なつのわた羽

ほんのりゆらめく陰影が、床にまのびて寝そべった。部屋はいちめん茜で満たされ、まどろむようなひかりのうちへ沈んでいる。……西野に落ちゆくかがやきの、その日さいごの色だった。

黄昏は、殺された蛇の血けむりだという。
……天にされたの神を、胃の腑へまるっと呑み込んで、この世すべてを真っ暗やみに塗るおろち──夕焼けのあかいろは、それのすっかり成敗され、刀でもって捩じり斬られたなま血の飛沫だ。
……けれど、血潮のいろと言うわりに……、いまこのとき、辺りを包んだその色は、なまぐささよりもさらさらとした果汁の酸味を思わせる。
いろみの加減はやわらかく、想起するのはほの温かにぬるまった、濃い柑橘の絞りじる……。橙がかった斜陽の帯の重なりは、その液中へと潜ったような心地を呼ぶ。じっと沈んで眺めていれば、からだをひたす光の粒子を思わず舐めたくなるような……、きっとさっぱり甘かろう。闇に巣くった爬のものが、寓話のうちで日の輪のあかりを好んで齧ってしまうのも、案外かたちがまあるい果実に似ているからかも知れなかった。

(……のど、ひりひりする。)

……そんな虚妄をだらだら思ってしまうのは、たんに渇きのせいだった。けだるい肢体の重たさは、どろんこの沼へ嵌ったようで……、しめこい泥土でいどのぬらぬらひかる茶濁りは、喉をうるおす水となるには粘っこすぎる……、そういうなかに、首だけ出して塗り込まれてしまったふうだ。なまくらに、ぬかるみからぽこぽこと湧く瓦斯ガス泡みたいな息を吐き、ゆっくりとまたたく。ちかくでは、珍しくもえんえん起きない男の音が、夕かぜの凪いだ静けさぐあいと幾らか似通い聞こえていた。祝いごとだと羽目を外しすぎたかなあと、こころうちにひとりごつ。……まだ、昨夜の酒が残っていて、こめかみあたりが疼いていた。



◆◆◆◆



──幾たび月日を隔ててなお、めぐるこよみにたったひとつのその時が、不変の意味を帯びているのに違いはない。

……毎年のその宵は、主役を囲んで酒に膳にとごくごく親しい顔ぶれのうちで飲み騒ぎ……、それはそれはもう、撒き餌に集まり喧嘩しながらぎいぎい喚くひよの群れだか、またたびを食って爛酔らんすいきわまりおんおん転がるどら猫どもだか、待てを聞いては利口にしつつも余所見の刹那で餌皿えざらを空ける犬舎のこまだか……、みたく、飲み騒ぎ……、ぐでんぐでんのしののめの頃に別れ別れで帰ってゆく。……職分のゆえ、私人の慶はたいてい期日を過ぎてから、また或いは前倒されたいずれかに、空きまの日取りで内祝うのが通年どおりのことだった。

……上機嫌のべろべろで、酔いにも酔ったそのよく日、やってくるのは宿酔のかなしみ。あたまを抱えてうんうん呻いた脳裡へは、ばおう、ばおうとぶっとい鼻を振り回しつつずしずし走る巨象の光景。頭蓋のうち……、灰褐色のまぼろしは、その象牙を光らせて、眼窩の裏へとぼこぼこぶつかり、ずうんと膜の痛むところを踏みまくり、悪心をさそって臓腑のうちをねじくれさせた。……酔っぱらいはひとりきり、えずきえずきも震える背中をくるんとまるめ、朝のひかりをきらきら浴びても覚めることなきその悪夢に涙する。……これもまた通年どおり。かなしき酔客、孤独のさだめである。

……さて、来たる今年こんねんも、痛みの使者は頭骨内部へかたちをもって訪れた。……ただ、常の年とはいささか様相あらたに……、さまざまな変遷の果て、綿の貼られた敷布しきふの横、朝陽にしわんだうすじの波打つ大海へは、とも倒れにうーうー呻く男のすがたが乗っていた。
……時節のどこからはじまったのか、なにを切れ目に移り変わっていたのだか……、いつの間にやらかの誰某だれそれはしゃあしゃあこの身と同んなじところで寝起きしている。……速度のひどくゆったりした、遅々と進まぬ蛇行じゃこうの大河、そのみなもに流され流されするふうで、うしろへ過ぎる日々の折々……、そのうちに在ってめぐりきた、あれの孵ったかつての日。前夜の宴の記憶もおぼろ、ふたり仲よくぐねぐね・・・・に、たいそう縁起のよろしい夢見で象に踏まれる朝を迎えた。

