが口を開こうとすると、赤司は急に淡々と話し始めた。




「―――実は、僕も苗字と似たような状況にいるみたいなんだ。3日前くらいに告白されたよ。その時はバッサリ切り捨てたんだけど、向こうは向こうで意地になって、苗字がいない時に会いにきて猛アタックしては部活後告白してくるようになった。昨日、これ以上干渉するならただじゃ済まさない、と言っておいたけど―――どうやら通用しなかったみたいだ」




 一通り話し終わると赤司は、あたしから見て左に目を動かす。あたしは赤司と同じように目だけを、赤司が示した方向に向ける。すると、睨み殺す勢いであたしを睨みつけている女子生徒がいた。彼女がその子らしい。目が合う前に視線を明かしに戻すと、赤司は肩を竦めた。




「・・・常にあんな風なんだ。これ以上の干渉はバスケに支障をきたす。その前に何とかしないといけない」


「赤司に黙らせられない相手がいるなんてね」


「ああいうタイプだと、物理的に黙らせたら口外されて面倒なんだよ」


「あー・・・」




 人を黙らせる方法は、大きく分けて2つある。1つは、弱みを握り、相手が弱みをバラされないために従う方法。もう1つは、刃物等を使って脅し、相手が自分が傷付けられないために従う方法。赤司が"物理的に黙らせ"ると言ったのは、後者の方法のことだ。赤司はこの2つの方法を巧みに使って、あらゆる人を黙らせてきたことだろう。


 だが、今回は両方とも効かない。厳密に言えば、両方とも効かない可能性が高い。彼女は、あの赤司に「これ以上干渉するならただじゃ済まさない」と言われても干渉しようとしている。赤司の言葉は、赤司からの最後で最大の忠告であったにも関わらず、だ。


 でも彼女はそれすらいとわないくらい意地になっている。そんな冷静に考えることができていない彼女は、例え脅したとしても、後先考えずに赤司に干渉しに行く。特に後者の方法の場合、彼女なら「赤司が刃物か何かで脅した」と口外するかもしれない。それが教師の耳に届こうものなら、最悪の場合部活停止、なんてこともあり得る。


 そんな事態になることを想像するだけでゾッとする。単なるあたしの考え過ぎかもしれなくとも、決して可能性は低くない。第三者に近いあたしでさえこうなるのだから、当の本人の精神的苦痛は想像を絶するものであろう。




「―――苗字。僕達は目的も、必要としているものも、似ているね」


「そうだね、君が悪いくらいに」


「だったら、互いに必要としているものを補うのがベストだと思わないかい?」




 刹那、あたしが赤司がこんな話を振った理由が分かったような気がした。あたしの予想が正しければ、今から赤司が言うことは、赤司らしい合理的な方法だがとても残酷な言葉だ。


 心臓がばくばくと暴れ出す。その先の言葉なんて聞きたくない。でも、取り乱してはいけない。取り乱してしまえば、あたしの今までの苦労が水の泡になる。だから落ち着け、と自分に言い聞かせる。




「苗字。互いの目的のために、僕と付き合ってほしい」




 甘酸っぱい雰囲気の欠片も無く、ただ互いの目的のために交際を申し込む。一見互いに利があって名案であろうようだが、互いの仲が恋人として深まることは無いだろう。そんなことを予想せざるを得ないくらい、冷めたものだ。




「赤司って、何気に最低な男だよね。自分の目的のために、好きでもないあたしを女にするなんてさ」


「苗字にそれを言われるのは心外だな。苗字だって、最善を選び続けて来ただろう」


「自分でできる範囲の最善、だよ。あたしは赤司とは恋人として接することはできない」


「それでも構わない。どうせ元々付き合っていると勘違いされているんだ。他人に訊かれた時に、付き合っている、と答えておけば何の問題も無い」




 違うかい?、と同意を求められ、あたしは言葉に詰まる。確かに今の状況で1番面倒にならない相手は、あたしにとっては赤司だし、赤司にとってはあたしだ。あたし達が普通に話しているだけで、付き合っていると勘違いされることが多い。赤司が相手なら、赤司で問題になることは無いし、向こうもきっと諦めてくれる。赤司の方が上手くいくかは分からないが、こちらからしたら万々歳だ。




「・・・期間は?」


「できれば高校を卒業するまで頼みたい。別れた瞬間食らいついて来そうだしね」




 高校を卒業するまで―――つまり、3年弱だ。今はその年月が果てしなく先の未来のように感じる。その間、あたし達は互いに相手から逃げることを許されない。これは、互いが相手を縛ることによって成立する関係だ。だから、相手が逃げれば互いに抱えきれない面倒事が起こる。そんな不安定な関係だが、これが今の最善なのだ。




「・・・分かった。高校卒業まで付き合うよ」




 ―――この時、好きな人というのは赤司だと伝えられていたら、あたしはどんなに楽だっただろうか。




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