(いっかい起きたの、ひるで……、)

……いまこのときはその消日。迫りつつある宵口に、用務のさいわい逃れ得た、酔い覚ましのあきしろだ。……未明の頃はきちがいじみた酩酊にまかせ、泥のようなまどろみののちは苦悶のままに……、せっかくのきょうこの日、ふたりして、どうにもこうにもあだごとばかりに使ってしまった。

(うかれすぎた……。)

……よくないことだと眉間を皺寄せ、肩やら背中の疲れの沈殿……、ぶよぶよとした団子のかたちで凝固する、得体の知れない硬度を持った肉のれ……、それらの群れがしこったふうな肢体のふしをぽきぽき伸ばす。……酒やらなにやら鈍さがうずき、いたみのようにうめきが漏れた。
……青色吐息のすぐあとに、斜眼に見やった布目の波間。対して相手の男のほうは、呑気な顔ですよすよと、長すぎる午睡に耽っていた。ねむった鳥の気息きそくによってふくふく膨らむ羽毛の上下、それの動きとそっくりに……、みなぎり満ちたしろのすじ、その、骨格上へ小分けにされてきちんと並ぶおおきさも、ゆったりと、かつ規則正しく、定められた間隙のうちに膨張し、収縮した。白色で出来た集合体の最上端に属するつむり、そこへ浮かんだほのぼのづらだけ横向けて、あとにはただもうずんべら・・・・ぼうに、でかく嵩んだ体躯のなりはうつ伏せのびして邪魔くさい。

「……あっちいけ。」

……平手を伸ばし、べちっと張った白亜の石の大平原。なだらかな尾根みたく、磨製されたかたちをたたえるせばしらのついのおうとつやら、弛緩しなおも丘陵じみた背面のきんの隆起ぐあい……、その合間、白膚ひふの血すじのうす青が、細緻なままで幾重に交差しまたわかれ、葉脈めいて網なすながれの伏流部ふくりゅうぶ……。一対、堅牢に、腕の付け根でくっきり浮いたかいがら骨は、つばさのかたちの山嶺だ。そじし・・・の厚さに満たされて、密にこごった強固なくらいの真っしろさ……、それにすっかり侵食され、寝床の自領は陥落間近に狭苦しい。
……ちゃんと貰ったじぶんのいえで寝やがれと、何度言ってもこの図体は聞きやしないのだ。

「どけったら……、」

……いくらもんくを言ったって、夢中のものには届かない。
張り手をかました手形のかたちへ降ろしたままのたなごころ、その触感には、あたたかさがあった。……輪郭は、ほんとうの白亜とちがい、爪も掛からずつるつる硬いわけでもなく、ひゃっこく温度を吸いもせず……、むしろ、冷える夜にはほこほこするので重宝だったが。

(……それにしたって嵩張りすぎる。)

じろっと睨んだ険のさき、その、腹這いすうすう言う顔の……、なんという締まりなさ。ふやけているのか、なんなのか……、怜悧なおもての風あいは、孵ったばかりの家禽かきんのひながもっとも好む離にゅう食、乳に浸した蒸し菓子じみてゆるゆるだ。……常とすっかり対向しているぶざまなくらいのこの落差……、肉を喰らう野禽やきんのたぐいの、空の上ではもっともすばやく無双に獲物を狩ろうとも、麦刈りのあとの落穂のはたでは覚束なくぴょんぴょんとして飛蝗ばったなんかをつんつんする……、ああいう、中くらいの大きさをした狩人たちとそっくりよく似たおもてうら。

(……あほづら。)

日なかのうちは、さんざんあたまを毟ってわめき、朽ち木の幹から掘り返された生っ白のいもむしみたくうねうねしていたのに……、あれはもう、治ったのか。寝顔は幾分あおくとも、いまやすっかり安穏としている。あきれ返って眺めていれば、どうにもこうにも気の抜けて……。なんだかなあと長息し、眠気でむにむに緩んだ風味なその頬の、筋のおおさにあぶらの薄いししぐあい……、そこをぐりぐり突っついた。ぴちっと張られた皮のゆがみに同期して、正しく引かれた青紫せいしの線もぐにっとしずむ。……男はすこし、もごもご顎をきしらせて……、それでも依然、夢路のところへぷかぷかしていた。

(……まあ、いいや。)

……うるさい口が閉じていて、大人しいのはよいことだ。もうたいへんにけっこうだ。……きのう、酒にやられたこの男の饒舌ぶりと言ったら……、あの、酔っぱらいのうざったさ! 巣立ってすぐの鳴き鳥が、男親から習いたてのさえずりを、練習足らずのへたくそなままにえんえん雌へ歌ったような……、きょうぐらいと甘い顔をしていれば、ますますと調子に乗って……。

……ちろちろ眺めた白皙に、ぺったり閉じたその目元、よくよく見ればもとから刷られた色素のそれより青黒く、輪郭のみょうにいびつな紫斑しはんが浮いている。……皮下にきっちり整列されるこまかい胞の隊形の、たいへん不幸な一個兵団総数にして約数万、その壊滅を語り継ぐ、名残のむらさき……。
……もっとこころの浩浩こうこうたれとは望んでも、持って生まれたこの癇性はなまじっか治らない。……まあ、手というか、足というか……、構われすぎた毛玉のかたちの四足しそくなんかと同んなじで、つい、しゃあっと爪牙そうがが……、わるいことをしたなあと、今更のようにきょうくうあたりがしんなりした。

(……そうはいっても、なんという……。)

……さすがというか、進化というか……、退化というか。この男の頑丈さには、この頃ますます磨きがかかっている。……こっちへ来るなとあたまのあたりをぶった・・・って、ぐわと泡吹きひっくり返ってちょっと寝たあと、直ぐさま目覚めて元どおり……。しつこいうざいあっちへ行けと、どんなにけっ飛ばしたって……、ひどいひどいと泣き上戸にべそべそしつつ、青痣の浮いた顔面のままじり・・寄ってくる。
……踏めば踏むほど丈夫に起きて、猛烈な陽射しを吸ってはぐんぐん伸びる青むぎめいたその生気しょうき……。するどいれきのごりごり削がれてやすりされ、石に根をはる斑晶はんしょう模様 がきらきら露出し堅牢な、あらけずりの多面とも似た不壊ふえぐあい……。床目の上から不死身のごとく立ちあがる、あの尋常でない粘り強さは酒の力かなんなのか……。しょうじき、ぎょっとした。

「………ばけものめ……。」

……心肝ひえた驚愕も、いまではただただむかむかする。腹癒せついで、斜陽のなかで微細な雲母きららの集合みたくひかった髪を、抜けてしまえとがしがしやって掻き混ぜた。……が、まったく気づかず寝入っている。
ふんと息吐き、横目に見やったそのさきへ、流れつつある西陽の景色。露台の戸口の漆喰塗りした格子を透かし、ゆっくり落ちるひかりはあつい。……湯水のそれより高い度数であるふうな……、そのあかみがそそぐから、頬はいくらか熱っぽく……、床へはまだらの雨染みが、ひとのかたちとすこし似て、倒影のそべる縞柄の、長躯ちょうくな線にしがらんだふうで落ちている。
……なんとなしに視線をそらした。

……光源の下降につれ、ねころぶ台へうっすら被さるかげの紗織しゃおりはずれてゆき……、格子柄で裁断された日射のおよびの角ばりが、寝みだれあらわななま・・肌のうえへするりと落ちてはじんじん照った。
……ひとりきり、降りくる熱にひらてを翳してさえぎって……、それでもひかりはすり抜け進んで防げずに。……こころもとない指先で、覆うかたちにつるりと面皮を撫でてみて……、光景は、去来しながらちかちか匂う……、おさまらず、ぼかりと寝顔のあたまをぶった。

……相手は一瞬、『おっ』と両眼をかっ開き……、しかし生理に要求される欲気のほうがまさったらしく、またすうすうと平気で寝入る。……頑丈すぎて歯が立たない。



(前編 了)













ペルさんお誕生日おめでとうございます……!

すいませんペル誕ぜんぶは間に合いませんでした……、取り敢えず書きあがった前半部分をあっぷしてお茶を濁す……。(卑怯)タイトルまだ仮題なので変わるかもしれません。

書きかた文体等々もろもろ迷走中。なにが正しいのか……、わからない……。
前半だけだと内容スッカラカンの誰おま状態……、起きろ……。後半部分(※健全です)を書きたくてはじめたやつなのでがんばります。8月のうちに……、8月のうちに……。(どうなることやら……。)

ペルさんクリスマスSSの時よりエボリューションできた???? 鯖折りされても銃撃されても爆発してもわりと生きてるじょうぶなペルさんが好きです。

はじめあたり書いてて『アラバスタにヒヨドリっているか??』ってなって調べてみたところ中東のほうにもいろいろいるみたいです。日本のよりやや小柄でお顔が真っ黒だったり。やはりうるさいそう。




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